いま、改めて葛飾北斎が世界中から注目を集めています。
テレビではたくさんの特集が組まれ、すみだ北斎美術館や小布施の北斎館には、近年まれに見る大勢の人が押し寄せています。さらに、ロンドン大英博物館15万人、阿倍野ハルカス26万人、国立西洋美術館で開催中の北斎とジャポニズム展も連日大盛況と、その勢いは日本にとどまらない世界規模のものです。
北斎が「世界の北斎」となりえた背景には何があったのか。ノンフィクション作家・神山
典士氏が北斎の謎に挑戦。来年春発売予定『知られざる北斎』の執筆模様を一足先にお伝えします。
『知られざる北斎』の製作に参加できる!クラウドファンディング企画も進行中です。
北斎に夢中になっているノンフィクション作家の神山典士です。
「57絵師の代表作300点。海外分散の名作100余点も里帰り。世界的な空前の美術展」
これは1964年10月13日日経新聞解説版一面の記事です。
東京五輪の開幕中、日経新聞が日本浮世絵協会の共催で、東京白木屋(懐かしい! というか
見たことない!)で開催した「浮世絵・風俗画名作展」。力入ってますね。「師宣から広重
まで57作家330点、大英博物館、ボストン、シカゴ、ハワイの博物館、ドイツ、オランダ
の博物館、個人蔵も集めた」と書かれています。
ところが記事中に林忠正も登場するのですが、これが酷い書かれ方。およそ一流紙とは思
えません。
「そのころわが国ではいまは何百万円もする歌麿や写楽の名作もほとんど顧みられることなく、タダ同然の値段でパリ辺りに輸出されていた。パリにいた林、若井某などという一
部の日本人が中心になって、組織的に日本で買い集め、それこそ天文学的な数字で浮世絵
を世に送り出したのである」
「林、若井某」ってなんすかね!!しっかりフルネーム表記しろつーの。しかも「タダで買
い集めて天文学的な値段で売りさばいた」という表記からは、詐欺師のような印象すら与
えかねない。
でもこれは全くの誤解だし誤記で、この記事の中にも矛盾点が潜んでいます。「(浮世絵は
)洗練された美感覚を表現した日本美術の代表、その芸術的価値を見いだしたのは西欧の人
たち、西洋近代絵画に新鮮な影響を与えた、ゴッホが広重の橋上雨図を模写した、多くの
画家が浮世絵の技法に学び、評論家も絶賛を惜しまなかった」――――。
と、おおよその歴史の流れはこの書き手も抑えているわけです。仮に林や若井たちが西洋
の美術界からの要請に応えて日本から浮世絵を大量に西洋に持ち出さなかったら、「おそ
らく現在残っている浮世絵は3分の1以下になってと思います」と、あべのハルカス館長、
浅野秀剛さんも語っています。
江戸末期から明治初期にかけて、浮世絵は「美人や役者のブロマイド代わりにたくさんつ
くられた」(同紙)ものですが、価格は北斎でも500円程度のもの。西洋で「北斎漫画」が発見されたのは、輸出された陶器の緩衝材として箱に入っていたのが発見された、というのですから、誰も大切にしなかった。
それを当時パリに27年間も滞在して美術商として活躍していた林や若井が、顧客に頼まれ
て輸入して良品を西洋に紹介した。
しかも林は、まだ売れる前の印象派の画家たちには、作品と物々交換で与えていたという
のですから、むしろ浮世絵の恩人であり、印象派とジャポニズムの影のプロデューサーで
もあったんです。
つまり北斎を世界の北斎にした一人は、間違いなく林忠正なんです。
ジヴェルニーにある「モネの家」には約200枚の浮世絵コレクションが飾られていますが
、その絵の隅には「林忠正」「わか井のをやぢ」の赤い印鑑が。彼らから買った証拠です
。さらに庭の池にある睡蓮は、林が日本から輸入してモネに与えたもの。
それらを作品に昇華したのはモネたち画家の才能ですが、林がいなかったらモネは最晩年
の「睡蓮」シリーズを描くことができなかった。あのオランジェリー美術館の大作は、生
まれていなかったかもっと遅れて生まれたか。いずれにしても、大量の睡蓮の連作は、不
可能だったと思います。
凄いぞ林!!やるじゃないか、明治の日本人!!
若干24歳で万博の通訳兼事務員としてパリにわたり、そこから帰国せずに徒手空拳頑張っ
た林。最後は1900年パリ万博事務局長という大役を果たして51歳で帰国します。
その後住んだ日本の家が、いまは新橋演舞場(1500坪)になっているといっても、それくら
い許しましょうよ。
がんばったんだから。
今回の「知られざる北斎」(仮)では、余すことなく忠正の偉業を書きたいと思います。い
ままでの不名誉を一掃しないとね。そのために、みなさんのお力を貸してください~
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知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
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