公文書の改竄(かいざん)、捏造(ねつぞう)を行ってきた現政権。かつて、日本軍の最高司令部「大本営」も、太平洋戦争下に嘘と誇張で塗り固めた公式発表を繰り返してきました。当時の軍部は現在に置き換えると政権。政治の中心でなぜ、情報の改竄、捏造、隠蔽が起きるのか? そしてそれがどういった結末を迎えるのか? 2016年に発売された辻田真佐憲さんの『大本営発表~改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争~』は、正確な情報公開を軽視する政治の悲劇、悲惨さを教えてくれます。今こそ読むべき一冊。あらためて「はじめに」をご紹介します。
大本営発表の悲劇を繰り返さないために
大本営発表は、日本メディア史の最暗部である。太平洋戦争の時代、大本営がデタラメな発表を行い、メディアがそれを無批判に垂れ流し、国民がそれに踊らされた。今日でも大本営発表は、「あてにならない当局の発表」の比喩として頻繁に用いられている。
とはいえ、「大本営発表」の比喩は乱用されていないではない。ネットで検索すると、ありとあらゆるものが「大本営発表」と呼ばれていることがわかる。企業のPR部の発表は「大本営発表」だ。芸能事務所の発表は「大本営発表」だ。当事者の発表は自分に都合よく加工されており、まったく信用に足りないといわんばかりの有り様である。
だが、それは単なる利害相反の問題であって、わざわざ70年以上前の大本営発表の事例を持ち出すまでもあるまい。本当の大本営発表のデタラメぶりは、利害相反の問題を遥かに超越する、もっと深刻で重大なものであった。比喩の乱用は、この大本営発表の本質を見落とす危険性がある。
今日、大本営発表の悲劇を繰り返したいと思う者はいないだろう。であれば、その教訓を正しく活かすためにも、大本営発表の歴史や原因を正しく理解することが不可欠である。
軍部とメディアとの一体化こそ大本営発表の本質
そもそも大本営発表とは、日本軍の最高司令部である大本営による戦況の発表のことである。
ここでは、昭和時代に話をしぼろう。大本営は、日中戦争初頭の1937年11月に設置された。それにともない、陸軍省と海軍省のメディア対応部署がそれぞれ大本営陸軍報道部と大本営海軍報道部を名乗り、大本営発表の実務を担当した。
大本営発表の内容が太平洋戦争の時代に歪んだ理由はいくつかある。日本軍の情報収集・分析力に難があったということもあるし、作戦部や軍務局などの関係部署が発表内容に介入して、自分たちに都合よく書き換えさせたということもあった。
ただ、大本営発表がデタラメになった最大の理由は、軍部とメディアとの一体化に求められる。
本来、メディアは政府や軍部の発表を批判的に検証することが仕事だ。政府や軍部も、メディアのチェックがあるからこそ、下手に突っ込まれないよう周到に発表内容を準備する。その結果として、デタラメな発表が抑止されるのである。
ところが、戦時下の日本の場合、この仕組みがうまく機能しなかった。
まず、メディア(当時の中心は新聞)が軍部に擦り寄った。軍部と不仲になっては、戦況の情報をもらえないし、前線の取材もできない。これではライバル紙に部数競争で負けてしまう。右翼や在郷軍人会による不買運動も脅威だった。そこで新聞各社は検証報道を放棄し、軍部協力に舵を切った。そうすることで、会社の生き残りを図ったのである。
次に、政府・軍部がメディア統制の仕組みを整えた。政府や軍部は、うまく新聞を利用しながら、1938年に「新聞用紙供給制限令」、1941年に報道班員制度などを定め、新聞用紙を統制し、新聞記者を軍属として自由自在に徴用できるようにした。つまり、報道部の軍人たちは、新聞の命綱である紙と人を握ったのだ。陸軍報道部に在籍した平櫛孝が戦後述べているように、これで新聞は自己検閲を行う御用新聞へと変えられていった。
こうして、太平洋戦争がはじまるころには、軍部とメディアは、不健全な運命共同体となってしまったのである。新聞記者は疑問に思ってもそれを記事にせず大本営発表を垂れ流し、大本営報道部の軍人は新聞の見出しの大きさにまで口出しした。
日本軍が勝っていたころはそれでもまだよかった。ただ、1943年以降日本軍が敗退し続けると、それを糊塗しようとするあまり、大本営発表のデタラメも際限なく膨れ上がっていった。最終的に、空母撃沈数は約7.6倍、戦艦撃沈数は10.75倍に水増しされた。これは、単なる隠蔽体質や情報力の不足では説明できない数字の一人歩きである。
そのほか、本土空襲の被害などは「目下調査中」のまま永遠に発表されないこともあった。こんな子供だましのような行為も、メディアの検証がないなかで平然と行われていたのだ。
このように軍部とメディアの一体化は、比類ない情報の歪曲をもたらした。大本営発表の本質は、この構造にこそ求められなければならない。
大本営発表の事例を現代に応用するならば
大本営発表の本質は、軍部とメディアの一体化である。したがって、民間の組織にすぎない企業(国策的な企業や半官半民の企業などを除く)や芸能事務所の発表は、冗談としてならばともかく、本来は大本営発表の比喩に値しない。企業や芸能事務所は、メディアに対して法的もしくは物理的な強制力を持たないからだ。
もし大本営発表の事例を現在に応用するとすれば、それは政権とメディアとの関係においてでなければならない。
もちろん現在は「新聞用紙供給制限令」や報道班員制度など存在しない。その一方で、表現の自由を保障する憲法がしっかりと存在する。それゆえ、戦時下の事例をそのまま当てはめることは不適切だ。とはいえ、憲法や法律の改正を通じて、似たような状況に近づくことは十分ありうる。大本営発表の事例を反面教師として参照することは決して無駄ではない。
とりわけ大本営発表の歴史は、メディアの独立性の大切さをよく教えてくれる。これは特にいまの日本で役立つ点だ。というのも、昨今流行りの「マスゴミ批判」を適切に抑制できるからである。
「マスゴミ批判」は、いまやネット上で広く観察できる。テレビや新聞などのマスコミは、デタラメな情報を流しており、信頼に足りない。取材態度は横柄で、既得権益と高待遇に胡座をかいている。このようなマスコミは「マスゴミ」と呼ぶべきだ。真実はネットにこそある。――こうした言説は、「まとめサイト」のたぐいやSNSに蔓延している。なかには、政府が積極的に「マスゴミ」を法的に取り締まるべきだという暴論すら存在する。
たしかに、マスコミにも様々な問題がある。そしてその問題はことあるごとにセンセーショナルに取り上げられるため、生々しく感じられる。その結果、メディアの独立性よりも、メディアに対する取り締まりのほうが重要であるかのように見えるかもしれない。
だが、忘れてはならない。メディアの独立性が損なわれ、メディアが政権の拡声器になってしまえば、政権はデタラメな発表をやりたい放題になってしまう。内閣の支持率は高い。経済政策は順調。雇用政策も順調。わが国の外交は世界で歓迎されている……というように。
メディアの独立性は、特定の企業の既得権ではなく、われわれの社会を守る大切な仕組みだ。微々たるマスコミ問題に目を取られて、この公益性を損なってはならない。もちろん、マスコミを批判するなというのではない。マスコミに対しては、「それで十分に政権をチェックできるのか」という観点で批判を行うべきだろう。無責任で得体のしれない「まとめサイト」のたぐいに煽られて、軽薄な「マスゴミ批判」にうつつを抜かすのはそろそろ卒業するべきだ。
大本営発表の歴史を知る好機
近年、第二次安倍政権によるメディアに対する介入がたびたび話題になっている。今年(2016年)に入ってからだけでも、関連書が複数出ているくらいだ。
いうまでもなく、これはこれで注目すべき問題ではある。ただより重要なのは、国民の意識だ。国民がメディアの独立性を断固守ろうとすれば、政権側も手を引かざるをえない。反対に、国民がメディアの独立性に価値を見出さなくなければ、際限なくメディア統制が進むだろう。まずは、われわれがメディアの独立性の大切さを正しく認識し、これを守ろうとすることが肝要なのである。
そこで、大本営発表の歴史は大いに役に立つ。大本営発表の歴史は、メディアが独立性を失うといかなる悲劇を生むのかを、いやというほど(「まとめサイト」的なセンセーショナリズムに対抗しうるほどに)生々しく教えてくれるからだ。
70年以上も前のできごとというなかれ。政治とメディアの問題が話題になっているいまこそ、大本営発表の歴史を知る好機である。この悲劇の歴史を広く共有することで、われわれは政治とメディアの問題にこれまで以上に適切に対処できるのではないだろうか。