
エッセイストとして、料理家として、そして山梨の邸宅「遠矢山房」のオーナーとして、日本の四季を取り入れた美しい暮らしと日々綴る言葉が支持されている寿けいさん。2021年に刊行し話題となったエッセイ『泣いてちゃごはんに遅れるよ』が文庫になりました。文庫版書き下ろしの2篇「背中」「ホテルニューオータニ」に加え、「北欧、暮らしの道具店」の店長・佐藤友子さんとの対談を収録。単行本から、さらに充実した内容となっています。本書より、抜粋してお届けします。
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ゴム手袋に告ぐ
ワイングラスなんか揃えているから割ってしまう。
先日も、グラスを洗おうと伸ばした指先が、お腹の丸い部分にうっかり触れてグラスを倒してしまい、これで私は最後の一脚をだめにしてしまった。床に落ちて砕けるまでをストップモーションで見届けながら、
「もう、絶対買わない!」
ひとり、悔しくて叫んだ。
すべてゴム手袋のせいなのだ。
〈ひとの手は脳の出張所と呼ばれる〉
女優でエッセイストの高峰秀子は、家事を語る際にこの書き出しを好んだ。
その手にゴムをはめて洗い物をするということは、脳みそに薄皮一枚、いや二枚、嘘をついて働くことになる。目的物までの距離を見誤るのも当然で、グラスまであと十センチと見当をつけて伸ばした指は、本人(私はSサイズの手袋でも大きい)の指より何センチか長くなっていて、まだ大丈夫と思ったときにはすでに遅し。うっかりグラスを直撃してしまうのだ。今まですべて同じシチュエーションでグラスを割ってきた。
だったら素手で洗えばいいだけの話だが、グラスはお湯できっちり洗い上げたい。お湯では肌が荒れてしまうから、ゴム手袋をしないわけにはいかないのだ。
家の仕事をするというのは、どうしてこうも不自由でかっこ悪いのだろう。
人工的な色をして、舐めたら絶対に変な味がするゴム手袋を、私は手放せないでいる。いつか決別してみせると思いながら、永遠に乾ききらないままのゴム手袋をはめて、いそいそと洗いものに取りかかる。
ワイングラスがなくなって、食器棚は寂しくなった。次はどんなグラスを買うべきか迷い、ふと思う。そもそもワイングラスとは何か。長いステムは何のためのものか。
長く細いステムに支えられたワイングラスは、現実と一線を画すためのものであると私は思う。液体を上へ持ちあげるほど、そして、グラスのカーブが深ければ深いほど、生活からは遠い飲み物になる。
重力に逆らって持ち上げられたワインを、私はほぼ毎日飲む。しかしそのグラスを割り続け、自分の夢とする暮らしが自力では維持不可能なものであることに、ようやく気が付く。ひとつ残らず割れた今となっては、コップのようなもので済ませるか、もしくは、六脚千円のグラスで我慢するか。妥協の度合いを考えなくてはならない時がやってきた。
妥協の産物が、火事のすぐあとの母の家にもあった。
数年前に富山の実家が全焼した。火事があったその日のうちに、近所の有志によって母のためにマンションの一室が用意され、調理器具から食器、バスタオルまで、衣食住にひと通り困らない程度のこまごまとしたものが揃えられたという。本当にありがたいと思う。
東京から見舞いに帰った私が母の台所で見つけたものは、プラスチック製の調理器具で、先端がお玉、もう一方の先端が二股に分かれた菜箸だった。
どうしてと思う色をしている。蛍光オレンジのお玉で味噌汁をよそい、蛍光ピンクの箸でほうれん草を茹でる。主婦ならではの発明としてもてはやされる、こうした横着な道具を、私は心の底から醜悪だと思っている。
十八歳まで暮らした富山の家には、高級なものこそなかったが、悪趣味なものだってなかった。暮らしに応じて必要な、最低限の道具があり、それらはひとつの道具に対してひとつの役割を与えられていた。使い込んだ菜箸や揚げ物箸。米を量る升。菓子をのせるための盆。油かすをすくう網。持ち場がしっかり決まった、使い勝手のよい道具が、生活のリズムを作っていた。
それなのに、母があのような調理雑貨とともに再起をはからざるを得なかった不自由さが、不憫で耐えられなかった。
ひとの手が脳の出張所であるなら、毎日欠かせない家の仕事も、少しでも善いもの──華美という意味ではなく、その行為に一番適したもの──で行いたいと思う。何通りにでも使えることを謳うたった道具というのは、じつのところは、半人前であることが多くて、むしろ人間を縛りつける。蛍光色のお玉と菜箸を手放した日が、母が本当に生活を自分のものとして取り戻すはじまりなのだ。
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続きは、『泣いてちゃごはんに遅れるよ』をご覧ください。