
TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界133ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)。現在も旅を続けている彼女の紀行をお届けする本連載。
本日は「マレーシア編」の後編です。前編はこちら。
「20年も法律専門書店をやっているよ」店主のジョシュア氏が笑って言う。
「私、はじめてマレーシアの裁判所に来るので、何か”マレーシア法概論”みたいなのがあったら読んでみたいのですが」聞いてみると、
「そう来たらおすすめの本がある」とジョシュア氏が取り出したのは1,061ページに及ぶ『マレーシアの法律制度』という本だった。
こんな2、3キロもありそうな重い本を買うわけもないが、ちょっと見てみようと思って開くと、「マレーシアの慣習法」「イスラム法」「司法アクセスとテクノロジー」などという面白そうな目次が次々と目に飛び込んでくる。
「どう?」
「とても面白そうなのですが、もっと簡単で薄くて、手近なものがあったらいいなーとか……」
「そうだなあ。学生向けだとそういう本もあると思うが、うちは実務家向けだから、その本が一番基礎的なレベルになるなあ」
「ですよね~」
と、気づいたらその本が手の中にあった。振りかざすと武器になりそうな重さだった。
少し経ってスマホに「ご利用のお知らせ お買物:JPY8,771」という通知が届いた。
その後、別の法廷で、「上場に向けた投資の合意がうまくいかなかったことにまつわるトラブル」事件が英語で審理されているのを見て、そこの冷房が強すぎて、冷え冷えしながら外に出て裁判所の写真を撮った。
建物はモスクのような丸屋根であったが、リバーサイドにある旧裁判所のコロニアル様式の名残りを少し感じた。裁判所から振り返ったところにある「連邦直轄領(Wilayah Persekutuan)モスク」は色気がない名前ながら、緑の屋根がお堀ばたに映り、午後の光に焼かれて石っぽく、まぶたの奥に残った。
そのまま私は配車アプリで車を呼び、ペトロナスツインタワーの隣にある57階のルーフトップバーに上って、日が暮れるまでビールを飲んだ。エレベーターを乗り継ぐたびにセキュリティの人たちは私の足元のスニーカーに一瞥をくれた。ドレスコードが厳しい。
ビールを飲みながら先ほど買った「マレーシアの法制度」の分厚いページをめくっていると、隣のテーブルで高そうなシャンパンを入れてゴージャスに飲んでいる一団が怪訝な顔をして覗き込んで、でも愛想よくチアーズと言ってグラスを少し上げた。
ついさっき、裁判所を出るときに弁護団らしき一団とすれ違ったのを思い出した。その中の若手らしき弁護士が、「私、バスとMRT(地下鉄)を乗り継いで帰ります」と言ったのに対してボス弁(ボス弁護士)らしき男性が「ああ、僕が車で送った方がいいか?」と聞いていた。私が聞き取れたということは英語でしゃべっていたということだ。シャンパングラス団の真ん中に座っている資本主義(の恩恵を受けている)者はそのボス弁に少し似ていた。
57階から降りると私はMRTに乗り、リトルインディアでハイデラバード風のビリヤニを食べた。腹いっぱいになると中華式の足つぼマッサージを受け、パンジャーブ(インドとパキスタンにまたがる地域)出身者の営むパキスタン・中東のフュージョンカフェでスイカ味の水たばこを心ゆくまで吸った。
甘いにおいが街路まであふれて、私は今日という日をマレー、イスラム、資本主義、インド、中華、中東のフルコースだと思った。翌日はパサールスニの中華街で朝粥を食おう。
イスラム教徒の多いマレーシアは、植民地時代からの英国式の法律のほかにイスラム法があるがそれだけではない。慣習法が認められており、その中にはマレー人の慣習法(Adatと呼ばれる)、中華式の慣習法、ヒンドゥー式の慣習法、18の先住民族の慣習法などが含まれる。中華式だと、たとえば遺言の執行や婚姻の方法が中華慣習に従うらしい。ヒンドゥー式も同じように婚姻の祭式は慣習に従う。
そんなことが、さっそく武器と化して私の荷物を圧迫する分厚い本に、つらつらと書いてあった。私のような外国人も読める言語・英語で。
その8,771円の英語の書物は翌日から枕になった。
続・ぶらり世界裁判放浪記

ある日、法律事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出た原口弁護士。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国はなんと133カ国。その目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』の後も続く、彼女の旅をお届けします。