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パーティーが終わって、中年が始まる

2024.09.23 公開 ポスト

自分の知識も体験も人格も「すべてを共有したかった」あの頃の“インターネット”と“シェアハウス”pha

最新刊『パーティーが終わって、中年が始まる』が話題の元「日本一の有名なニート」phaさん。シェアハウスで過ごした20代、30代を経て一人で暮らす40代。シェアハウスとインターネットはphaさんにとってどんな存在だったのか? 本書より抜粋してお届けします。
また、9月28日には、「phaさんはなぜ自分のことを正直に書けるのか?」講座を開催します。ご参加お待ちしています。

自分の存在はインターネットのひとつの装置

十年くらい一緒にシェアハウスで暮らしていたけれど、最近はあまり会っていなかった友人に、数年ぶりに会った。「とりあえず喫煙所行こうぜ」と言われたので、駅前で喫煙所を探した。

普段はあまり煙草を吸わないのだけど、吸う相手と一緒に喫煙しながら話すのは好きだ。煙草を吸っているとそんなに話さなくても間が持つ気がする。喫煙所という「普段いる場所とは別の、一部の人だけが集まる避難場所のような空間」も好きだ。喫煙所にいると、そこにいる人みんなにうっすらと仲間意識が芽生えてくる。世間では嫌がられている喫煙という時代遅れの悪弊を、未だに捨てられない、合理的ではない我々。

外界から区切られたパーティションの中で、煙をふかす。昔はよく二人で夜中にシェアハウスのそばの川べりに行って、煙草を吸っていた。あの頃に比べると喫煙できる場所もずいぶん減ってしまった。

昔は二人とも暇だったので、だらだらと長い時間を一緒に過ごしていたけれど、シェアハウスのようなたまり場がなくなると、わざわざ連絡をして会うのも変な感じがして、あまり会わなくなっていた。

だけど、顔を合わせるとすぐに昔の空気が戻ってきた。お互いの近況や、共通の知人のその後などについて話した。当時の知人たちは、ネットから姿を消してしまって、連絡が取れなくなった人も多い。

シェアハウスにいた頃は、僕も彼もまともに働いていなくて、お金はないけど時間だけはあり余っていたので、ネットに無償でいろんなものを発表したり、ネットの人を家に呼びまくったりと、ひたすらインターネットで遊んでいた。あの頃はネットがあれば何でもできると思っていた。

(Image by ahmad baiquni from Pixabay)

「そういえば、昔はさ」と彼が言った。

「うん」

「ネットでほしい物リストを公開して物を送ってもらったり、ネットで会った人にメシをおごってもらったりとか、しょっちゅうやってたじゃん」

「やってたね」

昔はお金のない自分のことをよくコンテンツにしていた。そうするとネットのみんなが面白がってくれたから。

「でも、今はああいうの全くやりたくなくなっちゃったよ」

その気持ちはわかる。自分も同じことを感じていた。

「なんなら今は、ほしい物リストを公開してる人を見るだけで、昔を思い出してちょっと嫌な気分になるよ」

僕も彼も当時は無職だったけれど、今は二人とも普通に仕事をしてお金をもらっている。大して稼いでいるわけではないけれど、シェアハウスで毎日わけのわからない生活をしていた頃に比べれば、ずいぶんとまともな生活をしている。

お金がすべてではないけれど、なんだかんだ言っても、お金はあるほうがラク、というのは確かだ。でも十数年前のあの頃は、お金がないことが苦ではなくて、むしろそのほうが面白い、と思っていた。

お金なんてある奴やつが出せばいい。お金のあるなしと面白さは関係ない。自分は金を持ってる奴らよりも面白いことをし続けてみせる。そう考えていた。

その考えの変化は年齢によるものもあると思うけれど、当時のインターネットの雰囲気に影響を受けていたのもあると思う。

パソコンのオタクのことをギークと呼ぶ。ゼロ年代の頃は、ネットユーザーに新しいもの好きのギークが多かったので、ネット空間にはギークカルチャーの影響が強くあった。僕はそんなにギークではなかったけど、ネットで会う人はプログラマなどのウェブ系エンジニアが多かったので、ギークカルチャーは身近な存在だった。

ギークたちは共有が好きだった。みんな自分の書いたプログラムのコードや文章をネットで公開していた。何かの成果物は、一部の人間が独占するのではなく、できるだけ広く無料で共有されるべきだ、という理念がゆるく共有されていた。

ギークのあいだでは「オープンソース」と言って、プログラムのソースコードを無料で共有する、ということがよく行われている。それが世界全体の進歩につながる、という信念があるからだ。

ギークに限らず、昔からカウンターカルチャーは共有を理想とすることが多い。七〇年代くらいのヒッピーカルチャーなんかもそうで、私有ではなく共有を理想とする、コミューンという村があちこちに作られたりした。

ただ、お金や食べものや住居などの、物理的なものは無制限に共有するのが難しい。しかし、コンピュータ上のデータなら、無料でいくらでも共有できる。そこに新しい可能性があるように思えた。

そんなインターネットの共有の雰囲気に乗っかって、僕はネットの知らない人からしょっちゅう物やお金をもらっていた。

感謝の気持ちはあったけれど、へりくだる気持ちはあまりなかった。人にお金をあげるのは面白いことだから、知らない人にお金をあげるという娯楽をみんなに提供しているのだ、と考えていた。

僕自身がお金をもらうのと同時に、自分よりお金がない人には気軽にお金をあげたり貸したりするようにしていた。

大切なのは、お金を稼ぐことではなく、お金を気軽にあげたりもらったりするという空気を作り出すことだ。そのサイクルの中にいれば、まあ大体のことはなんとかなるはずだ。

自分は多分、もともとあまり所有欲や独占欲が強くない性格なのだと思う。だから、いろんな物を誰かと共有するというやり方がしっくりきた。

新しいゲーム機を買ったとき、自分ひとりで遊んでいても面白くない。他の人も自由に使っていい。その代わり、他の人のものも自由に使わせてほしい。みんなが自分のものを共有するようにすれば、お金がなくても豊かに暮らせるはずだ。ネットの人が集まるシェアハウスを始めたのはそんな考えがあったからだ。

あの頃は、自分の物やお金について、それが自分のものである、という意識が薄かった

すべてをゆるく誰かと共有している感じがあった。物についても、自分の持ち物はシェアハウスの中でほとんど共有していたので、あまり自分のものという意識はなかった。お金もそうだ。世の中にぐるぐる回っているお金を適当にもらったりあげたりしていれば、なんとかなるような気がしていた。

誰か僕に2000億円くらいくれないかな。僕だったら、自分自身の利益のためにお金を使わず、多くの人が楽しく過ごせるように使う自信があるのに。お金がなくてもみんなが面白く暮らせるビルを建てるとか。そんなことをよく考えていた。

当時、自分の考えたことや体験したことを、垂れ流しのようにできるだけ全部ツイッターやブログに書くようにしていたのも、同じ思想に基づいていた。

自分の知識や体験、そして自分という人格を、自分だけのものにするのではなく、ネットで薄く広く共有したかった

僕は他の人がしないようなことをして、それをネットで全世界に向けて公開するから、みんなそれを楽しんでくれたらいい。面白かったら、たまに物やお金を送ってほしい。そのお金で僕はもっと面白いことをする。けっして自分自身だけのためには使わず、みんなが楽しめるようなお金の使い方をして、それをまたネットでみんなに共有するから。

当時は自分自身のことを、個人というよりも、インターネットに薄く広がるひとつの装置のように感じていた

シェアハウスをやめて、一人暮らしを始めてからもう五年になる。

五年も経つと、ずいぶん物が増えてしまった。勢いで買ったけどほとんど着なかった似合わない服や、一回しか使わなかった焚たき火台や、安いから買ったけど操作性が悪すぎたゲームのコントローラーや、その他さまざまな、どうでもいいガラクタたち。

昔は使わなくなった物はシェアハウスの同居人やネットの人にあげたりしていたけど、今はそういう関係性の人もいない。

押入れいっぱいに、自分だけしか使わない、自分さえも使わない、どうでもいいつまらない物が詰まっている。全部捨ててしまいたい。

この物たちも、冷蔵庫も押入れも風呂場もリビングも、この家の中にあるものはすべて自分以外の人間が使うことはない。

昔はそれをもったいないことだと思っていた。どんな物でも自分ひとりだけで使うことに罪悪感があった。今でも若干そういう気持ちがある。しかし昔みたいにいろんな人と共有をするのもなんだか疲れてしまった。

昔は、自分という存在が薄く広く、シェアハウスやインターネットという空間に開かれていた。自分と他人との境界線が薄くて、自分のものはみんなのもので、そしてみんなのものは自分のものだ、それが理想的な状態なのだ、と感じていた。

昔は曖昧だった、ここまでが自分でここからは他人だ、という境界線が、今ははっきりとしてしまった。

そのせいか、人に物をあげるのも、人にお金を貸すのも、昔より抵抗が強くなった(それでも他の人よりは気軽にやるほうだと思うけれど)。

人に物をあげるとき、「これはひょっとして自分が損をしているのではないか」という考えが少し頭をよぎるようになった。昔は、「別に返ってこなくてもいい」「むしろそのほうがネタになるし面白い」と思って気軽にお金を貸していたけど、今は「貸したお金が返ってこないと嫌だな」という普通のことを考えるようになった。なんてつまらないんだろう。

自分が働いて、自分のお金を得て、それを自分のために使う。完全に一人で完結している。

そんなことをやっても何も面白いことが生まれなそうだ。でも、普通の生活というのはそういうものなのだ。

たまにインターネットで、無謀で不安定な生き方をしている若者を見かけると、応援したくなってしまう。

そのままがんばってほしい。ふらふらとした生活を貫いてほしい。お金や物が必要なら、ネット経由で送ってあげたい、と思う。

そこで気づく。そうか、昔の自分にお金を投げてくれていたのは、普通の家に住んで普通の生活をしていて、そしてそんな毎日に物足りなさを感じながらもそれ以外のやり方もできないでいる、今の自分みたいな人だったんだな

9月28日(土)「phaさんはなぜ自分のことを正直に書けるのか?」講座を開催!

phaさんのさりげないけど、惹きつける文章の秘密に迫ります。申し込み方法は幻冬舎カルチャーのページをご覧ください

関連書籍

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』

定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より 若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』

家にいるのが嫌になったら、突発的に旅に出 る。カプセルホテル、サウナ、ネットカフ ェ、泊まる場所はどこでもいい。時間のかか る高速バスと鈍行列車が好きだ。名物は食べ ない。景色も見ない。でも、場所が変われば、 考え方が変わる。気持ちが変わる。大事なの は、日常から距離をとること。生き方をラク にする、ふらふらと移動することのススメ。

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パーティーが終わって、中年が始まる

元「日本一有名なニート」phaさんによるエッセイ『パーティーが終わって、中年が始まる』について

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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