映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が9月20日から全国ロードショーになります。監督・呉美保さん、主演・吉沢亮さん、脚本・港岳彦さんのタッグとなる本作は、作家でありエッセイストである五十嵐大さんの自伝的エッセイ『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が原作。7月11日に文庫が発売された本書ですが、文庫化にあたり、映画の脚本も担当している港さんが解説を寄せてくださいました。今回は発売記念として文庫版未収録のロングバージョンをお届けします。
* * *
誰にでも無垢の時代がある。
子どもが子どもらしくいられるごく短い季節がそれである。
本書の序盤で、その満たされた世界はかぎりなくほほえましい筆致でつむがれる。聴こえない母に「お母さんのこと、大好き」と手話で伝える聴こえる息子。母から息子へ、息子から母へ、お互いに手紙を書きあって過ごす平和な午後。陽気な母がテレビに映るタレントのモノマネをして息子を笑わせる、底抜けに楽しい時間。
ところが無邪気でしあわせな幼い日々に、ある日とつぜん影がさす。
「なんかさ、お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」
「……え?」
「さっきもそうだったけど、喋り方変だよな?」
聴こえない母の喋り方を、小学校のクラスメイトがそう指摘する。
著者は書く。
顔が熱い。鏡を見なくても、真っ赤になっているのがわかる。
あたりまえだと信じられてきた世界が、ほかのひとの目には「おかしい」と知らされる、その衝撃。
あるいは、彼がたちあげた小学校の手話クラブ。手話の説明を聞いたクラスメイトが投げつける心ないことば。
「なにそれ、変なの」
こうして、翳りのない無垢の時代は、ガラガラと音をたてて終わりを告げる。そのかわりにうえつけられるのは、こんな呪いだ。
――家族のことが恥ずかしい。
本書では幼な子がそんな十字架を背負う瞬間の心理が、ありありと手に取るように、しかも、いたるところに描かれている。聴こえない両親のもとに生まれ育った少年がうけた、決してわすれることのできない一瞬一瞬が、まるで血染めの新芽のようにあちこちに芽吹いている。
一方、「母の“耳”の代わり」をすることが「聴こえるぼくに与えられた使命のようなもの」とあるように、彼は物心ついたときから両親の通訳の役割をこなしてきた。
だから将来のことを考える年頃になっても、守るべき存在として両親のことを考えなければならない。近い将来、同居している聴者の祖父母もいなくなる。そうなったら、聴こえない両親だけでやっていけるのだろうか? そんな不安にとらわれる。それが人生設計にひびいてくる。
「障害者の親を持つぼくに、他の子と同じような未来が待っているのだろうか。親の側で彼らを支えていかなければいけない。そうなれば、選択肢だって狭まってしまう」
いつまでもそのような立場で生きていかなければならないのかとの憤懣も、はち切れそうなくらいにたまっていく。
「この町にいたら、ぼくはずっと“障害者の子ども”であり、親のために生きる可哀想な子として見られる。いつまで経っても“ふつう”ではいられない。だから、ここから逃げ出すんだ」
こうして著者は「母を見捨て」て東京へと逃げてゆく。
☆
「弟はどうすっとね」
ぼくは2022年の春、「この本を映画にしたい」という呉美保監督のお声がけで、本書をひもとくことになった。
「ぼくは耳の聴こえない両親の元に生まれた」という書き出しから、驚くほど平易な文体にのせられて、いっさいつまずくことなく夢中で読み進んだ。
その読書体験は、ひじょうに鮮烈なものとなった。
この自伝は、聴こえない親のもとで生まれ育った自分自身の心の軌跡を、包み隠さず、ありのままに描くことで、その「声」を社会に広く響かせていこう、という明瞭な意図のもとに書かれている。むずかしいことばをもちいず、わかりやすい表現に徹することで、自然と万人の心に届く作品になっている。
そんな作品に仕上げることが、自分の作家としての使命なのだと、著者の五十嵐大さんは心に決めていたのだろう。
その決心が、美しく、まぶしい。
自分の話で恐縮だが、ぼくの弟は重度の知的障害者だ。彼は3歳児程度の知能しかもっていない。小学生のころ、親から一緒に登校することを命じられたぼくは、不明瞭なひとりごとをぶつぶつとなえる弟を連れて歩くのが恥ずかしくてしかたなかった。
ある朝、他人をよそおうために距離をおいて歩いていたら、弟が車にはねられてしまった。さいわい無傷ですんだが、親は「この兄は頼りにならない」と見切りをつけたのだろう、弟をべつの小学校に転校させ、送り迎えは自分たちでするようになった。
うしろめたい気持ちもあったが、やっぱりぼくはほっとした。
将来を考えるときにも、つねに弟の存在がちらついていたし、上京してからはいつも「弟を見捨てた」という罪悪感にさいなまれた。親もしばしば不意打ちのように「弟はどうすっとね?」と問いを投げかけて、ぼくを沈黙させた。
だから本書を読んで随所で「わかる」と思ったし、五十嵐さんに勝手に同志的な絆を感じた。障害者の家族のいる人間特有の心理をすみずみまで共有した気持ちになったのだ。
だが脚色作業のために聴覚障害者の方々に取材したり、いろいろな書籍を読むなかで、その理解は少しずつちがった形をとりはじめた。
そもそも聴覚障害と知的障害を「障害」の語のもとに一緒にしたことは、乱暴だった。『ろう者から見た「多文化共生」もうひとつの言語的マイノリティ』(ココ出版)を読み、「ろう者は障害者ではなく、手話という日本語とは違った言語を話す言語的少数者である」という定義を知った時には特に痛切にそう感じた。
かといって障害とされた側がほかとくらべて劣る、という考え方もぜったいにちがう。ではなぜ自分は弟を恥ずかしいと思ったのか。“健常者”の側から見た弟の振る舞いがきわだって珍奇だからではないか。社会において奇異にうつる行為をする永遠の3歳児、それはやっぱり障害ではないのか。いい年をして、ひとりではバスに乗ることも店でものを買うこともできない人間は劣っているのではないのか。
いや、障害は社会の側にある、社会がなんらかの障害をもつ個人に不便を感じさせるように設計されていること自体が障害なのだ──といったテーマが「障害の社会モデル」というトピックで広く議論されていることも、取材に協力してくださった手話通訳者の方に教わって知った。この障害の社会モデルを踏まえつつ、より解像度を上げた「障害とは個人と個人との間の差異に生じる」という鈴木励滋さんのような考え方にもふれることになった。
こうしてぼくは「障害ということばのもとに個別の体験を一般化するのは間違っている、それらはひとつひとつ違う」という学びをえたのだが、そのうえで改めて本書を読み返すと、やっぱり「まるで自分が書いた話のようだ」と思わせる強い共感力がみなぎっているのであった。
それが、五十嵐大という書き手の力なのである。
「コーダ」である書き手だからこそ出来ること
幼い子の心理や思春期の少年の鬱屈、さらには自身のアイデンティティをつかんだ青年の力強い旅立ちの心理を、いまこの瞬間めばえたもののようにあざやかに描出する筆致。それによって、誰もが深く感情移入して、自分ごとのように彼の人生を追体験する。聴こえないひとやコーダの尊厳を手でふれるように感じ、知ることができる。こうして読み手はシンプルな真理に回帰する。
「障害ということばのもとに個別の体験を一般化するのは間違っている、それらはひとつひとつ違う。だが基本的な倫理観にちがいはない、偏見と差別をしてはならない」
彼が人にそう感じさせる力を身につけたのは、家族のことを恥じ、逃げるようにでた東京で、手話サークルに参加し、コーダが自分だけでないことを知った経験に起因するのではなかろうか。日本では約2万2千人いると言われているコーダ。彼はそれまで自分だけの、個別の苦しみだったものが決して自分ひとりのものではないことを知った。
知ること、それ自体が救いになった。
だから、その経験を見知らぬ誰かに手渡したいのではないだろうか。「書く」という自分の武器を、社会のために使おうと決意したのではないだろうか。
ろう者の、そして聴こえない親をもつ聴こえる子どもの存在が、今以上に知られ、彼らがこうむってきた世間の無理解による差別や偏見、心ないことばや態度を、少しでも減らしたい。
そんな目的意識が、本書では教化の匂いをほとんどさせずに、胸をうつ清冽な成長物語として昇華されている。これはほとんど奇跡的なことのように思える。
本書は『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』というタイトルで刊行され、ぼくらもその名で出会って脚色作業に取り組んでいたが、映画タイトルとしては観客のみなさんがおぼえづらいのではないかという懸念があったので、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』とさせていただいた。今回、文庫化にあたって、そのタイトルに改めることになったと聞いて、いささかうろたえた。しかしとても名誉なことだとも思う。
脚本家として何より心を打たれた場面
脚本を書くにあたって、ぼくら映画制作チームは五十嵐さんに本書の舞台となった故郷の町を案内してもらった。お父さまと釣りをしていた場所、登下校の帰り道、お母さまがよく買い物をしていた市場、あの駅にも立ち寄った。どの駅?
中盤、五十嵐さんが、成人式用のスーツを買いに行った帰りに、母と話すあの駅である。
──電車のなかで、大勢の人たちが見ている前で、手話を使って話してくれて、本当にうれしかった。今日はとても楽しかったの。だから、ありがとうね。
ぼくが自分でもどうかと思うほど泣かされた、あの名場面の駅である。
そのお母さまにもほんの一瞬だけ、ご挨拶することができた。本書を読みながら、そのかぎりない優しさをもつ天衣無縫なキャラクター造形は、少々美化しすぎなのではないか? との疑いがあったのだが、実際にお会いしてみてわかった。
書かれたままの方だった。無邪気な心がその場で白い花となって咲いたみたいな方だった。立ち会ったみんなの顔がぱあっと明るくなった。
もちろん、駅での場面は映画にもでてくる。というか、そこを起点に脚本を構成した。ぼくがもっとも心を打たれた場面だから。五十嵐さんを演じる吉沢亮さん、お母さまを演じる忍足亜希子さんのすばらしい演技をぜひ楽しみにしてほしい。
本書の単行本版のあとに五十嵐さんは『聴こえない母に訊きにいく』(柏書房)を上梓する。社会的・歴史的な視座を獲得した著者が、両親の人生についてより踏み込んだ聴き取りをおこなう私的なルポルタージュだ。両親の駆け落ちの真相が当人たちの口から語られ、「大」という名前を誰が、なぜつけたのかもあきらかになる。本書ではかぎりなく私的な目線で書かれた両親の人生が、より構造的な視点で解き明かされていく。何より、優生保護法の詳細が衝撃的だ。彼にとって優生保護法とは、母親、ひいては彼自身の存在を根本から消してしまうものであることが突きつけられる。彼はひとがひとの優劣を定めることの恐ろしさを存在論的に体感、体現してしまっているのだ。硬質な内容だが、本書を読んだ方にはぜひお勧めしておきたい。
『しくじり家族』(CCCメディアハウス)は、本書でもちらと出てくる、元ヤクザの祖父の葬儀で著者が喪主を務める羽目になった顛末を描く一作で、五十嵐家サーガのなかでもっともカジュアルな読み味が楽しめる。『隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録』(翔泳社)では「聞こえるのに聞き取れない」という聴覚情報処理障害の方々へのヒアリングを通して、可視化されづらい障害をかかえた人々の困難を社会に向けて発信している。
ミステリーの老舗・東京創元社から出た、五十嵐さん初の小説『エフィラは泳ぎ出せない』では、知的障害の兄が自殺した、という報を受けて故郷へ帰る主人公を通して、障害当事者とその家族の生きづらさが浮き彫りにされていく。フィクションとはいえ、心理描写、社会のひずみを鋭く見据える眼力、問題意識、そのどこを切り取っても五十嵐節で、書くべき主題をはっきりとつかんだ者の表現はいよいよ力強さを増しているようである。
ノンフィクションであれ、フィクションであれ、五十嵐大はその表現において強固な使命感をもっている。彼にとって本書はそんな創作活動の礎であり、また社会の側からも強く存在を要請されている作品だと思う。
末長く、できるかぎりおおぜいの人に読みつがれてほしい。
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