大人の女には、道をはずれる自由も、堕落する自由もある――。7月3日に発売された『小泉今日子と岡崎京子』は、社会学者の米澤泉さんが読み解く、ふたりのキョウコ。マンガ家・岡崎京子の特別さとは何だったのか? 一部を抜粋してお届けします。
一人の女の子の落ちかた──少女マンガを超えて
マンガ家の岡崎京子が1996年の交通事故の後遺症により、新しい作品を発表しなくなってから30年近くの時が経とうとしている。しかしこの間に岡崎京子の作品はさまざまな年代の人々に読まれ、語られてきた。いくつもの代表作が実写映画化され話題となった。2015年には世田谷文学館で「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」が開催され、文学館開設以来の2万3000人を超える来場者を記録したという。
時代が岡崎京子に追いついたのだろうか。ようやく人々が彼女の作品を理解できるようになったのだろうか。
岡崎京子は誰にも似ていない。それまでの少女マンガ家はもちろん、彼女以降に登場した少女マンガ家とも明らかに異なっている。そして、その後も岡崎京子に続く者はいない。なぜなら彼女が描いたのは、いわゆる少女マンガではないからだ。
むしろ、岡崎京子は「〈少女マンガ〉の臨界に位置する作家」(杉本2012:23)と位置づけられている。少女マンガというジャンル自体に揺さぶりをかけた岡崎の作品は、マンガの域を超え「マンガは文学になった」とまで言われるほどだ。
『くちびるから散弾銃』『pink』『東京ガールズブラボー』『ヘルタースケルター』──岡崎の作品にはたくさんの女の子が登場するが、それは少女マンガというカテゴリーに分類するには、とてつもなくパンクであまりにもニューウェーブなのだ。一般的な少女マンガが描いてきた女の子たちの夢や憧れの世界を遥かに超越している。
いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。
いつも。たった一人の。ひとりぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。
(『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』106)
なぜ、岡崎京子は女の子たちの夢や憧れではなく、その対極とも言える「一人の女の子の落ちかた」を書こうとしたのだろうか。そもそも「女の子の落ちかた」とは何を意味するのか。何から落ちるのか。夢や憧れの世界か? それとも、女の幸せか? それは、妻や母になるという従来の女性の生き方に対するアンチテーゼなのだろうか。
この章では岡崎京子とその作品を通して「女の子」にとっての自由を考える。まずは、類い稀なるマンガ家岡崎京子がどのようにして誕生したのかを見ていこう。
東京オリンピックを目前に控えた1963年、岡崎京子は東京の世田谷区下北沢に理髪店「ハナビシ」の長女として生まれた。自宅の理髪店にあるマンガや雑誌を読んで育ち、小学校時代にはすでにひと通りのマンガを読破していたという。小学校5年生の時に、友達の家で読んだ萩尾望都の『ポーの一族』に衝撃を受け、マンガ家を志す。萩尾望都と言えば少女マンガ史に燦然さんぜんと輝く大家だが、『ポーの一族』は中でも永遠に生きる吸血鬼一族の物語を描いたファンタジーであり、当時の少女マンガとしては異色の作品であった。少女マンガの王道ではない作品に岡崎が強く惹かれたのは特筆すべき事柄であろう。
中学入学と同時に、マンガ少女だった岡崎京子は音楽に目覚める。今度は、お小遣いのほとんどをレコード代に費やすロック少女となるのだ。当初はクイーンやベイ・シティ・ローラーズ、エアロスミスなどを聴いていたが、しだいにパンクやニューウェーブに音楽の趣味が移っていく。中学3年生のことだった。マンガもそれまでの少女マンガから高野文子やひさうちみちおなど、既存のジャンルにとらわれないニューウェーブ系を好むようになる。
高校1年の夏には、白泉社の『花とゆめ』のマンガスクールに16ページの作品を投稿するが、結果はCクラスだった。もし、そのまま順調に『花とゆめ』で少女マンガ家としてデビューしていたらどうなっていただろうか。一連の岡崎京子作品は生まれていなかったかもしれない。少なくとも現在のような評価を得ることはなかったのではないか。
自身が愛読してきた少女マンガの世界から外れてしまった岡崎京子は、翌年から雑誌『ポンプ』に投稿を開始する。『ポンプ』とは現代新社(後に洋泉社に社名変更)から発行されていた読者投稿誌であった。すべてが読者からの投稿で成り立っていた『ポンプ』はインターネットの先駆けとも言われ、後に有名になった投稿者として、岡崎京子を筆頭に尾崎豊、デーモン小暮などが名を連ねている。この『ポンプ』へのまめな投稿が結果的に岡崎京子の新たな道を切り開くことになるのだ。『ポンプ』の投稿イラストがやがて中森明夫の『東京おとなクラブ』や大塚英志の『漫画ブリッコ』での連載へとつながっていく。
1982年には高校を卒業し、短大でデザインを学び始める。短大入学とともに髪を切り、毎日違う服装で通学する岡崎京子。流行のファッションを身に纏った彼女は、新宿ツバキハウス火曜日のDJ大貫憲章による「ロンドンナイト」にも毎週通うようになる。80年代前半のツバキハウスは日本で最もロックでオシャレなディスコとして名を馳せていた。とりわけ「ロンドンナイト」は洋楽のロックを日本に広めた最高にクールなイベントとして、今でも伝説的に語り継がれている。
80年代前半、私は毎週のように『ツバキハウス』に足繁く通ってた。火曜日にやっていたロンドンナイトの日はパンクの人やギンギンにニューウエイブな人や、とにかくスットンキョウな格好をした人が束になって集まっててホント面白かった。今のディスコやクラブみたいなナンパーさはまったくない。もろ体育会系。根性入れて踊らんかい! って感じ。基本的に当時のディスコはフリーフードだったから、食べれて飲めて時間つぶせて遊べて、貧乏な人にとっては夢のような空間でした。
(『CREA』1994年4月号)
この岡崎の「ロンドンナイト」体験は、後の『東京ガールズブラボー』をはじめとする作品にも活かされた。とりわけ彼女のファッションと音楽への並々ならぬ情熱はその後の岡崎作品の通奏低音を成していると言えるだろう。
少女マンガを研究する藤本由香里は、「岡崎京子は『街と地続きの少女マンガ』を描いた初めての作家なのではないかと思う」(「岡崎京子以後」アエラムック『ニッポンのマンガ』所収)と指摘している。
「少女マンガ」というのは、少女の「内面」を描くものだとされるが、その分、内へ内へとこもるところがある。とくに作品が「少女マンガ誌」に掲載されている場合はそうで、そこはかなり「現実」からは隔離された場だ(だからこそ自由だ、ともいえるが)。だが岡崎京子は、大島弓子を代表とする繊細な「少女マンガ」に出自を持つ一方で、その後「ニューウェーブ」に影響を受けたその作風から、デビュー当時、「少女マンガ誌」の中にその居場所を確保することができず、サブカルエロ漫画誌「漫画ブリッコ」などを皮切りに、やがてマガジンハウスや宝島系の雑誌に作品を掲載するようになる。
(藤本由香里「街の時計・時代の時計」『「岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ」展』Web ACROSS)
藤本が言うように、少女マンガというものは、時に少女の内面を描くことを優先するがゆえに現実の世界をそれほど重視しない傾向にあった。例えばそれは登場人物が纏うファッションに顕著に表われていた。かつての少女マンガは流行のファッションをそれほど反映していなかった。それは宝塚歌劇団の舞台と同じであり、夢や憧れの世界に流行という現実は必要なかったからである。
だからこそ、少女の「内面」を描きながらも、流行のファッションを身に纏い、街を闊歩する現実の少女の姿を鮮やかに捉えた岡崎京子は、「街と地続きの少女マンガ」を描いた初めての作家なのである。そして、「街と地続きの少女マンガ」を描くには、ロンドンナイトのような自らの体験に裏打ちされたファッションセンス、モード性というものが必要不可欠なのだった。
オシャレであることと、街を好きなこととはイコールだ。
オシャレであることは、街の気分を読まないとできない。
時代の気分を読まないとできない。
そしてその〈気分〉は、日々刻々と移り変わっていく。
(藤本Web ACROSS)
街や時代の気分を読むということ、それは岡崎京子が最も得意とすることだった。誰よりも敏感に時代の気分を読み取り、それに相応しいポップな画風と文体で表現する。それが、岡崎京子と他の少女マンガ家との決定的な違いだった。
これは楽器が奏でるマンガじゃないか。ポップソングの歌詞の溝に描きこんだマンガじゃないか。
(ウェブ「松岡正剛の千夜千冊」1549夜『ヘルタースケルター』)
時代を謳うポップソングのように、岡崎京子のマンガは時代精神を描いていった。20代になった岡崎京子は『漫画ブリッコ』から『スコラ』『平凡パンチ』へ、サブカルエロマンガ誌から青年コミック誌、一般誌へと活躍の場をさらに広げながら、マンガはもちろん、イラストやエッセイなど多数の連載を持つようになった。
しだいに男性向けのメディアだけでなく、女性向けのメディアにもフィールドを拡大していく。1986年に創刊された女子版『宝島』を目指したカルチャー誌『MOGA』(東京三世社)でも、毎号執筆をするようになる。
こうして『セカンド・バージン』『好き好き大嫌い』『ジオラマボーイ★パノラマガール』など初期の代表作が生み出されていった。結果的に、少女マンガ誌に居場所がなかったことが功を奏したのだ。表現媒体が少女マンガ誌という閉じられた世界ではなかったことが街の気分を、時代の気分を読むという岡崎の才能をいっそう開花させたのだ。さらには、移り変わる時代精神を反映しつつ、現実の世界で不安や絶望を感じながら果敢に生きる少女たちの姿を描くという岡崎独自のスタイルを完成させることにつながる。
それこそ、「一人の女の子の落ちかた」であり、従来の王道少女マンガが描いてきたような、運命の相手と出会い恋に落ちるというロマンティックラブ・イデオロギーの物語に回収されずに、現実を生きようとする女性たちの姿であった。
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つづきは、『小泉今日子と岡崎京子』でお楽しみください。