犬を連れての過酷な旅も、こうも印象が違うのか。本書における旅と、この連載で先月取り上げた角幡唯介『犬橇事始』の旅だ。どちらが優れているとか、そういうことではなく、旅の目的や手段の違い、人と犬との関係性、人が犬に求めていることなどが異なるのだ。
本書では、著者・服部さんが飼い犬ナツと、北海道北端の宗谷岬から南端の襟裳岬まで、分水嶺に沿ったルートを(登山道や林道、国道をつないで)、現金を持たずに歩いて旅する。米と調味料などは背負いつつも、服部さんといえば「サバイバル登山」。猟銃を持ち、鹿やキタキツネを狩り、食料の足しにしていく。とはいえ、犬の餌を含めた全てを担ぐことは困難なので、ルート上の数箇所に前もって食料はデポしてある。デポにかかった交通費などを含め、旅を全うするために使った金銭について隠さず明記しているのが潔い。
旅のあらましは以上である。もちろん、道中さまざまなことが起こる。獲物の鹿とのかけひきや、出会う人とのやりとり。避難小屋では、他の登山者から夕食に誘われ、ボルシチと酒のつまみをご馳走になる。失くしてしまったコンパスをもらいうけ、代わりに鹿肉を渡したこともあった。好意的な人ばかりでない。わざわざ森林管理署員らしき人を連れて戻ってきて、入林許可をとっていないという理由で森からの退去を命じる人もいた。
ナツの存在感も大きい。ナツは服部さんにとって飼い犬以上の存在だ。山旅、そして狩猟の相棒であり、服部さんの様子からは子どものようだとも見受けられる。リードから放したナツが戻ってこなくなり、死んでしまったかもしれない、家族にどう説明してどう納得してもらおうか苦悩する、心締め付けられる場面もある。この関係性は、雪と氷に閉ざされた極地を旅する角幡さんと犬橇の犬たちとはだいぶ異なり、共感しやすいのは服部さんの心情かもしれない。
本書の醍醐味は、出来事そのものより、服部さんの心の動きにある。そもそもの旅の動機が、己の生きる理由につながっていく。旅の途中で50歳の誕生日を迎えるが、人生の中間地点は完全に過ぎたと思っている本人にとって、誕生日は死へ一歩近づくこと。だからこそ体力が落ちないうちに「いちばんしたいことをしよう」と、犬と一緒に、銃を担いで、お金を持たずに歩く。そして、旅の道中で、野生の鹿などを育む自然、ナツや見送ってくれた家族に、自分が生かされていることを心の深いところで実感していく。
この一連の心の動きは、読者への問いかけにもなる。いちばんしたいことを知り、いちばんしたいことをするのは、いちばん大切なものについて考えることにもなる。果たして、私にとってのそれらはなんだろう。服部文祥という人を通して、自分自身を知るための一冊だった。
「小説幻冬」2023年12月号
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