AV出演強要問題がくすぶり続ける一方、親の応援のもと活躍する、AV女優たちがいる。「うちの娘はAV女優です」と言える親子関係とは、どういうものなのだろうか? AV女優もひとつの職業として認められてきたということなのだろうか? 1月12日に発売されたアケミン著『うちの娘はAV女優です』から一部抜粋し、AV女優という職業を考えてみたい。
徐々に表れてきた「理解ある親」の存在
「うちの親、この仕事を知っていますよ」
「応援してくれています」
「自分の人生だから、やりたいことをやりなって言ってくれています!」
ここ数年、そんな言葉をAV女優の口からしばしば聞くようになっていた。
AV業界用語で親に仕事がバレることを「親バレ」という。今も昔も出演する女の子たちにとってもっとも恐れられている事態である(ちなみに彼氏にバレるのは「彼バレ」、熟女女優になると「夫バレ」「子どもバレ」といったバリエーションになる)。
これまで私が見聞きした「親バレ」のエピソードとしては、家族会議が開かれた、電話で泣かれた、しばらく音信不通になってしまった、というものがメジャー。いわば「親バレあるある」だ。中には娘の仕事を知り激昂した父親が所属事務所に日本刀を持って押しかけてきた、という濃いエピソードもあった。
また最近では親が弁護士や人権団体を通じて商品の回収を要求することもあるし、裁判沙汰になり関係者が訴えられることもある。同じ業界の人間としては、その手のトラブルは見聞きするたび胃が痛くなる思いだ。
しかし、自分の娘がメディアで性行為を見せることに猛烈に怒りを覚える親や近親者の心理、「あんたたち、うちの子を一体どうしてくれるのよ!」という怒りの心情は想像にたやすい。
その一方で、前述したような「理解ある」親が存在する。なぜそんなに物分かりがいいのだろう。脱いではいない裏方の私ですら、親に仕事の話をすると否定的な態度を取られるのに。
私は、AV業界に携わるようになって13年が経つ。最初はAVメーカーの広報として、そして今はライターとしてAV業界で働き、生活の糧を得ていることを私の両親は知っている。反対はされていない。とはいえ、いい顔もされない。数年前、入籍した際には披露宴を挙げようかと考えたのだが、仕事柄、招待する人間は業界関係者も多くなってくる。親に「親戚は呼びづらい」とはっきり言われた。情けないし、悔しかった。しかし同時に「そうだよなぁ」と納得している自分もいた。「職業に貴賤なし」とはいえ、必死に頑張っていても、まったく関わりのない世界の住人には自分の頑張りがうまく伝わらない仕事を選んでしまったのだなとも思った。わからない人には到底理解しきれない業界なのだと改めて思い知らされた。
この手の思いはマンションの入居審査に落ちた際にも体験した。私に限ったことではないのだが、AV業界で仕事をしていることは賃貸物件の審査を通過する上でかなりの足かせになる。そのたびに、あぁこれが「社会の壁」なんだな、と妙な現実感を抱く。職業差別はあってはならないと思うけれど、これもまた現実として受け入れなくてはならない。そして自ら進んでその壁の向こうに来てしまったことを感じた。
そんな個人的な事情もあり、「親が応援してくれています」というAV女優の言葉にはつい反応してしまう。
え、だってそもそも「この仕事」って親には内緒でするものなんじゃないの?
それを親に話して、しかも応援してくれている、ってどういうこと?
一体、彼女たちはどんな会話を親子でしているのだろう?
反対されたらどのように説得をしたのだろうか?
そもそも彼女たちの育った家庭が単に放任主義なのか?
「うちの娘はAV女優です」
そう認められる親、そして娘は、どんな関係にあるのだろう。
拙著『うちの娘はAV女優です』では「親公認女優」や「親バレ」を軸に、通常のAV作品の中ではあまり語られることのないAV女優たちの物語をゆっくりと紡いでいけたらと思う。
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「裸を売る仕事」をめぐる価値観はどのように変容しているのでしょうか? つづきは、『うちの娘はAV女優です』をご覧ください。