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衰えません、死ぬまでは。

2025.04.06 公開 ポスト

迫りくる孤独と野菜 後半

「農園でも借りて、野菜作ったら?」夫にかけた妻の言葉の真意とは!?宮田珠己

息子も娘も、もうすぐ家から巣立って行ってしまうということに、はたと気づいた宮田さんです。

*   *   *

いつもいた家族がいない、死んだわけではなくても、姿は見えない。ふつうのこととはいえ、自分の身に起こるとなると、結構な重大事である。

そういうとき、人はどうしているのだろう。

 

友人知人に、同じような境遇の人間はたくさんいるものの、あまりそんな話をしたことがない。

昔勤めていた会社の上司が、子どもの独立後、犬を飼い始めたことがあったが、そのぐらいだ。あれも寂しさを紛らせるためだったのだろう。

歳をとると、体力気力の低下に加え、健康問題、老後の生活費、親の介護問題、実家の整理、墓が遠い問題など、数々の艱難辛苦が大挙して襲ってくる。それだけでも気持ちが萎えるのに、それに加えて子どもの親離れという問題もあるのであった。

(写真:宮田珠己)

こうして並べてみると何ひとつ前途洋々な事案がないことにうんざりする。これら全部ひっくるめたうえで精神的に更年期ウツというか、気持ちが塞いでいくというか、いいことなんて何もないじゃないか。人生は60歳からが楽しいとか、80歳からが本番みたいなタイトルの本がいくつも出ているが、まったく信用できない。

このままでは凹む一方だ。筋トレで運気をあげるのと同時に、そういった心の凹み、孤独という課題にも取り組まないといけない。

全然覚悟が足りなかった。

すると妻が突然、妙なことを言いだした。

「農園でも借りて、野菜作ったら?」

は?

どういう文脈でそういう話になるのか。野菜が子どもの代わり?

よくよく聞けば、妻の意見はこういうことらしい。

妻本人は目下、非正規で働きに出ており、その職場の仲間と休日に出かけたりもして、交友関係はそこそこある。一方で夫の私はというと、たまに打ち合わせや取材で出かけることはあっても、基本は家にいてひとりパソコンの前に座り、キーボードを叩いているだけである。外出といえば、毎日の散歩と週に2回ぐらいスーパーへ行って買い物をする程度。圧倒的に社会との交流が少ない。

そう考えると、老後、孤独になるのは、まず夫の私ということになる。

日常的に会って交友している仲間がほぼいない以上、私は孤独を癒すため積極的に社会に出て行く必要がある。

趣味のサークルや地域のボランティア活動など、やれることはいろいろあると思うが、幸いうちの近所には貸し農園がたくさんある。ならばそこで野菜を作って、同じ境遇の人と交流すれば、孤独も癒され、野菜もとれて一石二鳥ではないか。というのが妻の理屈である。

(写真:宮田珠己)

言ってることはわからないでもないが、貸し農園はそんなに交流が生まれるものであろうか。野菜の作りかたを教えてもらったりするときに、会話は生まれるかもしれないが、効率がいい感じがしない。

そもそも、全然ワクワクしない。

野菜育てたい! なんて思ったことなど一度もない。

というか妻の狙いは、むしろ野菜にあるのではないか。昨今の野菜の高騰をいつも嘆いているから、私にそれを作らせようという魂胆では?

孤独→野菜作り

という論理展開に強引なものを感じる。

「ほら、土いじりは精神の健康にいいって言うでしょ」

とかなんとかうまいことを言っているが、どう考えても野菜が目当てだ。そんな話をした翌日に、無理やり連れだされ、近所の貸し農園巡りをさせられた。農園はそこらじゅうにあって、いろんな野菜が植わっていた。

「ここいいんじゃない? さっきのとこより明るくていいと思う」

悪いけど、全然耳に入ってこない。

野菜作れ、野菜作れ、野菜……。

というテレパシーみたいなものが私の脳に直接送り込まれている気がする。

翌日になると、職場の人たちにも話を聞いたらしく、

「知らなかったけど、みんな野菜作ってたよ。びっくりだわ。〇〇さんは毎週末郊外の畑に通ってるらしいよ。私はたまねぎなんかいいんじゃないかと思ったんだけど、たまねぎは半年ぐらいかかるんだって。じゃあサツマイモって思ったら、あれは葉っぱがやたら伸びるわりに、実はそんなにできないみたい。でもやっぱり根菜がいいよね。虫とかカラスに食べられないし」野菜の種類まで検討している。

待て待て、誰もまだ野菜育てるなんて言ってないぞ。なんで孤独即野菜なんだよ。孤独対策もっといろいろあるだろ。

私は思うのだが、人には、友だちができやすい性格の人と、できにくい性格の人がある。 私は断然、後者だ。

(写真:宮田珠己)

これはもう昔からそうである。たとえば結婚式に友だちをたくさん呼びたいとは全然思わなかった。むしろ家族だけ、それどころか本人だけで済ませられたらどんなに楽かと思っていた。

家に人をいっぱい呼んでパーティーしたいと考えたこともない。大勢の人がいる場が苦手だ。多くて4人ぐらいがリラックスできる限界である。会社の飲み会はできるだけ参加したくなかったし、大勢の前でしゃべるのも好きじゃないし、SNSで顔を出して何かやるのも嫌だ。

その意味で、比較的孤独には慣れているというか、そういう性格だから物書きをやっているとも言える。

もちろんいつも絶対ひとりがいいと考えているわけじゃない。友だちがそばにいると楽しいし、少人数の旅は好きだ。

そういう自分に適した孤独解消法が知りたい。

それは野菜だろうか。

違うだろう。大勢とつるまないという点では合っているが、本当にはじめたら私は野菜としか対話しないと思う。孤独に野菜を育てるだけだ。

性格に難があると言われれば反論できないが、そういう人だからしかたがない。

私は何をすればいいのか。

また新たな課題が見つかってしまい、頭が痛い。

(連載は「小説幻冬」でも掲載中です。次号もお楽しみに!)

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衰えません、死ぬまでは。

旅好きで世界中、日本中をてくてく歩いてきた還暦前の中年(もと陸上部!)が、老いを感じ、なんだか悶々。まじめに老化と向き合おうと一念発起。……したものの、自分でやろうと決めた筋トレも、始めてみれば愚痴ばかり。
怠け者作家が、老化にささやかな反抗を続ける日々を綴るエッセイ。

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宮田珠己

旅と石ころと変な生きものを愛し、いかに仕事をサボって楽しく過ごすかを追究している作家兼エッセイスト。その作風は、読めば仕事のやる気がゼロになると、働きたくない人たちの間で高く評価されている。著書は『ときどき意味もなくずんずん歩く』『ニッポン47都道府県 正直観光案内』『いい感じの石ころを拾いに』『四次元温泉日記』『だいたい四国八十八ヶ所』『のぞく図鑑 穴 気になるコレクション』『明日ロト7が私を救う』『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』など、ユルくて変な本ばかり多数。東洋奇譚をもとにした初の小説『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』で、新境地を開いた。

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