TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界131ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)。実はそのあとも、彼女の旅は続いています。そこで「続」をつけて、新章開幕!
本日は「バリ編(後編)」をお届けします。バリ編(前編)はこちら。
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傍聴の夢破れた宗教裁判所からスクーターを15分ほど走らせたあたりに、「一般裁判所」があった(※)。
そう、いかにバリ人が敬虔なバリヒンドゥー教徒であれ、いかにインドネシア人が敬虔なイスラム教徒であれ(そしてキリスト教徒が多く住む近くのクリスチャンの島フローレスの人々がいかに敬虔なクリスチャンであれ)、ここはインドネシア政府のもとにある島。世俗的なことがらは世俗的な裁判所で裁かれるのであった。
今度の敷地は先ほどの宗教裁判所よりひとまわりもふたまわりも大きく、中には5つの法廷があるようだ。外廊下を抜けた細い入り口に金属探知があり、通る人通る人ピーと音を鳴らしていたが、誰も気にしなかった。
ピーと音を響かせながら中庭に足を踏み入れると、何重にも連なったベンチに地元の人が腰かけている。そこが待合室になっているようだ。奥の方には小さいカウンターもある。
正攻法で行くとまたレターうんぬんということになりかねないので、ひとまず人が気楽に出たり入ったりしている公開されてそうな部屋に私も入ってみることにした。携帯を耳に当てながら入っていく人たちもいる。
ひとつめの法廷には「Ruang Sidang SARI」と書いてあり、法服を着たおじさん裁判官が前に座った中年の男女に対して和やかに語り掛けているところであった。名前を変更するとかで、家事審判なのではないかと思ったが、詳しいことはわからなかった。裁判官は最後に二人に「シャンティ、オーム、オーム」と話しかけ、終始和やかにシャンティな法廷は終わった。ヨガで聞いたことのあるやつだと思った。
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「これは、汚職の事件ですよ」
次に入った法廷で、中年のバリ人男性が教えてくれた。「Ruang Sidang CAKRA(チャクラ)」という名の、最初に入ったシャンティな法廷よりひとまわり大きい部屋だった。壁際には裁判官3人、左右に弁護士と検察官が座っている。起訴された被告人は留置所にいて、スクリーンに映って参加しているらしいが、スクリーンは裁判官の方に向いていて私には見られない。柵の中にいる4人は証人ということだった。こちらの法廷では写真OK、OKなんて言ってくれる人もおらず、みんな静かに座っている。
「デンパサール市の職員――ごみ処理課のドライバーさんですね――が、ガソリンスタンドでガソリン券をちょろまかしたらしい」中年傍聴人はひそひそと教えてくれる。「4、5リットル分程度のチケットしか与えられていないのに10リットル以上を入れたという話です」スクリーンに映っているのがその起訴された職員らしい。
「今日はどんな期日なのですか」
「今日は証人尋問です。中にいる4人はガソリンスタンドを経営する会社の役員、副社長、課長、現場の係です。彼らは、自分たちは何の利益も受けていないと主張しています。そりゃそう言いますよね」
検察官が3人もついていた。警察はスピード違反で外国人を捕まえてはちょこちょこと小銭を稼いでいるが、せいぜい10リットル分のガソリン券ちょろまかしでも検察官を大量投入しているというのはある意味興味深い発見であった。島を挙げて汚職撲滅に真剣に取り組んでいるということを伝えるいい機会なのだろう。
ガソリン1リットルは当時の値段で100円(10,000ルピー)程度であった。私が内陸から裁判所をスクーターで往復したことですでに数リットル、つまり300円ほど使っているのだった。
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「こうやって、小さな犯罪で小市民を裁いて、『ちゃんとやってる』感をアピールしたいんだ。当局は」、インドネシア人の友人がビンタンビールを片手に言う。
「結局スケープゴートにされるのは名もなき人びとなんだよ」
可罰的違法性を考えようという議論が日本にもある。
たしかに悪いことをした、でもその行為はここまで罰を受けることなのか、「罰を与えうるほどの違法性なのか」という視点での議論である。600円でも1,000円でも悪いものは悪い。それはそうだ。だけど、それに対して検察官3人、裁判官3人が付くのはなかなかけっこうな大ごとではないか。当局は罪を罰から考えはしないのだろう。
「お金を持っている人たちは、ちょっとした汚職を追及されてもちょっとした袖の下を払って終わらせてしまうからね。戦うことができない人たちが、こうやって裁かれる」ーーインドネシア人の友人に続いて、バリ人の友人もまた、冷ややかに笑って言った。
「バリの裁判官は、ほかにやることがないのかもしれない」
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バリ編(後編)了。
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続・ぶらり世界裁判放浪記
ある日、法律事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出た原口弁護士。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国はなんと131カ国。その目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』の後も続く、彼女の旅をお届けします。