
振り幅を楽しめるようになって再起動
新国立劇場バレエの「ジゼル」を観た。
ジゼル役はプリンシパルの米沢唯さん。2017年頃からバレエ鑑賞が趣味になって以来、私が一番好きなバレリーナだ。
正確無比なテクニックと、自我が表現に浮き出てこないプロフェッショナルな姿勢が特徴。「米沢唯さんのバレエ」ではなく、「白鳥」「ジュリエット」「ジゼル」にしっかり浸らせてくれる、唯一無二のバレリーナだ。
そんな米沢さんだが、昨年体調不良で「眠れる森の美女」を降板していた。心臓の疾患が見つかったということで、まさかこのまま引退なんてことは……とやきもきしていたところに「ジゼル」での全幕復帰が決定。バレエファンの友人(こちらはK-Balletが一番のごひいき)と共に、初台の新国立劇場に駆けつけた次第。
米沢さんの復帰というだけで嬉しいのに、「ジゼル」とは。何を隠そう、私が一番好きな演目が「ジゼル」なのだ。
葡萄の収穫祭が行われている村が舞台となる、素朴で軽やかな第一幕。全員を一気に絶望の淵に追い込む急展開。そして精霊(ウィリ)が登場する夜の森で繰り広げられる、幽玄でホラーな第二幕。その緩急の大きさが物語の引力となっており、ダンサーのいろんな顔・表現を楽しめる贅沢な演目だ。私はウィリの女王・ミルタのファンで、すべてのバレエ演目の登場人物の中で一番好きな役はミルタである。
久しぶりの新国立バレエは、やはり圧巻だった。
幕が開いた瞬間から、あっという間に観客を舞台に誘い込む「物語」の渦。一糸乱れぬコール・ド、贅沢なセットと衣装。幕間に友人がつぶやいた、「これがナショナル…」という呆然としたつぶやきが、新国立バレエの凄みを物語っている。
そして、待ちに待ったジゼルの登場。軽やかな足どりで家から走り出てきた瞬間から、舞台にポッと澄んだ光が宿る。まったく足音を立てずにふわりふわりと舞うその姿は、恋する乙女、病弱でピュアなジゼルそのもの。ジゼルの純真さが、米沢さんの全身からオーラのように漂っていた。魂からジゼルになっている、そう思った。
幕が下り、鳴りやまないカーテンコールにのぼせながら、「そうか、これは米沢さんの復帰舞台だったのだ」と思い出した。そんな前提をすっかり忘れさせてしまうくらい、説得力に満ちた「ジゼル」がそこにいた。
幕間の時間も、スタンディングオベーションしながらも、会場から出た瞬間からも、私と友人のおしゃべりは止まらない。二人とも本が好きで、文章を書くことを仕事にしている。今自分たちが目撃したものをなんとか言語化したくて、焦るような気持ちでどんどん言葉が飛び出していく。
「…言葉の無い舞台を観て、感動して、それを言葉にしようと躍起になっているのってなんだか滑稽ですね」
ふと我に返った私のつぶやきに、「確かにね」と吹き出す友人。
「なにごとも言語化したい病」にかかっている自分を省みながら、ここ最近錆びつきを感じていた「言語化スイッチ」がオンになったのを感じた。ふだん溺れている言葉の海とは違う環境が刺激になったのかもしれない。
雑な感慨ホルダとルンバ、このふたつは人間にとって生類の困難から来るゴミ塗れの頭蓋を常に綺麗に保ってくれる。神様からの素晴らしい恩沢なのさ。――『俺の文章修行』(町田康/幻冬舎)
今日のことをどこかで書きたい、どんな風に書こう……帰りの電車に揺れながら考えを巡らしていて、思い出したのが町田康さんの『俺の文章修行』。芥川賞作家の町田さんによる、文章指南書である。
年明けから会社の仕事が忙しく、執筆業との両立にちょっと苦しんでいた。ここだけの話、いくつか締め切りを飛ばしてしまった。執筆は本業優先でやると決めているので仕方ないのだが、自分の至らなさに惨めな気持ちになり、なんなら今も若干引きずっている。
なかなか原稿が書けなかったのは、時間の問題ではない。私は家族のケアをする必要が無いし、仕事以外の時間は自由。書く時間があったか無かったかと言えば、あったと思う。時間はあったにも関わらず、脳をシフトチェンジするのが難しくて、書くことを思いつけず、文章が広がっていかなかったのだ。
町田さんは本書の中で、文章を動かす初動の力は自らの内実、つまり「心の錦」だと書いている。「心の錦」というとなんだか大層なもののようだが、それは最初、糸クズ・ゴミカスのようなささやかな揺らぎでしかないという。
自分の中の糸クズ・ゴミカスを見逃さないようにすること、それをきっかけに考えを深めていくこと、それが文章を動かす。ここに誤作動が起きていたのが、3月までの私だった。
誤作動の原因は、「雑な感慨ホルダ」と「ルンバ」。
「雑な感慨ホルダ」とは、経験したことや感じたことを、すぐに「ええなあ」「あかんがな」といった雑に区分された感情のフォルダに放り込んでしまうこと。「ルンバ」とはその名の通り、自動的に掃除して忘れてしまうこと。
町田さんも書いているがこれは人間の防衛本能みたいな面もあって、「雑な感慨ホルダ」と「ルンバ」を持っていないと生きるのが苦しくなりすぎるだろう。ただ、文章を書こうとするときに、この二つがあまりにも有能に働いてしまっているといささか問題があるのだ。
私の場合、会社の仕事をしていると二つの機能が鋭敏に稼働しているのを感じる。その結果、パソコンの前で「こんなこと書いたところで、いったい何になるって言うんだ。無駄過ぎる」と懊悩する羽目になる。
「ジゼル」を観たことで、私の中にランプがともった。雑な感慨ホルダはもうキャパオーバーだし、働きすぎて疲れたルンバは休ませなきゃいけない。手提げランプであたりを見回すと、あちこちに落ちている糸クズが見えてきた。
繁忙期には目障りなゴミにしか見えない、この糸クズ。本当にただのゴミなのかもしれないし、集めて紡いでいけば何かになるのかもしれない。
俺らが命懸けで伝えたいものがゴミカスであることから知れるように、別に窶さなくても俺らはそもそもがアホであるからである。つまり、己のアホさ加減を直視すること、それこそが、文章を書くことの根底に巌のようにあるからである。うくく。――『俺の文章修行』より
優美で荘厳な「ジゼル」から、己の「ゴミカス」再発見へ。
自分でも驚く飛躍だが、見るもの聞くもの読むものすべて、ごった煮のごとく自分を形成しているのが現実だ。そのことを忘れないでいることが、表現の豊かさに繋がっていくのだと信じている。
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筋金入りのコンサバ会社員が、本を片手に予測不可能な時代をサバイブ。
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