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来るべき民主主義

2015.01.08 公開 ポスト

韓国語版刊行によせて

「行政が決めたことは変えられない」
という通念にどう抗するか國分功一郎

 國分功一郎さんの『来るべき民主主義――小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』が刊行されたのは2013年9月。「紀伊國屋じんぶん大賞2013」の第2位、「新書大賞2014」の第5位となった本書は、その後も多くのかたに読まれ、住民投票や地域における民主主義を考える必須テキストになっています。
 そして2016年1月10日、本書の韓国語版がAncient Thoughts Publishing Co.から刊行されます。たった1.4キロの道路計画をめぐる住民運動が日本中の熱い関心を集め、さらに世界へ向けても問いを投げかける第1歩です。
 韓国語版刊行を記念して、國分さんがあらたに書き下ろした序文を特別公開します。
「不成立」とされた小平市住民投票の後、何があったのか? 住民はその後、何と闘ったのか? 民主主義の意味がまた問われることになる今年、この韓国語版序文とともに、本書『来るべき民主主義――小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』もお読みいただけると幸いです。

* * *

 韓国版序文

 この本は私の住む街で始まった小さな政治運動についての報告である。ふとした偶然から取り組むこととなったこの運動の中で、私は自分がこの20年間勉強してきた近代政治哲学の盲点に出会うことになった。その意味で私にとってこの運動は、政治運動であるだけでなく哲学の運動でもあった。私の勉強してきた近代政治哲学は韓国でも知られているはずである。ならば、東京の西の郊外で起こった、道路建設を巡る政治運動の報告であるこの本は、韓国の文脈でも何らかの意味を持つであろう。私はそう信じる。

 道路建設に住民の意志を反映させるか否かを問うた東京都小平市の住民投票は2013年5月26日に行われた。既に2年以上が経過している。その間に二つの大きな出来事があった。

 一つは裁判である。「小平都市計画道路に住民の意思を反映させる会」の共同代表4名は、住民投票で投じられた51,010票の投票用紙の開示を求めて裁判を起こした。小平市を相手にした、情報公開を求める裁判である。情報公開の原則は「原則開示」であり、合理的な理由で非公開を決めていた情報以外はすべて公開され得る。そして今回の住民投票条例には投票結果を非公開とする規定はない。したがって、この裁判は原告側の勝訴となり、投票用紙は開示されるであろうというのが私の予想であった。

 しかし私の予想は間違っていた。東京地裁は2014年9月5日、原告の訴えを退ける判決を下した。判決では、住民投票条例は不成立の場合の結果の公開を禁止しており、また、投票用紙を開示すると投票の秘密が侵害されるという小平市の主張が全面的に認められていた。非公開の規定を持たない条文に公開の禁止までをも読み取ることの方が、市議会で実施を決めた住民投票の内容を知らしめることに優先するのはなぜなのか。○印を書いた紙を開示することによって投票の秘密が侵害されるのはどのようにしてであるのか。もちろん合理的な理由など与えられてはいない。会は控訴したが控訴審でも訴えは退けられた。2015年9月30日、最高裁への上告も退けられ、裁判は終結した。

 判決文を読むと分かるのは、関連法文や原告・被告の主張の合理的解釈ではなく、社会的な通念の再確認こそがこの判決の基礎にあるということである。判決というものは、必ずしも法文や原告・被告の主張の合理的解釈から導かれるものではない。むしろ、社会に通用している通念こそがその根拠となり得る。今回根拠とされたのは、「行政が決めたことは変えられない」という通念に他ならない。私はこの通念を十分に認識していたつもりだった。だが、期待は人の目を曇らせる。原告勝利への期待によって私の認識は簡単に吹き飛んでしまっていた。

 小平市には、「知る権利」を保障した情報公開条例もあるし、「市政に関する情報を知る権利」や「市政に参加をする権利」を謳った自治基本条例もある。しかしそうした条例は、ここぞという時には何の役にも立たない。市議会で実施を決めた住民投票の結果を知りたいという願いすら認められない。判決は「知る権利」に言及すらしなかった。

 もう一つは投票用紙の破棄である。最高裁からの上告棄却・上告不受理決定通知が小平市選管に届いた9月30日、小平市は51,010票の投票用紙を焼却してしまった。最高裁の決定が出たら速やかに投票用紙を破棄するという方針は7月末に選挙管理委員会が提案したもので、市議会で検討されることもなく、市長部局の決裁により決定していたという。

 『来るべき民主主義』は、政策上の実際の決定がほとんど行政で行われているにもかかわらず、その決定過程に対する主権者のアクセスが極端に限られていることの問題を論じている。小平市による投票用紙の破棄は、この問題の最悪の具現化の一つであろう。これで、永久に、2013年5月26日に東京都小平市で行われた住民投票の結果を知ることはできなくなってしまった。

 「小平都市計画道路に住民の意思を反映させる会」は、2015年12月13日に、シンポジウム「5万人の投票用紙は焼却された」を開催した。裁判で原告代理人を務めた尾渡雄一朗弁護士は、その席で、「住民投票結果を見せたくないと自治体が判断した場合、闇に葬り去るのを可能にする道を開いた」と懸念を表明している(東京新聞、2015年12月15日、「小平の住民投票開示裁判でシンポ 市民参加の裾野拡大を」)。私もこの懸念を共有する。

 最近、「小平市住民投票の後に日本で住民投票が増えていますね」と声をかけられることが増えた。その件を取り上げた新聞記事もあった(東京新聞、2015年11月28日、「相次ぐ住民投票 背景は?」)。記事では、愛知県新城市での新市庁舎の規模を巡る住民投票(規模縮小の支持が多数)、同じく愛知県小牧市のツタヤ図書館計画を巡る住民投票(計画反対が多数)、埼玉県所沢市の小中学校へのエアコン設置を巡る住民投票(自衛隊機への騒音対策としてのエアコン設置計画支持が多数)、茨城県つくば市での運動公園整備計画を巡る住民投票(計画反対が多数)が紹介されている。

 住民の直接請求による住民投票が増えているというのは事実である。それは素晴らしいことであり、私はそれを心から歓迎する。また私は実施までの苦労をある程度知っているつもりである。実施にあたって尽力された方々に心から敬意を表したい。

 だが、この事実は私にとっては少しも慰めにはならない。本書に記した通り、「私は、投票のずっと前、運動を応援し始めた頃から、『あの運動にはあの運動なりの意義があった』という風に住民投票運動を総括することは絶対にやめようと思っていた。私にとってこの運動の目的は、どう考えても納得できない道路計画をストップさせ、雑木林を守ること」であったからである(61ページ)。

 2年前に記したこの言葉には変更すべきところはない。ただ付け加えることはある。裁判を通じて明らかになったように、少なくとも日本では、行政の力が強力なだけでなく、そうした行政の力を支持する通念もまた強力である。『来るべき民主主義』は、行政をコントロールするための制度(民主主義の「強化パーツ」)を中心的に論じている。しかし、もちろん、制度を論じるだけでは不十分であろう。この通念にも切り込んでいかなければならない。

 そのためにはどうすればいいのだろうか? 正直に言うと、よく分からない。私は今、1年間の予定でイギリスに留学している。議会制民主主義の一つの起源であると思われるこの国で、民主主義についての考察を深めたいと思ったこともここに来た理由の一つであった。実際、イギリスでは、日本との、民主主義を巡る通念の違いを何度も体験した。それについてはまた論じることがあるだろう。とにかく私は今、イギリスで情報や考えを収集しながらいろいろと考えている。

 日本で本書は多くの方々に読んでいただいた。少なからぬ数の方々によって書評もしていただいた。また、小平の住民投票についての研究や考察も増えている。坂井豊貴氏は社会的選択理論を紹介するその著書で多くのページを割いて小平の住民投票を論じている(『多数決を疑う』岩波新書、2015年)。谷隆一氏は地域の民主主義を論じたルポルタージュの中で、小平の住民運動を大きく取り上げた(『議会は踊る、されど進む』ころから、2015年)。裁判についても、武田真一郎氏の手により既に判例研究が書かれている(「住民投票投票用紙の公開拒否処分取消請求が棄却された事例」、『成蹊法学』81号)。その他、行政学の中でも研究が進んでいると聞く。こうした研究や考察には考えを進めるための大きなヒントがある。

 Kim Yunsuk氏の翻訳によって、本書は韓国でも読まれることになる。そうすれば、韓国の読者の皆さんからも様々な意見をいただけるであろう。私は本当にそれを待ち望んでいる。皆さんがお考えになったこと、私の知らないこと、私には思いつけないこと、そうしたことをぜひ教えていただきたい。そうしていただいた情報や意見を、私は様々な手段で日本の読者の皆さん、特に一緒に運動に関わった仲間に伝えたいと思う。そこから新しい考え、新しい概念が生まれたならば、それを再び韓国の読者の皆さんにお伝えしたい。今はそうした意見交換を通じて新しい考えや新しい概念が発見できるかもしれないという可能性が、自分にとっての希望である。

2015年12月15日  ロンドンにて
國分功一郎

 

國分功一郎『来るべき民主主義―小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』

2013年5月、東京都初の住民直接請求による住民投票が、小平市で行われた。結果は投票率が50%に達しなかったため不成立。半世紀も前に作られた道路計画を見直してほしいという住民の声が、行政に届かない。こんな社会がなぜ「民主主義」と呼ばれるのか?そこには、近代政治哲学の単純にして重大な欠陥がひそんでいた―。「この問題に応えられなければ、自分がやっている学問は嘘だ」と住民運動に飛び込んだ哲学者が、実践と深い思索をとおして描き出す、新しい社会の構想。

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國分功一郎

1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授。専門は哲学・現代思想。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、第2回紀伊國屋じんぶん大賞受賞、増補新版:太田出版)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『中動態の世界』(医学書院、第16回小林秀雄賞受賞)、『原子力時代における哲学』(晶文社)、『はじめてのスピノザ』(講談社現代新書)など。訳書に、ジャック・デリダ『マルクスと息子たち』(岩波書店)、ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)など。

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