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続・ぶらり世界裁判放浪記

2024.10.27 公開 ポスト

シンガポール編・前編

いきなり連載終了危機!? シンガポールでも最近の裁判はほとんどオンライン!!原口侑子(弁護士)

TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界131ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)。実はそのあとも、彼女の旅は続いていました。本日より、新章開幕!『続・ぶらり世界裁判放浪記』と題して、「シンガポール編」をお届けいたします。

*   *   *

世界を放浪しているときに、ふと裁判所に行ってみたり、現地の弁護士の友人の仕事現場を見たりする。それで、「放浪、ときどき裁判」というちょっと関係がなさそうな経験について書き始めたのだが、開始早々、連載の終了の危機に瀕している。

というのも、シンガポールでは、「最近じゃ裁判はほとんどオンラインで行われていて、現場(法廷)に行っても見られないかもしれないよ」と聞いたからである。裁判所で傍聴できる国は少なくなっていく一方だ。

時はCovid-19もひと段落した2022年末にさかのぼる。空港に降り立つとき、空から見下ろすシンガポールは四角い立方体に見えた。ニョキニョキと上に伸びる灰色の集合住宅はパズルのようで、そのうえに同じくらい灰色い雨雲が被さっていた。最近では昔みたいにスコールがワッと降ってすぐやんで、という天気ではなく、降ったりやんだりなのだという。

その日はもう夕方だったので、友人とホーカー(ほぼ公設のフードコート)でビールを飲み、蛙のお店で蛙肉と粥を食っているうちに終わった。裁判所はまあ行けなくても良いかなという気持ちになっていた。「オンラインでも傍聴できる裁判があるよ」と現地の弁護士の先輩に教えてもらっていたので安心しきっていたのだった。

 

翌日になって先輩らと朝ごはんを食べていると、やっぱり裁判所に行ってみようかと考えを変えた。旅先では考えはころころ変わるものだ。シンガポールの最高裁はマーライオンからほど近い市内中心部にあり、2006年に移ってきたと聞いた。大理石の壁に覆われた高級ホテルのような建物はとりあえずスタイリッシュで、屋上には円盤が乗っている。

前夜に食べた蛙のお粥が辛く、私は腹が痛かった。そういうわけで、最高裁判所に着いたときの最初の感想は「こういうモダンで綺麗な建物ならばトイレも綺麗であろう」という切実なものだった。実際、トイレは綺麗だった。

裁判の手続(期日)が見られると期待していなかったのだが、ダメもとで聞いてみると入れる法廷があるという。私が見たのは2階の一室で行われていた高等法廷の審理だった。(シンガポールは最高裁判所の中に2審目の「高等法廷」と3審目の「上訴法廷」があるという分かりづらい構造である。)

*   *   *

「あなたがキスしたのが上司だからとか15歳年上の女性だからとか、もともと仲が良かったからとかは関係ない。彼女の意思に反してキスしようとした時点で、犯罪は成立しています」

有無を言わせぬ裁判官の言葉。

裁判官と検察官の声は、法廷の壁際にあるスクリーンから流れてきていた。弁護人は法廷の柵の中で、スクリーンを向いて話していた。そのスクリーンは4分割されていて、ひとつに裁判官、ひとつに検察官、ひとつに弁護人、最後のひとつに「物理的な」法廷の様子が映っていた。私たち傍聴人の顔も、四角い画面の一つに小さく映っている。傍聴する私の隣に、被告人のお母さんとお兄さんが座っていた。

「お母さんはもう、弟のことが心配で……」お兄さんが教えてくれた。「それで僕たち、インドの故郷からシンガポールに出てきたんです」

柵の向こうで、弁護人は粘った。

「犯罪が成立してしまったということは認めています。私たちが主張したいのは、被告人の『公の場で、ほっぺたにキスした』という行為に対する罰として、懲役6週間は重いのではないかということ。罰金刑が妥当だと考えます」弁護人は類似の事例の中で、罰金刑で済んだ判例を挙げていった。どうやら控訴審(2審目)のようだ。被告人は1審目の懲役6週間の刑を不服として控訴しており、その審理が行われているのだった。

「弁護人が引用した判例はどれも古い」裁判官は一蹴した。「検察官、言いたいことは」

「特にありません」検察官は早口で答えた。

「それでは検討のために離席します」裁判官の映ったスクリーンがパチンと切れた。検察官のスクリーンもオフになり、画面には私たち「リアル法廷」組の引きの画像だけが淡々と流れていた。

*   *   *

20分ほど経つと、裁判官がスクリーンに戻ってきた。検察官と、裁判事務官のスクリーンがスイッチオンされると、年かさの裁判官はきっぱりと宣告した。

「被告人の控訴を棄却する。被告人は懲役6週間のままとする」

被告人はインド系の若者だった。家族がインドの故郷からやって来ているということで、被告人は刑期をスタートさせるまでの4週間、保釈されて家族と一緒に過ごすことを許された。

「保釈されたのは良かったですね」

保釈されて裁判所の廊下に出てきた被告人に声をかけると、彼はシャイな笑顔で、どうも……と答えた。お兄さんが手を振った。

(つづく)

関連書籍

原口侑子『ぶらり世界裁判放浪記』

世界はこんなにも広く、美しく、おもしろい! ある日バックパッカーとなった東大卒の女性弁護士は、アフリカから小さな島国まで世界131カ国を放浪し、裁判をひたすら見続けた。豊富な写真と端正な筆で綴る、唯一無二の紀行集!

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続・ぶらり世界裁判放浪記

ある日、法律事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出た原口弁護士。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国はなんと133カ国。その目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』の後も続く、彼女の旅をお届けします。

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原口侑子 弁護士

東京都生まれ。弁護士。東京大学法学部卒業。早稲田大学大学院法務研究科修了。大手渉外法律事務所を経て、バングラデシュ人民共和国でNGO業務に携わる。その後、法務案件のほか、新興国での社会起業支援、開発調査業務、法務調査等に従事。現在はイギリスで法人類学的見地からアフリカと日本の比較研究をしている。これまでに世界131カ国を訪問。

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