ナチュールワインについて書かれたマンガと思って読み始めたら、とんでもなかった。マンガといっても、フランスで「バンド・デシネ」とよばれるジャンルの本で、娯楽性を求めたものというより、「マンガの体裁をとりながら、芸術性、社会性、文学性の高いテーマを積極的に選んで表現する作品」であり、作中には専門用語の解説が出てこないので(巻末の解説文ではくわしく触れられている)ワインの知識がないとやや面食らうかもしれない。
バンド・デシネ作家として地位を築いている著者エティエンヌ・ダヴォドーは作中の主人公のひとりでもある。そして自分がバンド・デシネについて教える代わりに、ワインについて教えてほしいと、もうひとりの主人公、ヴィニュロンのリシャール・ルロワに掛け合うところから物語は始まる。冒頭に描かれたふたりのやりとりは、どこかチャーミングで、楽しいことが起きる予感に満ちている。コマ数も文字数も少ない(普通のコミックより文字は多い)のに期待を持たせるのは、バンド・デシネというジャンルの個性、そして作家の力量なのだろう。
冬のブドウ畑での剪定から始まる約1年間が、ふたりのやりとりを軸に描かれていく。ヴィニュロンというのはフランス語でワイン生産者のことで、ブドウの栽培からワインの瓶詰めまでの全工程を担う。読んでいくとその仕事がよく理解できるのだが、特に「ビオディナミ農法」について描かれた第5、6章が興味深い。ビオディナミには、天体の動きに応じて宇宙のパワーを取り入れるといったややオカルト的な要素が入ってくる。私はそういったものが嫌いではないが、本書の舞台であるフランスでも、ビオディナミを揶揄したり否定したりする動きはあるそうだ。だが疑心暗鬼でビオディナミの世界に足を踏み入れたエティエンヌが描くからこそ、読者には思想の内面がいい塩梅でよく伝わってくる。そして1年を通じたリシャールの具体的な作業を見ていくと、生産者が何を信じてワインと向き合っているか、いかに彼がブドウ畑とブドウそのものに手をかけ愛情をかけているかがわかる。それと同時にブドウの持つ力を信じ、その行く末をまかせているようでもあり、まるで子育てとおなじだなと思ってしまう。
ワインについてだけでなくバンド・デシネについても、読者も初心者としてリシャールと同時に教えをうけていく。他のワイン生産者やバンド・デシネ作家を訪ねていくことも多々あり、そこでは常に、個性豊かな者同士の穏やかなぶつかり合いが起こり、度々生まれる議論も興味深い。ワインとマンガ、相容れないようで全くそんなことはない。ワインについてもっと知れたらいいと思って読み始めたが、私はバンド・デシネが気になり、本書に登場する他の本にも手を伸ばすつもりでいる。
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