今、話題のVR(仮想現実)映像。書籍『VRスコープ付き タイムトリップ 日本の名城』では、付属のQRコードをお手持ちのiPhoneで読み取って特製VRスコープに入れることで、手軽に名城のVR体験ができます。
頭の向きを変えると臨場感のある映像が全方位に広がり、復元された名城が目の前にあるかのよう。まるで時間旅行をした気分に――。
書籍では「おんな城主 直虎」の時代考証などで知られる小和田哲男氏監修のもと、全国の20名城をCGイラストで復元。豊富な解説で歴史や逸話がわかるとともに、城内の見どころやアクセスガイドを網羅し、城めぐりに役立つ一冊です。
今回は「竹田城」の一部を試し読みとして公開します。近年は「日本のマチュピチュ」として知られる絶景の名城。現在は石垣しか残っていませんが、その石垣の積み方も大変特徴のあるものなのです。
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穴太衆(あのうしゅう)の技術が光る石垣
兵庫県朝来(あさご)市にある竹田城は、南に生野(いくの)や播磨、東に丹波を望む標高354メートルの古城山(こじょうざん)山頂に建つ。
この地方では、晩秋から冬に朝霧が発生することがあり、それが雲海となって城の周囲を囲むと、さながら天空の城のような景色を現出させる。そうした情景から “日本のマチュピチュ” とも形容される竹田城は、15世紀半ばに、応仁・文明の乱で西軍の総大将を務めた山名宗全(やまなそうぜん)が築いた安井ノ城(やすいのき)を礎にする。
山名氏の配下の太田垣氏(おおたがきし)が在城して曲輪や竪堀を築いたが、現在の縄張りになったのは、中国平定を進める羽柴秀吉の命により入封(にゅうほう)した赤松広秀(あかまつひろひで)が城主を務めた、天正(てんしょう)13年(1585)から慶長5年(1600)の間とされる。
太田垣氏の城郭を覆うように構築されたと考えられる現在の縄張りは、南北約400メートル、東西約100メートルと、山上の地形に沿って南北に細長いのが特徴である。
南端の南千畳(みなみせんじょう)を通ってその北の二の丸、天守や御殿のあった本丸、そして北東の北千畳が連なっていた。現在の遺構のなかで特筆すべきは石垣で、石積みの職人集団「穴太衆(あのうしゅう)」による野面積みとしのぎ積みを組み合わせた穴太積みの技術が用いられている。
【ココがスゴい!】穴太積みの石垣
竹田城の石垣は、近江の石積み職人集団「穴太衆」の手によるもの。石材の花崗岩は山麓や現地で集められたとされるが、最大5tに達するものもあり、大掛かりな工事が行なわれたことがうかがえる。
安土城の石積みに似ているが、朝鮮の倭城の石垣にも近く、朝鮮に渡った赤松広秀の経験が生かされているとも考えられる。
【城と城主の物語】赤松広秀と生野銀山
竹田城の南北400m、東西100mという縄張りは山城で有数の規模を誇る。これを実現するための大工事が許可された背景には、羽柴秀吉が城主・赤松広秀に付近の生野銀山を守る役割を与えたためとされる。
広秀はその後、関ケ原の戦いで当初西軍に属したが途中で東軍に変じ、鳥取城攻めに加わった。しかし、鳥取城下に火を放って延焼させたという理由から、切腹へと追い込まれている。
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