
真下みことさんの新作長編小説『春はまた来る』が刊行されました。名門大学の理工学部に通う順子と、女子大に通う紗奈という、高校の同級生だったけれど在学中には交友関係が重なっていなかった二人が再会し、関係を深めていく物語です。ご自身も早稲田大学の理工学部出身で、「インカレサークル」について違和感を持っていたという真下さん。どんな思いで今作を書かれたのかおうかがいしました。
“修業期間”を経て、「今なら書ける」と思った
――まず改めて、『春はまた来る』を書くきっかけについておうかがいできますか。
私が通っていた早稲田大学には、「男子は早稲田、女子は女子大」という構成の、いわゆる「インカレサークル」がありました。そういうサークルに男子の同級生が入ってるのを見て、不思議だなとずっと思っていたんです。彼らから「女子大の女子と早稲田の女子は全然違う」という話をされたときの違和感を覚えていて、その違和感を書きたいとずっと思っていました。ただ「自分にはこの小説を書く力がまだないんじゃないか」と、なかなか取りかかれずにいました。
二作目の『あさひは失敗しない』という作品を出せたあたりで少し自信がついて、今なら書けるのではないかと思い、2022年の春頃からプロットを作り始めました。
プロットを進める時に思い出したのが、学生時代、クラスでは仲良くなかった人と、クラスを離れたら仲良くなれたという経験。私自身も高校ではそんなに接点がなかったけれど、大学に進学して「クラス」から自由になってから仲良くなれた人がいました。それを思い出し、高校時代の交友関係は全くかぶっていない順子と紗奈が距離を縮めていく形になっていきました。実際に執筆に移ったのは2024年の春頃なので、構想に大体二年くらいかけたということになりますね。
――『あさひは失敗しない』を書いた後、今なら書けるかもと感じたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
実は二作目を出すまでが結構大変だったんです。作品を書いたものの、全然オッケーが出なくて。『あさひは失敗しない』までに三作くらい書いています。
――それはプロットの形でですか?
いえ、原稿でです。ボツが続いて当時はすごく辛かったんですけれど、『あさひは失敗しない』が出せた時に、これは修業期間だったんだなと思いました。当時は小説を書き始めてからまだ日が浅かったので、修業が足りていないと感じてはいて。そういう意味で『あさひは失敗しない』を出すまでの期間で自信がつきました。
あと、『あさひは失敗しない』も、一つの側面としては性被害の話で、『春はまた来る』と共通しています。『あさひは失敗しない』を書けたことで、性被害を作品の中で取り上げることにも、きちんと取り組めるんじゃないかと思いました。
もう一つ、二作品の共通点をあげるとすると、『あさひは失敗しない』も『春はまた来る』も、どちらも「事件化されない被害」を扱っていること。事件として立件されないものに迫れるのが小説のいいところで、私はそういう小説を書きたいと思いました。
作品の幅を広げるため、作風を決めずに書いてきた
――2022年の春頃から構想を練り始めたとのことですが、この二年間、様々な作品を書かれている印象があります。特に前作の『かごいっぱいに詰め込んで』は、これまでとはまた雰囲気が変わった作品のようにも思いました。作品の幅はあえて持たせているのでしょうか。
デビューして十年くらいはとにかく書けるものの幅を広げ、そのうえでどの方向が一番しっくりくるのかを考えて、その後書いていくものを決めたいと思っていたので、作風はあえてばらしています。
それで言うと、『春はまた来る』も、これまでとちょっと違う作品になっていると思いますね。『あさひは失敗しない』と似てるとは言ったんですけれど、読後感とかも全然違うと思うんです。なので、これもまた一つの幅として見せていけたらと思っています。
――確かに、今作はかなり前向きな結末を迎えます。
「とにかく死なないでほしい」と思いながら書いたので、最後も明るく着地できたのかなと思います。明るいけれど、でも完全になかったことにはなってない感じを出せたらと思っていました。ただ、読む方によっては「ここで終わっていいのか」という意見もあるかもしれません。
昨今、事件から時間が経ってから当時の性被害を告発する人に対するバッシングがすごく激しいと感じています。「どうしてすぐ告発できないのか」とか「証拠を残せないのか」とか、そういうデリケートな部分をわかりやすく伝えたかったです。
――作品の中では、被害に遭った紗奈に寄り添っているはずの順子ですら、自分の正義で判断してしまうシーンがあります。寄り添おうとしているようで、できない部分もありますよね。
そうですね。そもそも順子を主人公にしたのは、「もし自分が女子大の子と仲良くなっていたら」という世界線でもありますが、それ以上に、性被害に実際に遭ったことのある方が読んだ時に、辛い過去を思い出させるものにしたくないという考えもありました。順子を一人挟むことで、読みやすくしたかったんです。順子は実際の現場にはいないので、読んでいて他人事に見えてしまう人もいるかもしれないんですけれど、そういう経験をした人の傷をえぐるような作品にはしたくなくて順子を主人公に立てました。
今作は順子の視点で物語が進みますが、プロットの初期段階では、紗奈の視点と交互にしようかとも考えていたんです。でもそれだとどうしても被害の場面を事細かに書かないといけない。それは、この小説には必要ないと思いました。被害の場面を紗奈の言葉だけで表現することは確かに難しかったですが、その方がいいんじゃないかなと考えてこの形を選びました。
性被害について描かれた小説は多いですが、「被害者の方が読んだら傷つかないかな」って心配になるものもあり、それを少しでも減らしたいという気持ちがありました。でも結果として、順子が自分の思い込みに気づくことができる小説にもなりました。「実名で告発しようよ」と順子が紗奈に言うシーンがあるのですが、よく考えたら配慮がないですよね。だけど、相手を思いやって言ってしまうことでもあるなとも思う。そういう部分もしっかり書けたのはよかったです。
シスターフッドの話だけで終わらせたくなかった
――『春はまた来る』というタイトルに込められた意味も教えてください。
この作品を書き進める中で、春って嫌な季節だなと思うようになりました。春になるとついこの間まで高校生だった新入生がやってきて、ちょっと声をかけるとふらっとついていってしまうような危うさがある子たちが、毎年自動的にインカレサークルに足を踏み入れるって、すごく怖い仕組みだなと。そう思いながら中盤を書いている時に「春はまた来る」というフレーズが出てきました。
「春はまた来る」って一見するとポジティブに思えますが、この作品においては嫌な言葉になりました。私はタイトルの意味が変わる小説が好きなので、最初に『春はまた来る』というタイトルを見て、いい話だと思って読んだ人が、中盤で「全然違った!」という驚きを持ってくださったらいいなとも思っていました。更にラストのラストでまたその意味が変わる場面が書けて。タイトルの意味が二度変わるという所にも注目していただけると嬉しいです。
――今作ではフェミニズム関連の用語が作中にも出てきます。真下さんの作品では珍しいようにも思いましたが、何か考えられたことはありますか。
私自身は、フェミニズム的な考えがしっくりくると思っていますが、先ほどもお話しした通り、自分にはまだそういった考え方を小説にする力が足りないと思っていたので、これまでの小説にはあまりフェミニズム的な用語などは入れてこなかったんです。
今作も、私の考え方はこうです、だから皆さんもこう考えましょうっていうわけではなくて、ある女子大学生二人の生活を追っていったら、自然とフェミニズム文脈の用語が出てきた、というような書き方にしたかった。シスターフッドの話ではあるんですけど、それだけで終わりたくなかったんです。
今回一番避けたかったラストが、ずっと二人で一緒にいるラストです。それだと、紗奈みたいに人生において恋愛の占める割合が大きい人は一生誰かと連帯してはいけないのかという話になってくると思うんですけど、それは違うと思っていて。紗奈のキャラクターはそこから考えていったし、そういう人が性被害に遭った時にも連帯できるのがフェミニズムだと思うので。
――今作をどんな風に読んでほしいか、改めてうかがえますか。
多分ほとんどの人にとって、性被害って身近ではないと思います。そんな中で、もし自分が巻き込まれたらとか、もし自分の友達がそういう目に遭ったらどうしたらいいかとか、女の子同士を分断するようなことがあった時、私だったらどうするだろうとか、色々と考えたり、想像したりしながら読んでいただけたらと思いますね。
特に読んでほしいのは、大学受験が終わった高校三年生。大学にはこんな危険があるよ、とガイドブック的に読んでほしいです。大学が楽しみでしょうがない気持ちもわかるんですけど、こんな時、私だったらどうしようって考えながら、読んでいただきたいです。
――男女共に、ですよね。
男女共にですね。男性でも、今作には実行犯ではないけれども、女の子を実行犯のところに連れて行ってしまう人なども出てくるので、自分がそうならないために何ができるだろうとか、色々と考えるきっかけになる小説だと思います。友達同士で読んでどう思ったか、すごく語りづらい内容ではあると思うんですけど、話し合うきっかけになったらすごく嬉しいです。
春はまた来る

2月19日発売の真下みことさん『春はまた来る』に関する記事を公開します。