日本人にとって「縁起」「他力本願」「煩悩」という身近な言葉は、みな仏教の言葉です。多くの家には仏壇があり、お盆になると帰省してご先祖様の墓参りをし、人が死ぬと仏式で葬式をあげる習慣があります。日本人は仏教でてきているといってもいいかもしれません。
しかし、私たちの多くは毎日お寺に行ったり、念仏を唱えたりはしません。では、仏教とは何なのか……。
『教養としての仏教入門』の著者で、さまざまな宗教を平易に説くことで定評のある宗教研究者の中村圭志さんが、日本人なら耳にしたことがあるキーワードを軸に仏教を解説。本書より、一部を抜粋してお届けいたします。
中道 極端を避ける
快楽と苦行を超えて悟る
さて、仏教者は無常、無我、苦の現実から出発し、それに飲み込まれる悪循環を避けるべく、心を平静に保つ修行を続ける。そしてそのやり方の根本方針は、お釈迦さまの時代から中道と決まっている。快楽と苦行の両方の極端を避けるのである。
この立場は、開祖の釈迦の伝記の中に象徴的に表現されている。
釈迦はインドの王族の家に生まれた。王子様だから王宮で豪華で快楽に満ちた生活を送る。だが、鋭敏な王子は、快楽生活があくどいものであることを痛切に感じた。人間はすべて老い、病気になり、死ぬことを思うと、快楽なんかどうでもよくなった。
そこで王子は王宮を抜け出し、苦行者の群れに入って、悟りのための苦行に励んだ。それは過激な荒行であり、ほとんど骨と皮のようになってしまう。鋭敏な王子は、ここでも身体を痛めつけるのは本末転倒だと気付いて、苦行生活を離れた。
かくして王子は菩提樹の下で穏やかな瞑想に専心するようになり、その中で宇宙と人生の真相について思いをめぐらしているうちに、悟りを開いた。
これは寓ぐう意い的てきフィクションと思われるが、ポイントは、快楽と苦行のどちらの極端に走ってもいけない、ほどよい中道の中に悟りがある、という教訓を示すところにある。
千尋とカオナシの「中道」
「中道」と言えば思い出すのは、ジブリアニメの『千と千尋の神隠し』である。その中のワンシーンに「中道」という文字が登場するのだ。
主人公の少女・千尋は、お化け屋敷のような「神々のお湯屋」で湯女の見習いとして働かされる。ここはブラック企業のようなところで、千尋にとっては苦行である。
他方、カオナシと呼ばれる化け物がお大尽として従業員たちに金を振る舞い、酒池肉林のパーティを開いている。食欲と金銭欲のあくどい地獄絵図が展開している。つまり快楽の世界である。
千尋はこの空間から抜け出す。周囲は海になっている。この海の光景は比類ない美しさだ。あくどい湯屋から抜け出たところなので、まるで大酒を飲んだあとで心地よい微風を顔に受けたときのような爽やかさだ。その海の中を江ノ電のような電車が走っている。その行き先表示板に「中道」と書いてあるのだ。たぶんこれは宮崎監督のウィットだろう。