インタビューも佳境にさしかかった第4回は、日本の現状分析についてのちょっとしたバトルに。すべてが猛スピードで、メリハリなく流れてゆく今、さすがに何か考えないと…という時代にさしかかっているのではないか、と橋本さん。浅羽さんがさらにツッコミます。(聞き手・構成:浅羽通明 写真:plus編集部)
10、橋本治は、幼馴染みと近親相姦しかネタがない江戸末期と現在を重ね合わせる
———福澤諭吉が、政治や国家についてはじめからずーっと考えてみんなへ示したのは、幕府崩壊、明治政府も揺籃期だったからこそでしょうけど、ミッシングリングとしては、河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は江戸なんですか。それとも明治ですか。幕末から活躍している歌舞伎作者で、明治を代表する作品を多く残しました。「一身にして二生を経」たところは福澤と同じですよね。
橋本 あの人は江戸と明治で違う。書くものが全然違う。幕末の黙阿弥は、最後は近親相姦となるものばかりなんです。突然近親相姦の事実が発覚する恐怖っていうのは鶴屋南北(つるやなんぼく)がやっていますが、黙阿弥になるとそれがステロタイプ化されて情景みたいのものとなる。それが出ないと怖くないというかドラマがない。
しかし明治になるとガラッと変わってもうそういう暗さがかけらもない。「時代が行き詰まる」というのと「時代が変わる」っていうのの間にはこれだけ差があるなって思います。
今の世界、今の物語のつまらなさって幕末の黙阿弥と同じでしょう。みんな幼馴染へもってゆくしかない。ジェームズ・ボンドの「スペクター」でさえ、ブロフェルドがボンドの幼馴染で義理の兄貴……。何事だと思った。世界が行き詰まるとそういうことになるんです。
なんか自分の身にドラマが何かないと嫌だっていう人がとっても増えてしまって、全部幼馴染で全て元々から決まってましたというふうになれば物語が出来るよとなった。私は本当に幼馴染みは興味ないんです。
——— 自分が特別な存在でなくちゃ嫌だという中二病とかセカイ系の思考に合うんでしょうね。幼馴染みの設定は。自分とその周辺が世界のすべてで中心だと完結してしまう。
橋本 それが進むと全部、近親相姦ばかりになるんですね。
——— 幼馴染と近親相姦、ライトノベルのボーイ・ミーツ・ガールはそれが定番ですね。
橋本 ライトノベルというのは話の中身はみんな一緒でしょう? 決まっているんでしょ。
ドラマの核がこれしかないとなると、外が見えなくなってくるんですよね。まあ江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃もドラマにする題材って大体決まっているから、似たような話を設定かえて、ああだこうだってずーっとやってましたからね。似たようなものをちょっと味つけ変えて見せるってことに関しては、江戸二百何十年のほうがすごいですね。
——— 現在は、そういう中期以降の停滞期の江戸と似た時代だと思われますか。幼馴染みと近親相姦だけでなく、ハリウッドも日本のアニメも、リメイクばかり目立ちますが。
橋本 ネタがないんだってことはわかります。
むしろ幕末に近いと思いますね。現代アートなんて幕末だと思うし。
——— 幕末という時代は橋本先生的には?
橋本 ただの騒乱だとしか思ってないから。
——— 今度のご本の話題でいえば、福澤諭吉の一番嫌ったバカが騒いだ時期ですね。
しかし今は黒船が来てない。これから来るんですか。
橋本 今は、時代の変わり目が来ていても実はピンと来ない。明治維新だと天皇が輿に乗って江戸城へ入ったとか、第二次世界大戦だったら全部焼野原になったとかはっきりしているけれど、そういうのがない。私が二十歳のとき戦後二十年ちょっとだったから、二十年という物差しをつかうんだけど、昭和が終わってもう四半世紀。「えっー」って。子供のときに二十年とは感じ方が違うにしてもですよ。
——— SMAP結成はまだ昭和だったんですよね。
橋本 メリハリがないってことはこんなふうに流れていくものなのかと。
でも、ずーっと流れ続けることは出来ないから、イギリスがEUに「あとさきの考えなしでなんで離脱したんですか?」って嫌味言われるぐらいなものだから、さすがに「何か考えなきゃいけないんじゃないの?」ってところには来ているだろうなと思いますけれど。
———福澤諭吉は、徳川時代が終わって、まだ新しい政府もルールも文体も出来上がっていないときに『学問のすすめ』を書いて、みんな一から考えたらどうだと持ちかけた。一九四五年の敗戦後、すべてがちゃらとなった時期、『学問のすすめ』はあらためて見直され、読まれたんですよね。では橋本先生が、『学問のすすめ』を取り上げた現在はどうなんでしょう。やはり当時と匹敵する歴史の画期だと思われますか。
橋本 思いますね。
11、橋本治は、昭和終焉以後の自らの闘いのどこに誤算があったかを今、検証する
——— そうですか。昭和が終わった1989年、橋本先生は、90年安保が家庭と会社から起こると語り、それからまもなくして、『貧乏は正しい!』シリーズという画期的な思想書の連載を開始されましたよね。当時と比べてどうですか。あのときも画期だと思われた?
橋本 あのシリーズ始めた時点で、私の計算は実は狂っていたんです。昭和が終わった時点でバブルというものははじけるものだと思っていた。だからこれでいろいろ終わるぞって。それが二、三年ずれた。あれが大きいかなあ。いきなりなるんじゃない、なし崩しの貧乏って、貧乏が来たのがよくわかんないですから。「うちだけかもしれない」って思ってしまったり。
だってブランドのブームってバブルはじけた後でしょう? みんなが女子高生までがヴィトン持ち始めたのって。
——— 貧困が社会問題となったのは、1997年の橋本龍太郎改革以降、報道されるようになったのは、2000年代半ばですからね。
橋本 私は実家が、私が中学生くらいの頃、バブルだったんですよ。だからのちにバブルになった日本人が経験するようなことをみんな中学生段階で経験してるし、中学生だから、大人がそれやってると、「バカじゃねえの?」ってそういう理性で見てたから。だって毎日のように父親が変わっていくんだもん(笑)。「え?」って。突然ダブルのスーツ仕立ててさ、次の日は突然、べっ甲縁のメガネだったのが金縁のメガネに変わってさ(笑)。そしたら、次の日はゴルフ始める。
——— わかりやす過ぎますね(笑)。
橋本 で、ちょうど日本で最初のカード会社であるJCBが発足したぐらいの頃で、新聞にカードの広告が出てたんですよ。こんなの誰が買うんだろうと思ってたら、その次の日、父親が持ってた(笑)。大人にしてみりゃ、そうなっていくのはうれしいことなのかもしれないけど、子どもからするとさ、「バカじゃねえの?」ぐらいでしかないんでね。
「衣食足りて礼節を知る」っていうのは、孔子の時代だからいえるのでね、礼節を知るに必要なのは、ほんとにちょっとの衣食が足りた状態なんですよ。それ以上足りて衣食余ると、礼節を脱ぎ棄てちゃうんですよね。
だから、昭和が終わった時点で、バブルで吹きあがっちゃうような貧乏を引っ張ってる人たちがそんなに多いって知らなかったっていうのが誤算っちゃ誤算ですよね、わたしの。
私、やっぱり昔の日本人だから、どこかに貧乏っていうのが一本筋入ってないとダメだなって、それが自分の弱点だなっていうふうに思ってたから。
——— リアルの地盤ってことですか。
橋本 うん、リアルなんですよね、貧乏であるということが。だって、貧乏だとつらいじゃないですか。リアルに。今、そういうリアリティを感じさせてくれるものって現実にないじゃないですか。たとえ貧乏であっても、それと向き合わなかったり。
——— しかし平成もずいぶん経って十数年ともなると、貧困とか格差とか言われ始めました。かなり遅れたけれど、ずっと浮かれてた人たちも相対的に貧乏になってきてはいますよね。
橋本 うん。
——— それは彼らにとってはそれなりのリアルかもしれませんね。
橋本 そこで反省してくれればいいけれど、しないでしょうね(笑)。私は昭和が終わって、これからは貧乏だなと思って、さっさと貧乏になった人だから、なんでも平気なんですよ。「みんな貧乏になれば?」って。
——— しかし、昔みたいにやたらとモノを欲しがらなくなったから、アベノミクスやっても消費は低迷しているばかりだし。橋本先生ほど根源的なところまでは行っていなくとも、この貧乏は受け止めているのではないですかね。
橋本 そうだったらいいと思いますけど、それだと経済なりたたないから、ムダ金使いましょうって運動ばっかりするじゃない。
12、橋本治は、婆さんのフラダンスにバブルの悪夢未だ終わらずを確認する
——— 財界や政治家やメディアの一部はそうでも、普通の人たちはもうついて来ないんじゃありませんか。
橋本 いやいやテレビ見てるOLは違うでしょう。昔よりひどいんじゃないですか。「それ使ってないと自分は取り残される」って意識は、今のほうが大きいでしょう。
80年代初めフェミニズムがまだ明確にならない頃だと、キャリアウーマンファッションっていうのはさ、「やる人はやれば?」っていうようなものだったでしょう?
——— そうでしたか? けっこう新しい時代の方向みたいに皆そっちに流されたのでは?
橋本 それはない。ないない。
だって、キャリアウーマンファッションはすぐボディコンに取って代わられたから。
——— だからそのボディコンへ皆が殺到したりしませんでした?
橋本 うん。でもあの頃は、「私あそこまでは派手になれないけど」っていう人がけっこういたはずだ。みんなそっちいったわけではない。
いまのほうが、高校生の段階から化粧してさ、みんなと張り合って、落っこちるといじめの対象になるかなとか、自分の劣等感が深くなるかなっていった蓄積のなかで生きてるから、十代、二十代、そこから降りるのがとても怖いことになってると思う。
——— そうですか。二十年まえお伺いしたとき、橋本先生は、当時の露骨な金目当ての凶悪殺人とかオウム事件、話題となっていた自意識を募らせた少年犯罪や女子高生の援助交際とかを、バブルの膿がいま出ているんだと総括されてました(別冊宝島『東大さんがいく!』)。あれはたいへん腑に落ちたんですけどね。膿出ないで悪化していますか。
橋本 していますよ。だってチープファッションとかファストファッションとか、安く少なく作らせて、レアを手に入れたものが勝ちってしてるから、より必死と言えば必至だと思う。ネットでモノを探すとか化粧とか基本的にそれでしょう?
——— うーん。そういう無理をしなくては駆り立てられないってことはやはり、多数はもうついて行ってないんじゃないかなあ。
橋本 テレビで福島第一原発事故での全村避難の人々集めて、やはり村へ帰りたいみたいな座談会やっていて、「村のよかったところは?」という問いに中年のおばさんが「フラダンス」と。
——— それはいわきが近いですから。
橋本 そう思うでしょ? みんなそういうんだけど、こないだニュースになっていた碑文谷のおばあさんも趣味はフラダンスでしたよ。いわきと碑文谷は近くないですよ。まあ日本舞踊は女の踊りは膝まげて腰落とすから膝痛めて足腰によくないんですけどね。それにしてもフラダンスがこんなに侵食しているとは……。
年寄りが年寄りにならないから消費の動向が変だってところを、経済学は考えてくれないでしょう?
——— 「学」かどうかはともかく、日経新聞ではそれ、団塊世代の「シニア消費」というキーワードとなって、個人消費回復を握る大きなテーマとして扱われていますけどね。
橋本 でもすごく変なものでしょう。赤いパンツとか(笑)。
——— だって経済学が扱うのは「量」ですもの。「すごく変」とかいう「質」をまず捨象するところから始まる考え方ですからね。
13、橋本治は、焦るバブル世代女性へ何もしないでいられた平安貴族を対峙させる
橋本 こないだ幻冬舎のウェブサイトで五十代女性の身の上相談に答えましたけど、「熱中できるものがなかなか見つからない。教えてほしい」という悩みだったんです。その女性は、「何かいいことあるんだろうな」とずーっと飢餓感を抱いてセカセカ、セカセカしてるんですよね。ただボーッとぼんやりとができない。緊張を解けない。
私、昭和が終わって、寮に缶詰になって「源氏物語」書いていたじゃないですか。一日二食、テレビも食事のときだけ、朝刊読むだけ。思えば、時間を潰すものがこんなにあるのなんて、ごく最近の数十年、二、三十年かもしれない。じゃあ明治の文豪、さらには平安貴族とか余分な時間は何してたんだろうって考えてさ。
昔の多くの人達は何もしないで時間を過ごす能力は持っていたんだなあと思ってね。明治の人や江戸時代の人は、よく歩いたんだろうけど、平安貴族はどこへも行かないですよ。だからいったい何をしてたんだろうって。
——— やりまくってたとか(笑)。
橋本 やりまくるには、行かなくちゃならないでしょ?
で、基本的に恋の通いは歩いていくもんだというのが残ってるから、どうかなあっていう。そのすごくおかしいのは、光源氏の映画で六条院って普通の屋敷の四倍でってあってさ、そこに女をそれぞれ住ませてって。それはいいかもしれないけど、歩いていくの大変だぞって私思いました(笑)。
だって、それ書くために一番最初にしたのは、京都行って、はじめに光源氏の屋敷があった二条院っていうのはここらへんで、五条の宿りってのはあそこらへんだから、歩くとどのくらいなんだろうって歩いてですよね。だから、うちの中広いから、けっこう歩くのかなと思ったけども、歩くのは使用人だけで、主人は動かないですしね。
——— でも、橋本先生が『源氏供養』で書かれていた、実質オナニーというべき相手の意思かまわずやれちゃうセックスの相手となる女の使用人とかいなかったんですか?
橋本 いたと思いますよ。でも、昔のミステリーの「使用人は犯人にしない」という条件と同じで、いても存在を消去される人達はいるんですよね。
テキトーなつまみ食いはあって、「名のある女」とだけ恋をして。
———ですよね。そういうのをつまんで、食い散らかして時間潰していたような気も…。
橋本 ボーっとしてると何かにつけて歌詠むというぐらいのことしかすることないかな。花鳥風月ってそういう意味では金のかからない暇つぶしですよね。
ただ、あの人たち、金のかかった花鳥風月だから。だって庭に桜植えたって、植えっぱなしじゃなくて、季節になると桜引っこ抜いて、別のもの植え替えるっていう。
私なんか、月に二百万稼いでも、月末になると借金返済でそれ全てなくなるという生活をずーっと続けていてさ、へとへとになって家帰るとき、空見上げたら、月に雲かかっててさ、それ見て、ああ、きれいだなっと思って、疲れを全部忘れてしまったから。本当に。
ほんと安上がりな人間だなと思いました。
——— そこまで追い詰められないと、現在は花鳥風月が現れないのですね。
橋本 砂漠の水です(笑)。
——— その身の上相談の人とはほんとに対極ですね。
橋本 多分その人は、「私は何でもすぐに出来るんだ」と思い込んでるんですよね。なんでもそこそこできる人は伸びないんだけどね(笑)。その人は友達も誰もいないと言って時間を持て余しているんですよ。それで何か趣味を持てば金儲けができるんだというどこかの自己啓発本で捕まえたらしい真理を抱えて、ではどうすれば好きなものが見つかるでしょうかって悩んでいる。自己啓発本をいっぱい読んでる。いまの出版界って、そういう自己啓発本に支えられてるんでしょうね。
——— なるほどね。確かにバブルの膿は出ていないですね。典型的なバブル症候群でいまだにふらふらしてらっしゃる。しかしそれにしても五十歳でしょう?バブル真っ只中の青春送った世代…。そこがピークじゃないですか?
より下の世代は、十代でもう不況ですから、車に代表されるモノとかお金とか海外とかを背伸びつま先立ちして必死に追いかけずに、スマホで地元の友達とつながりを絶やさず、いろいろ参加してシェアしながら生きようとしているように見えますけど。
インターネットも匿名性やバーチャルの魅力が大きかった時期が過ぎて、リアルに普通に会いたいとかボードゲームが新鮮とか、直接向き合いたいという動きが揺れ戻しであれ起こってきているみたいです。
(最終回に続く。11月15日公開予定です)
橋本治ロングインタビュー
名著『学問のすゝめ』を、橋本治さんがかつてない方式で解読して話題の『福沢諭吉の『学問のすゝめ』』。諭吉が当時の日本人に何を学べといい、庶民を熱狂させたのかを説いた本書を、浅羽通明さんにさらに突っ込んでもらうインタビュー企画。