ベストセラー『最貧困女子』などで知られる気鋭の文筆家、鈴木大介さん。脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害を抱えたことで、多くの貧困は「脳」に原因があることに気づき、貧困は決して自己責任ではないという確信を深めたといいます。約束を破る、遅刻する、だらしない……そんなイメージで見られがちな貧困当事者の真の姿とは? 鈴木さんによる話題の最新刊『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』より、一部をご紹介します。
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「奇妙な違和感」の正体とは?
師岡瑞葉さん(当時32歳)と出会ったのは、「不動産ローン破綻」の当事者取材の中でのことだった。
瑞葉さんが頭金ゼロのフルローンで2400万円のマンションを購入したのは、26歳の頃。だが購入から5年後だった取材の時点で、ローンの滞納が約半年間。そのままではマンションが競売にかけられることはほぼ確定ということで、任意売却業者が介入したタイミングでの、取材スタートとなった。
「少し前までは銀行から手紙とか電話が来てたんです。でも先月ぐらいに、何か知らない保証会社ですっていうところから連絡が来るようになりました。
それでいきなり、ローンを払えではなく、あなたのローンは既に自分たちが全額立て替えて銀行に支払い済みだから、立て替えたローン残額と遅延損害金を一括で払えと。そんなことを一方的に言ってきて。でも、わたしがお金借りたのは銀行だし頼んだ覚えもないし。
でも、後から考えたらマンション買った時にお世話になった保証会社さんなんですね。初めわからなくて、パニックになったんです。もちろん払わない自分が悪いのはわかってますけど、それにしたっていきなり一括とか、どう考えても無理ですよね。電話も何か声の大きい男の人で、脅迫みたいな感じで……」
桜新町界隈、首都高沿いの小さなカフェの細い階段をゆっくりゆっくり上ってやってきた瑞葉さんは、元は建築デザイナーをしていたという。
服装こそ小ぎれいでリムレスのメガネがしっくりくるが、そのせいでバサついた髪の毛が余計に目立ってちぐはぐに感じる。語尾は途切れがちで、その長身の背中を何かから身を守るように丸めてぼそぼそ声で話す人だった。
「保証会社の人は、それまで銀行さんの方から払えないなら払えないでどうしようって提案を散々出してきたはずだ、とか言うんだけど、実際には銀行からは手紙しか来なかったし、電話が来ても封筒開けて読んでくださいって言われるだけだったような気がする。
そんな中でこっちの事情とか全然無視して話が一方的に進められて、本当にあっという間に、寝て起きて気づいたらこうなっちゃってた(競売の期日通知が来た)って感じなんです」
いわゆる、「期限利益の喪失(金融機関が支払い契約を守らない債務者に対して、分割払いをする権利を無効にすること)後」のケース。瑞葉さんは「知らないうちに」「いきなり」を強調したが、いずれにせよ、そのまま放置すれば2カ月を待たずに彼女の住むマンションは競売開始となり、強制的な退去を迫られることとなる。
督促状を開封すらしていなかった……
だが、まだ絶望ではなかった。
彼女は、その時点で住宅ローン以外にクレジットカードのキャッシングやリボ払いの滞納も数社抱えている典型的な多重債務状態ではあったものの、幸いなことには自宅マンションは立地条件も良く築浅で、設備もそこそこ丁寧に使っていた。
これなら競売になる前に任意売却業者を介して市場価格付近の金額で売却できれば、残債を大きく減らして生活再建もできなくはないケースだ。売り急いで変に買い叩かれないよう、一日でも早く売却に出してしまいたいタイミングだった。
だが、彼女の話の端々で、僕はたびたび腑に落ちなさを感じて引っかかった。
というのも瑞葉さんは、そもそも銀行から届いた「重要・必ず開封してご確認ください」と書かれた封筒を、内容証明郵便で直接受け取っておきながら、そのほとんどを開封していなかったというし、
「え、でも銀行から来たって電話も実際には着信時に応答したわけじゃないんで、留守電で聞いたんです」
などと、すっとぼけた様子で、残してあった留守電を聞かせてくれたりもする。
なお、実際に聞いたそれは、事務的な女性の声ではあるものの、手短かつ丁寧にローンの支払い期限と封書の開封をお願いする旨を伝えるものだった。
「こっちの時間が空いて電話かけ直した時には、向こうは営業時間外です。でも留守電に開封してくださいだけじゃなく、中に何が書いてあるのか言ってくれればよかったのにとは思います。実際開封してみても、素人にはわからない専門用語多くて、字も小さくて、何だかよく意味がわからなかったですけど」
要するに、どうにも瑞葉さんは他人事のような口調なのだ。
腑に落ちないことは、他にもある。
そもそも住宅ローンの支払いが困難になった主因は勤めていたデザイン事務所を1年ほど前に退職して収入が断たれたことだが、なぜか彼女は在職中にもその後にも、傷病手当金、失業手当金のいずれをも受給していない。
聞けば「会社から離職票を2回もらって2回失くした」だとか、「そんな何カ月も前のことなんてあまり憶えていない」「いっぱいいっぱいだったんで」などなど。
さすがにこの期に及んで何を言ってるのかと突っ込みたくなった。
ぼそぼそと語る瑞葉さんの細い手首には、陶磁器みたいに艶のあるベルトがついた腕時計が光る。そのダイヤルに、シャネルのロゴが見えた。時計のことはさっぱりわからないが、後に調べたら、初代J12というモデルで、そこまで高額ではないにしても、売れば優に2桁万円以上にはなる代物のようだ。
自身の状況を他人事のように語る口調。危機的な状況にもかかわらず、この破局寸前まで、彼女は寝て待っていたというのか? カードローン未払いで銀行口座の差し押さえを恐れているなら、なぜまずその時計を売って返済に充てないのか?
終始、そこに本人が不在のような奇妙な違和感。本人よりも僕自身が焦っていることへの苛立ちも感じつつ、当座の取材を終えた。
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Amazonオーディブル『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』の〈鈴木大介と語る「『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』から学ぶ脳と貧困の関わり」〉で著者と編集者の対談も配信中
貧困と脳
約束を破る、遅刻する、だらしない――著者が長年取材してきた貧困の当事者には、共通する特徴があった。世間はそれを「サボり」「甘え」と非難する。だが著者は、病気で「高次脳機能障害」になり、どんなに頑張ってもやるべきことが思うようにできないという「生き地獄」を味わう。そして初めて気がついた。彼らもそんな「働けない脳」に苦しみ、貧困に陥っていたのではないかと――。「働けない脳=不自由な脳」の存在に斬り込み、当事者の自責・自罰からの解放と、周囲による支援を訴える。今こそ自己責任論に終止符を!