ロングインタビューも最終回。最後は、小説や評論、芝居の演出など、あらゆる創作活動を展開してきた橋本さんならではの文化・政治論。いろいろと先行き危うい空気が流れる今こそ、“ネガティブ”が重要な原動力になる? その理由も明らかに。(聞き手・構成:浅羽通明 写真:幻冬舎plus編集部)
14、橋本治は、新国劇も蜷川もない今、古典芸能と演劇の断絶を見て立ち尽くす
橋本 若い人たちのバーチャルからリアルへの揺り戻しはあるでしょうね。
でもねえ、そういう若い人たちがいたとしても、文化って分断されると成長しなくなるんですよ。演歌も進化が止まってしまって、年寄りでも歌えるくだらない演歌ばっかりになっていってる。すごく上手な氷川きよしを歌える年寄りいないですから。
歌謡曲の進化も70年代いっぱいで終わっている。以後はカラオケの時代となったから、素人が歌えるようにって方向へシフトしていっちゃったんですよね。アイドルの歌もみんなが歌えるような方向へ変わっていっちゃう。そうなると突出したものがいないから、文化はだめになる。文化は民主主義に反したものかもしれない。
私、義太夫の詞書いたり、薩摩琵琶(さつまびわ)の詞書いたりするじゃないですか。後継者いないんですよね、その世界。商売にならないし今やってる人は頑張るけれど、末枯れちゃってるものにわざわざ入ってこようとする人はいない。先行き危うい。しかも下地が出来ていない。なんか違うの。語り物でしょう。口語文で生きちゃってる人にはあの文語文の音の回しができない。みんな明快であり過ぎるの。阿波踊りも昔はもっと雑然としていたのが、チーム的になっちゃたものだから整然とし過ぎてすごくつまらなくなった。
みんなで参加することへの回帰はあっても、上手な人のを見たり聞いたりして「ああっ」って言えるのはこれからは難しいと思いますよ。
昭和が終わる前後くらいに、いろんな人がどんどんどんどん死んでいったじゃないですか。私、勝手に「大死亡時代」って名前付けたんだけど、「あ、文化って本当に個人が作ってたものなんだな」って思いましたね。例えば、新国劇というジャンルの演劇があったけど、島田正吾が死んで辰巳柳太郎が死んじゃうと、もう何もないんですね。劇団あったけど結局あの二人で作っていたのかみたいな。新派だってもう崩壊したも同然ですしね。近代で演劇やってた人も、百年持たないで終わっちゃうのかなあと。
魅力的な役者がいたから、彼らを生かすために脚本書こうっていう作家も出てくるし、再演に堪えて何度でも見たいかなと思える舞台が出てくるんだけれど、もうそういうものはないですものね。テレビドラマなんかほぼ再現ドラマとどう違うんだぐらいのものになっちゃってるし。お客さんが飽きてくればいいんだけど、きっと飽きないんだろうなあと。
——— そういうものだと思ってしまってますからね。
橋本 うん。だって演劇好きな人ってもう、結婚のこと考えていないOLだけになっちゃてますし。その兆候は、帝劇でミュージカルをやるようになってから、そういうOLの居場所が出来ちゃったんですよ。で、劇団四季が出来ちゃったでしょもうあそこは女性のためのAKBのようなものでしょう?
コンサートがサーカス化、見世物化してサーカスが演劇化して、もう演劇成り立たないですよ。シェイクスピアだったらブランドだからわからなくても観た気になるかもしれないけど、そういうのだって蜷川幸雄さん死んじゃってどうやって鍛え上げてゆくのかなあっていうのもわからないですしね。
そもそもね、少なくとも八〇年代いっぱいかけて、日本人は「バカになろうよ運動」をしてたんだと思ってるんですよ。まあそれには、それまでの何かちょっと行き詰ってしまったものをチャラにするためにとりあえずバカになってという必然もあったんだけれども、そのあともずっとバカになってたんですよ。八〇年代終わって昭和が終わってしまったら、もう「バカになって」の時代ではないんだけれども、いっぺん「バカになって」という時代が十年ぐらい長いと、逆戻りできなくなるんですよね。
だから、その結果どうなるかというと、お笑い芸人がほぼインテリの代表のような役をやるというふうになってしまって、直接的に何か言うんではなくて、からかうような物言いをしてればなんとかなるっていうことになってしまったから、それは考えなくてもいいのかもしれないなっていう雰囲気がなんとなく広がってしまったんだろうとは思いますけど。
——— そうやって分断されて、文化は継承されず成長しなくなった……。
たしかに楽観はできませんね。皆がリアルへ回帰し始めたときにはもう遅すぎて、かつてのリアルを継承してきた人たちはもういない……。
先ほどの話に戻しますが、自己啓発本を読み散らして、趣味を追い求めてるバブルをひきずっている看護師さんにしてももう五十歳でしょう。そういうバブルを引きづっている人たちも、これから次第に高齢化して退いてゆくのではありませんか。
15、橋本治は、政治家に根深い「明治はよかった妄想」を憎悪する
橋本 いやいや、いまは年寄りほど図々しいじゃないですか(笑)。それで行き詰まってくると、「昔はよかった」って言いだす。イギリスでも年寄りがEU離脱せいってけしかけたんでしょう。
——— イギリスの年寄り、図々しそうですね(笑)。
橋本 アメリカだって図々しいしさ。もう全世界、「昔はよかった病」でしょう。日本の総理大臣だって「日本を取り戻す」って言ってますからね。みんな年取れなくなってるから、若いまま図々しい。そしてみんなそれに抵抗する強い言葉を持っていないから、図々しいほうが勝ちなんです。バカな人、ずるい人ほどポジティヴでしょう。あんなポジティヴな日本の総理大臣ってあんまり見ないですね。
——— あれは確信犯で演じているんじゃないのですか。
橋本 あの人には確信犯になるだけの頭がないと思う。一度辞めているし、復讐心に燃えたバカって厄介ですよ。
——— だとしてもいまどき暴走したところでたかがしれていませんか。
橋本 当人はしたいでしょう。いまはいろいろとそうも出来ない状況がちょぼっとあるだけじゃないですか。事態が変われば図に乗りますよ、バカって。
——— でも改憲とか今やったとしても、それで何かが大きく変わりますか。ちょっと考えにくいのですけど。
橋本 うーん。でも、変わっちゃったらもう元には戻せないですよ。
あの人は妄想的明治主義者でしょう。自民党の政治家のなかにある「明治はよかった妄想」みたいなのってすごく根深いと私は思ってますから。
大陸に進出したがるのは、日本人の血みたいなものですよ。
——— 秀吉ですか。
橋本 藤原仲麻呂だってやろうとしたし。西郷隆盛の征韓論だって。やっぱり朝鮮半島から中国へ入る変な夢っていうのは、田舎の人間が都へ上って出世したいのと同じものじゃないかという気がする。
——— しかし、植民地化や大陸侵略が日本に可能だったのは、李氏朝鮮にしても中華民国にしても国際情勢のなかで弱体化していた時期だったからかろうじてであって、現在の韓国や中華人民共和国に対してはやりようがないでしょう。それ以前にアメリカが抑えているし。
橋本 うーん、どう言われても私、これは変えないと思います。理屈抜きで明治政府に対するアレルギーがあるんですよ。だからなかなか近代まで手をつけなかったくらいで。
私は司馬遼太郎じゃなくて山田風太郎派なんですよね。だから、福澤諭吉の明治政府に対する、あのなんか微妙な嫌悪感というのがすごくよくわかるんです。
——— 風太郎先生も『明治断頭台』で、福澤諭吉を登場させてました。
福澤のあの権力との距離の置き方は相当賢いですよね。
橋本 もう距離を置いてるだけじゃあ済まなくて、潰したいくらいです。
私「日本海海戦」という琵琶曲を書きましたけど、あれなんかも日本海海戦の日本海軍を賛美する方向を封じようと思って、違う方向へもっていった詞なんです。
「こういうことをいうとこっちへ逃げる」って推察できる逃げ道を、先回りして全部塞いでおこうと思っている人なんですよ(笑)。「古事記」の現代語訳やったのも、日本の神話がまた変な風に利用されるかもしれないから今のうちに封じておこうという。
で、「古事記」で何が一番大事かというと序文なんですよ。序文を読むとどういう時代にこれが天皇へ撰上されたかみたいなことが書かれてあるから、明らかにその時代のものでしかないってわかるんですよね。ただの神話や物語だとそういう境目がなくなってくるけど、こういう時代に天皇へこれを捧げますみたいに書いてある時代の歴史的産物なんですね。
こういうふうに退路を全部絶ってやろうという変なことをやっていますね。
——— 希望の芽をあらかじめ潰しておくと。
16、橋本治は、希望をしらみつぶしに潰して安易な解答への逃避を断絶させる
橋本 なんか変に希望を与えておくとね、「それでいいんだ」って思っちゃいそうだから。
——— 文語みたいな既存の答えへ安易にとびついちゃうんですね。それで自分では何も考えないまま。それでは自己啓発本と同じになっちゃう。
橋本 そうそうそう。
だから、やっぱり俺はみんなには悲観的になってほしいなあ。そのほうがもの考えるから。
人間ってどうしていいのかわからないって中で初めて考えるものじゃないですか。だからいじめに遭った子なんてどうしたらいいのかわかんなくて迷うんだから、死ぬんじゃなくてあとは偉くなるだけだと私は思うんですけどね。迷わせることも意味があると。
——— 『青空人生相談所』の初めのほうで回答されてましたね。いじめに悩む中学生に、君には偉くなる可能性だけはある。冗談だと思っちゃだめだよって。あれ感動しました。 しかし、一般的にはみんなそう悲観的になってくれますかね、そう簡単に絶望しないのでは?
橋本 まあねえ、楽ですものねえ。生活不安がないとねえ。
もうこの先は呪いをかけるしかないです(笑)。
——— 橋本先生がひたすら希望めいた退路を断っていっても、なかなか読んでくれないじゃないですか。
橋本 しかし読んでくれない人も、なんか追い詰められてるなっていう実感だけは味わえるかもしれないから、すごーく遠回りでもやります。だってやれることなんか所詮、遠回り以外の何物でもないですから。
17、橋本治は書き続け、講演も再開して、空にはまた陽が昇る
——— ちくまプリマ―新書の『国家を考えてみよう』は十八歳が選挙権を初めて行使する参院選を意識されたとお聞きしました。内容は類書と異なり、国家とか政治とかをまさに根本の根本から考えさせるもので、『学問のすすめ』そのものですね。橋本先生は福澤ならば、「民主主義にとって選挙は大事だから棄権はやめよう」ばっかりの類書は自由民権派ですかね(笑)。あれ、十八歳たちはどう読まれるとお考えですか。
橋本 わかんないです。私、若い人のことよくわかんないです(笑)。相手がどう受け取るかは、読み手によって分かれるじゃないですか。だから、相手がどうのよりも、やることやっておかなきゃいけないなという判断で書きましたね。まあ、参院選のあとに刊行されて、「こういうの参院選まえに読みたかったのに」って言われたら嫌だなっていうくらいかな。それくらいは考えます。
あとはもう有効か無効かじゃなくて、言っておかなくちゃ始まんないと思っているので(笑)。「一粒の麦、もし死なずば」というか、誰も読まないかもしれないけれど、いま書いて土にでも埋めておけば、世界が滅びた後でほじくり返してくれるかもしれないってそれだけでやってますね。山の中で『源氏物語』書いてたときも、そう考えてました。もともと自分がやってることが他人にウケるようなことであるとも思ってなかったし(笑)。
——— でも二十年まえお話伺ったときには、『平家物語』訳すにも一行に一巻かけて諄諄(じゅんじゅん)と説くのだとおっしゃってらしたじゃないですか。一行にチャイナ古代からの暴君の名が羅列してあるから、それを噛み砕くなら、一巻あててチャイナの歴史を総覧しなくてはならない。そしてそこまで親切丁寧に説くことが、この著者はそこまで親身に俺につきあってくれるのだという信頼をも培うっていってらした。
橋本 諄諄と説いてると長くなりすぎて、読み手は飽きるんですよね。私の「平家物語」は十巻まで「平家物語」じゃないですから。
——— 七巻でようやっと「保元物語」でしたね。
橋本 そう。第三巻書いたところで、ああこれはもう誰も読まないなってわかりましたもん。諄諄と説く相手である若者ってまず私自身ですからね、昔の自分がこういうのを読んだかというと読まないってわかりますから。知らない固有名詞が三つまでは我慢しても五つ出てきたら投げ出すだろうぐらいは思います。
だから『学問のすゝめ』も、全十七編すべてこの調子でやってったら膨大な長さになって誰も読まなくなる。だから一編だけにした。そのくらいは利口になりましたよね(笑)。
——— その調子でこれからもお願いしますよ。
さっき初めのところでヤンキーに本を読ませたらって希望語ってらしたじゃないですか。
橋本 そっち系の若者が、「へ―知らなかった」つって「本読もうぜ」になってったというのも知っているから、ひたすら地を這うように(笑)、そっちの人たちにわかるように書くしかない。
やっぱりね、同じことを三回書かないと、わかりやすくは書けないですね。
一回目はまだ自分にわからせるため。その際には、「こういうのを書くんだったら、世間的に通りのいいことを」とかっていう不純物がいろいろ入っているんですよ。で、二回やって三回目になると、やっともう大体わかったから「あ、こういうふうに言えばいいんだ」みたいになるんですよね。
——— 私の場合は、違う人、三人に同じネタを話すとずいぶん整理できますね。
橋本 私、昔はわりと講演やってたのは、実はこれから書く本はどうなるのかなって反応見るためにプレゼンやってたんですけどね。
「あ、こういう反応もあるのか、ここはつっこんでもいいのかな」とかね。
でも、もうそんな体力ないです。一時間や二時間、フリートークで持たせるってよっぽど集中力ないと出来ない。私はもう病人だからそういうものないです。
——— 昭和と平成の間あたり、けっこう私、追っかけやってましたよ(笑)。カッコよかったじゃないですか。真っ赤な服着たりして。本邦唯一最高の知性、橋本治ここにありって感じで。
橋本 そういう服ももう捨てましたし(笑)。
やっぱりああいう服って、若くないと着られないんですよ、本当に。若いとね、服の派手さを殺すだけのエネルギーがあるから。そうした中和能力がないとね、枯れ木にペンキ塗ってるみたいになるんですよ。
——— 『蓮と刀』で書いてらした「ベニスに死す」の厚化粧の老人の話は怖かったです。
しかし、派手な服でなくてもけっこうですから、また話してくださいよ。そのプレゼン踏まえてまた書いてほしいです。
ヤンキーが「へえー」と本を読みだす例はありますけど、連中が一番とっつき易いのって残念ながら『竜馬がゆく』でしょう?司馬遼太郎なんですよ。いきなり山田風太郎とは行かないかもしれませんけど、なんとかしてくださいよ。
橋本 講演は七月末に久しぶりにやりましたが、人前に立つって、それだけで疲れるんですよ。女の人がメイク落としてホッとするのは、顔を作ることがそれだけ緊張することで、私はその体力があるんだったら、文章の方に回しますね。
——— おおっ。いよいよ今後に期待してます!
(終わり)
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