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貧困と脳

2024.12.16 公開 ポスト

時間や約束を守れなくなった元デザイナー・32歳女性…それは「不自由な脳」の症状だった鈴木大介(文筆家)

ベストセラー『最貧困女子』などで知られる気鋭の文筆家、鈴木大介さん。脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害を抱えたことで、多くの貧困は「脳」に原因があることに気づき、貧困は決して自己責任ではないという確信を深めたといいます。約束を破る、遅刻する、だらしない……そんなイメージで見られがちな貧困当事者の真の姿とは? 鈴木さんによる話題の最新刊『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』より、一部をご紹介します。

*   *   *

どんなに努力しても守れない……

瑞葉さんは、初めに自身に違和感を感じたこととして「時間通りに起床しているのに、なぜかいつもの電車に乗れずに遅刻する」というエピソードを証言していた。また、こんなエピソードもあった。

「顧客提案に過去の紙資料が必要になって、起業する前に勤めていた工務店に行ったんです。でも、以前だったらすぐに探せただろう資料が全く見つからなくって、自分でも信じられないぐらい時間が経っていたことがあった。結局その時は、心配した部下がわざわざ探しに来てくれたんですけれど……」

その際を振り返って瑞葉さんは「自分でも知らないうちに気を失っていたのかと、自分を疑った」と語っていた。

なお、瑞葉さんは取材時にもそこそこの遅刻魔だったが、本来は体育会系で遅刻は絶対にせず、仕事の納期オーバーなども過去には経験のなかったことだったと弁明を重ねていた。「どうにも時間の感覚が狂っている感じがする」などとぼやいてもいた。

いずれにせよ、こんな瑞葉さんを職場のパートナーとして見た時の評価は、「時間にルーズな人間」だったろうし、度重なる大幅な遅刻は少なくとも日本のビジネスの場での禁忌だろう。

 

だが実は、この「約束の時間を守らないこと」「時間にいい加減なこと」こそは、貧困当事者の取材活動の中で感じ続けていた彼らの大きな共通点だった。

瑞葉さんはそこまでではなかったものの、約束の期日を二度も三度も「都合が悪くなった」とリスケしてきたり、「いまから行きます」の連絡から3時間や5時間の遅刻をしてくるなんてのはザラ。度重なる「すっぽかされ」や「待ちぼうけ」の中で、かつての僕はもはや「なぜ?」と思いすらしなくなるほどに、感覚が麻痺していたものだ。

もちろん、これは日本人基準で日本社会で生きていく上ではかなりの論外な悪癖だが、過去の書き手としての僕はこう思ってきた。

 

――確かに彼らは他者から見たら責任感がない非常識な人間だと思われ、排除されてきただろう。それが常態化していたら、一般的な就労も難しいだろう。

けれどきっと彼らには、時間を守る・約束を守るという習慣を学ぶ機会がなかったか、守らない人ばかりのコミュニティで育ってしまった。または精神疾患などによる見えない不自由の中に「時間を守るのが苦手な特性」があるのかもしれない。

いずれにせよ、彼らが約束を守れないことは、責めるべきことではなく、そうした彼らのだらしない姿をそのままに描写することは、自己責任論の火種になるから、避けるべきだ――

 

などとまあ、よくも知ったような面をしてきたものだと、腹立たしく思う。

というのも過去の僕は、何らかの症状として時間が守れなくなることがあるとしても、それは睡眠障害や薬の副作用などで時間通りの起床が難しいことなどが主因で、しっかり目覚めていればある程度自身の努力で調整が可能な程度だと思っていた。

もちろんADHDなど発達特性のある者の中に時間を守ることが難しいケースが普遍的なことは知っていたが、療育の現場で採用されているような様々なライフハック(生活習慣や代償手段)を取れば解消可能なものだと思っていた。

つまり僕は、まさか「必死になって時間や約束を守ろうと頑張っても、どんなに努力しても守れない」なんて事態がこの世にあり得るものだとは、やはり思ってもみなかったのだ。

実は「不自由な脳」の症状だった

不自由な脳になって以降、僕は約束をすっぽかしたり、待ち合わせの時間に遅刻したり、約束ごとのダブルブッキングを何度も繰り返すこととなった。

病前は取材対象者の属性(不良・ヤクザ等)などの事情もあって「約束の1時間以上前に現地入りするのが当然」というルールを厳密に自らに課して働いていたから、当然遅刻やすっぽかしの経験はほぼ皆無だ。

そんな僕が発症後にいきなり約束の守れない人間になった。約束に間に合わず、すっぽかし、失敗を重ねるたび、取り返しのつかない信用失墜から自分を消したいような自己嫌悪に苛まれることとなった。

けれど、脳の不自由、つまり脳の情報処理機能が低下することがなぜ約束破りにつながるのだろう? その機序は、病前の僕が全く想像もしていないものだったのだ。

例えばなぜ遅刻するのか?

自分の中に異様な症状があることに気づいたのは、ある冬の朝のことだった。

 

その冬の朝、車で出かけようとした僕は、エンジンをかけた後にふと財布やスマホがないことに気づいて家に引き返したが、再び車に戻ってギョッとすることになった。

時間がおかしいのだ。自身の感覚では5分10分しか経過していないはずなのに、車の時計が示す時刻では30分ほどが経過していた

いやいや、庭の駐車場にある車から家に戻り、ちょっと探し物をして戻っただけ。確かにスマホも財布もなかなか見つからなくてイラついたけど、余計なことをしてはいない。別に貴族のお城に住んでるわけじゃないから、車から玄関までは歩いても十数秒で足りる。

何かの間違いでは? と疑うが、真冬の朝、ついさっきエンジンをかけた時は凍えるようだった車の中は、もうガンガンにエアコンで暖まっているのだ。

大急ぎで向かう先の相手に遅刻の連絡を入れながら、目の前に突きつけられた謎の時間経過を、猛烈に気味悪く思った

もしや僕は、財布やスマホを探す間に気を失っていたのではないか?

脳梗塞が再発したのではないか?

だがその後も、「確実に間に合う時間に準備を始めているのに、時間通りに家を出られない」「確実に間に合う時間に家を出たのに、約束の時間にたどり着けない」ことで取引先に迷惑を重ねる中で、やっと「これは症状なのだ」ということが、見えてきた。

*   *   *

Amazonオーディブル『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』の〈鈴木大介と語る「『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』から学ぶ脳と貧困の関わり」〉で著者と編集者の対談も配信中

関連書籍

鈴木大介『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』

自己責任ではない! その貧困は「働けない脳」のせいなのだ。 ベストセラー『最貧困女子』ではあえて書かなかった貧困当事者の真の姿 約束を破る、遅刻する、だらしない――著者が長年取材してきた貧困の当事者には、共通する特徴があった。世間はそれを「サボり」「甘え」と非難する。だが著者は、病気で「高次脳機能障害」になり、どんなに頑張ってもやるべきことが思うようにできないという「生き地獄」を味わう。そして初めて気がついた。彼らもそんな「働けない脳」に苦しみ、貧困に陥っていたのではないかと――。「働けない脳=不自由な脳」の存在に斬り込み、当事者の自責・自罰からの解放と、周囲による支援を訴える。今こそ自己責任論に終止符を!

鈴木大介『最貧困女子』

働く単身女性の3分の1が年収114万円未満。中でも10~20代女性を特に「貧困女子」と呼んでいる。しかし、さらに目も当てられないような地獄でもがき苦しむ女性たちがいる。それが、家族・地域・制度(社会保障制度)という三つの縁をなくし、セックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない「最貧困女子」だ。可視化されにくい彼女らの抱えた苦しみや痛みを、最底辺フィールドワーカーが活写、問題をえぐり出す!

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貧困と脳

約束を破る、遅刻する、だらしない――著者が長年取材してきた貧困の当事者には、共通する特徴があった。世間はそれを「サボり」「甘え」と非難する。だが著者は、病気で「高次脳機能障害」になり、どんなに頑張ってもやるべきことが思うようにできないという「生き地獄」を味わう。そして初めて気がついた。彼らもそんな「働けない脳」に苦しみ、貧困に陥っていたのではないかと――。「働けない脳=不自由な脳」の存在に斬り込み、当事者の自責・自罰からの解放と、周囲による支援を訴える。今こそ自己責任論に終止符を!

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鈴木大介 文筆家

文筆家。子どもや女性、若者の貧困問題をテーマにした取材活動をし、『最貧困女子』(幻冬舎新書)、『ギャングース』(講談社、漫画原作・映画化)、『老人喰い』(ちくま新書、TBS系列にてドラマ化)などを代表作とするルポライターだったが、2015年に脳梗塞を発症。高次脳機能障害の当事者となりつつも執筆活動を継続し、『脳が壊れた』(新潮新書)、『されど愛しきお妻様』(講談社、漫画化)など著書多数。当事者としての代表作は、援助職全般向けの指南書『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院・シリーズケアをひらく・日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)。近著に『ネット右翼になった父』(講談社現代新書、キノベス! 2024ランクイン、中央公論新社新書大賞2024第5位)、『貧困と脳』(幻冬舎新書)など。

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