下町ホスト#26
私の頬は緩み口角が滑らかに上がった
「てめー何笑ってんだよ」
眼鏡ギャルは私の表情を見て、更に怒りが滲み出す
私の行き場のない感情が心臓辺りから全身を駆け巡り、ただ薄っすらと一回だけ口角を押し上げて笑みを作ったのだ
自分の作り出した表情に驚いた私は、すぐに口角を意識的に下げ、目尻に力を入れながら眼鏡ギャルの長い睫毛の下にある瞳を覗き込む
眼鏡ギャルは一通り、この世で汚いと分類される言葉を吐いてから、近くにいた痩せ細った内勤者を呼び、昨日と同じお酒を乱雑に頼んだ
すぐさま内勤者が丁寧に酒を運んできて、無言のまま眼鏡ギャルがそっとグラスに口をつけ、まだコースターの置かれていない硬いテーブルに乱暴に置いた
私はカラーコンタクトレンズによって人工的に青く見える瞳を見ながら、ごめんなさいと凡庸な音を並べる
「いや、笑ったままで終わらせとけよ」
「ごめん」
「やっぱりめんどくせーやつだな、忘れさせろクソが」
私は自分の意思で、もう一度笑ってみたが、すぐさま眼鏡ギャルは鋭いヒールで私の革靴を踏みつけ、鈍い痛みで口角は下がった
「その女店来るの?」
「うん、たぶん」
「いつ?」
「たぶん今日」
「お前、ほんとに全部言うんだな」
「許してやるから店終わってから付き合え」
「うん」
「誘われて嬉しい?」
「うん」
「許してもらえて嬉しい?」
「え? 許してくれたの」
「、、、まあいいや」
「あたしの言うことは全部聞くんだよね?」
「もちろん」
私が力強くそう言うと眼鏡ギャルは煙草に火をつけて、閉鎖的な天井を見つめながら大きく溜め息をついた
切り替えたように表情が柔らかくなり、ワントーン高い声でまた近くに立っている痩せ細った内勤者に声を掛け、私の酒やそんなに食べたそうでもないフードを幾つか注文した
フード以外の物が到着する頃に、このホストクラブの中堅と呼ばれるホスト達がやってきて、眼鏡ギャルを崇めるような会話が続く
長い爪を時折テーブルに突き立てながら、安っぽい神のような喋り口調でひとりずつ軽快に罵り、ホストクラブらしい雰囲気に変わってゆく
会話に入らず眼鏡ギャルの顔色を窺っていると胸ポケットに折りたたんでしまってある携帯電話が数回震えた
僅かな私の挙動を見逃さなかった眼鏡ギャルは青色の眼光を飛ばす
「いいよ、さっさといけよ」
私は頷いてから、かなり席から離れた位置まで移動して、携帯電話を開いて詳細を確認する
君から、お店行けそうだけどどうする? とメールがあり、嬉しいはずの心臓は少し重くなった
私は席に戻り、ヘルプ達から神のように崇められている眼鏡ギャルに、このことを告げた
眼鏡ギャルは思ったよりもあっさりと、適当に端的な返事をしてヘルプ達と話し直した
私は適度な距離を保ちながら、会話に参加し、パラパラ男がヘルプにきてくれた辺りで、そっと席を離れ、君を迎えに店を出た
真反対を向いて歩いている私を見つけるなり、君は黙って駆け寄って、細い体で抱きついた
君はいつかの柑橘らしき強い香りを纏い、先ほどより濃いメイクを下町のネオンが照らす
店の扉は昨日より冷たく軽くて、あっさり開いた
いつの間にか私の歩幅は大きくなり、あの人の真似するように君をテーブルまでエスコートして、少し深めにソファに腰掛けた
君はそんな私の態度を品定めするようにゆっくひと口を開く
「さあ、何を飲もうかしら」
「ドンペリじゃない?」
「なに? 強気ね」
「ホストなんで」
高鳴っていた心臓の鼓動が止んで、私の冷たい手はやや強引に君の指先に触れた
「路傍」
よく晴れた午後の小さな隙間からしんなり消えたメタモルフォーゼ
冷静に私の熱を奪いゆくニンゲンひとつニンゲンふたつ
昼過ぎに刃物の先で叩かれて鱗もろとも破けた未来
お隣の柑橘臭い陽だまりに君は鋭いヒールを刺した
大腸に溜まったままの平和ごと愛しておくれ砕いておくれ
歌舞伎町で待っている君を
歌舞伎町のホストで寿司屋のSHUNが短歌とエッセイで綴る夜の街、夜の生き方。
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