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本屋の時間

2025.03.15 公開 ポスト

第174回

小さな湖――Sに辻山良雄

(撮影:齋藤陽道)

先日店に、母と二十歳くらいの娘といった、二人連れの客がやって来た。何でも娘さんのほうが、春からこの近くに住むことになったようで、今日はその手続きのついでに立ち寄ったという。お母さんは本の好きなかたらしく「近くにこんな本屋さんがあってよかったです」と、まじめな顔で話をされた。

母は娘に好きな本を選ばせようとしたが、娘のほうではあまり気が乗らない様子で、本に触るのもおずおずとといった感じ。それはそうだろう。店で目につくものといえば、少し地味でクラシックな感じのする本ばかり。この世代の子たちがふだん触れているような、賑やかな本が極端に少ないのだから。

ちょっと読みたいものがなかったかなと思い、しばらくしてから店内を見ると、彼女はいつの間にか本を一冊手にしていた。ふわふわ泳いでいた本棚を見る目は、落ち着いた、しっかりしたものへと変わっており、彼女は本を四冊持ってレジまできた。

  • 一冊めは、やさしく書かれた政治の本『はじめて学ぶみんなの政治』
  • 台湾の文学者による歴史ノンフィクション『台湾海峡一九四九』
  • 有名なものだけ揃えている、東野圭吾さん『容疑者Xの献身』
  • そしてあとひとつは平積みしていた、ガルシア=マルケス『百年の孤独』

あたりまえといえばあたりまえの話だが、そのときわたしは目のまえの大人しそうな若い人のなかに、これだけの幅広い好奇心が存在していたことに少しだけ感動していた。スタートラインに立ったばかりの、育つのを待つ、小さな湖のことを思い出したのだ。

会計しながら『百年の孤独』を指さし、「ずいぶん難しそうな本を選びましたね」と尋ねたところ、彼女は恥ずかしそうに「面白そうだったから……」とだけつぶやいた。

こうしたことは、わたしの店ではたまにある光景だが、わたしはその度ごとに、自分の仕事を低く見積もっていたのではないかと反省する。

彼女はある国の歴史に興味を持ち、本を手にしたのかもしれないし、それがたまたま友だちのことを思い出させる本だったのかもしれない。また理由はわからないけど、ただ心惹かれたということもあるだろう。いずれにせよ、芽吹いた好奇心を育てる本がこの店のどこかには存在していたということで、それは粘り強く本棚を探してみれば、ふしぎと見つかるものなのだ。

この本を並べていてよかった。

わたしはそう思った。

 

田沢湖のように深く青い湖を

かくし持っているひとは

話すとわかる 二言 三言で*

 

本は、一人のひとのなかに存在する、静かな湖の水源だ。その湖をつくるには一冊読むだけでは足りず、本とともに生きていればある日ふと気がつくといったものだろう。しかし物事にはすべて「はじまり」があって、本屋という仕事はそのはじまりに立ち会える、めずらしい仕事でもある。たとえそれがあとから気がつくくらいの、ささやかなものであったとしても。

 

買った本を、彼女がすべて読み通すかどうかはわからない。しかし「面白そう」と思ってレジまで持ってきた気持ちはほんとうで、彼女にはその気持ちをこれからも大切に持っていてほしい。「面白そう」は、もっとたくさんの「面白そう」に通じていて、火を絶やさなければ、その道は一生続いていくものだから。

*「みずうみ」茨木のり子

今回のおすすめ本

石垣りんの手帳 1957年から1998年の日記』石垣りん katsura books

詩人の石垣りんは、自らの身辺に起こった出来事を、定年まで勤めあげた日本興業銀行製などの小さな手帳に、簡潔に記していた。ひと文字ずつはっきりと、読みやすい文字で書かれたつつましい日記。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー

「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念

これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。


◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース

本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント

展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

◯【書評】

『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)

 

◯【お知らせ】

メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
 

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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