これから話すのは、とあるバンドがUS TOURに出た際にたまたま、いや、あとから考えれば必然的とも思える理由で居合わせた体験記の一部である。
わたしは右でも左と決め込んだ政治理念はなく、主義を持たないことを唯一の主義にしているところがある。正義という言葉が用いられる時、その裏側で踏みにじられた想像力のなさにも反感を持っているところがある。ただ、ここで見たことはそんな猶予のない圧倒的な悲しみで、一つのrageだった。
* * *
西海岸ツアー後半、Flagstaffは小さな街だった。シルバニアファミリーのような可愛い街並み、一時間もあれば街を一周できる。パン屋さんの小麦をこねる匂い、学校帰りの大学生、デートする老人の夫婦。最初の印象はそんなところだ。街を散策していると、グラフティやストリートアートがポリティカルともとれるメッセージを多く発していることに気づく。
「native」と書かれた壁、体の溶けた赤ちゃんの造形、ミサイルが飛び交う中でひきつったトランプの顔面。これらを見ながら散策していると可愛かった街が同時に多くの闇を抱えていることに気づく。Film Makerの神谷とさらに歩くと、アジア人が物珍しいのか、陽気に話しかけてくるネイティブアメリカンのおばさん。神谷がふいにカメラを向けると、左手でレンズをさえぎってしまう。
大阪西成のドヤ街でも、同じようにカメラを執拗に嫌がる。その大きな理由は前科や、過去の犯罪、何らかの理由で逃げている人が多いからだと、西成のおっちゃんに教えてもらったことがある。三角公園にて鬼殺しを飲みながら。おそらく、それもあるだろうが、このツアーで神谷が回し続けるカメラを反射的に嫌がるのは、迫害を受けている人種だということにうすうす感づいていた。とある場所では黒人が、とある場所では中国人が。何かから逃れるためなのか、コミュニティのように街が形成されていく。黒人街、中国人街、コミュニティをもって自分たちを守る。
このFlagstaffでもそれは同じようだった。ライブに来てくれたネイティブアメリカンの親子は、わたしたちの神戸時代からの友人の恋人の親戚で、その晩、そのネイティブアメリカンの家にステイさせてもらうことになる。彼らの住むアパートを囲う団地もネイティブアメリカンの人達が集まって暮らしていた。ただ、そこには目立った悲壮感はなく、隣接されたバスケゴールで遊ぶガキンチョや地面にチョークで書かれた落書き、名古屋刑務所の管区で育った俺の小さい頃と何も変わらない。空の星はうじゃうじゃとうるさいくらいだったしね。ここでの暮らしも案外悪くなさそうだ。
それでも昼間のグラフティやカメラを向けた際のおばさんのことが気になって、ステイ先のママ、バブルに色々と聞いてみた。バブルが言うには、小さい頃は電気もなかったから火で暮らしていたし、水道もないから井戸で水をくんで生活してたそうだ。それが昨今では急速に変わり、にぎやかな食卓ではやんちゃな小僧が早くアニメが見たいと口からコーンフレイクを床にこぼしている。
時代はかわる。
それはかえられないし、抗わなくていい。過保護に守らなきゃいけないような伝統は消えるのが定めだと思う。
そんな話の流れからネイティブアメリカンにロックバンドはいるのか? なんて軽いノリのつもりで聞いてみた。すると、BLACK FIREというレジェンドが近くに住んでるから会いに行こうとバブルは言った。正直に言うと連日のライブで疲れていたし、名前のだささから音楽的に期待できなそうで乗り気じゃなかったが、言い出したのはわたし。昼下がり、皆でゾロゾロついていくことにした。
その場所は団地の一角にあり、PROTECT THE SACREDと名うたれていた。
「隠されしモノを守る」
どういう意味だかさっぱりわからなかったが扉をあけて一瞬で理解する。パンクスが運営するシェルター的なコミュニティスペースだった。わたしもパンクスの端くれとして、そういった場所に足を踏み入れたことは何度かある。パンクのフラッグやデモ行進用の看板に拡声器。どれも既視感があった。
ただ、音楽好きが集まるというよりは地域のネイティブアメリカンが集まるコミュニティスペースとして運営されているようで、週に一回の昼ご飯がふるまわれるその日、来ているほとんどはホームレスだった。
場所のオーナー、Kleeは綺麗なまっすぐの目をしていて、わたしたちのことを皆に紹介し、歓迎した。ヤギ肉のスープなど、グランドキャニオンの近くでとれたという郷土料理がふるまわれる中、渡したGEZANのテープが再生される。WASTED YOUTHが大きな音で流れる中で皆が熱々のスープをすすっている。異様な光景だ。
和気あいあいとした談笑、お前らは人気者なのか? 今度はここでライブしろよな? カメラに向かってピースサインをおくるお調子者。謎に気に入ってくれたようで、毛のふわふわな帽子やら、黒曜石のペンダントなど次々にプレゼントしてくれる赤いシャツのおばちゃん。思ったよりも柔らかい空気に安心する。ヤギの汁は湯気をあげてそのスペースでの談笑に色をそえる。たとえBGMでも、わたしたちも音楽で彩を添えられていることにうっすらと感動する。
そんな空気を切り裂くように男が、突然立ち上がり話し始めるた。Kleeは慌てて、テープの再生を止め、ざわついていた部屋に男の声だけになる。さっきまでイーグルと肩を組んで音楽の話をしていたネイティブアメリカンの男だった。早口でまくしたてるため、状況が今一つつかめないが、先ほどとは別人の固く怖い顔をしていた。
男は最後、拳を突き上げて、白人と今こそ戦うべき時だと言った。間髪入れずに複数の手が上がり、話し始める。どんな目にあったか、どんなひどい仕打ちにあったか、また別の男が手を上げる。凍り付いたフロアに怒号のような呻き。わたしたちはただ圧倒されていた。インディアンのシャツを着て、サングラスをかけた男は立ち上がり語り始める。
「妹が殺された」
男の怒りと悲しみに震える声、涙を殺しながら語る。プレゼントをくれたおばちゃんがつぶやく「I'm sorry」。
なんで彼女が謝るんだよ。
彼女が着ている赤いシャツはまだつかまっていない犯人とその殺された妹のことを忘れないためのシャツらしい。「彼女は友達だったんだ」そう言いながら俺に向かってシャツを見せた。
胸をはい回る憎悪と悲しみ、理不尽の嵐、頭をたらし、ただ悲しい塊になることしかできない俺に、彼女はありがとうと言い、手を握ってくれた。その掌はあたたかくて、こらえきれず俺は泣いた。
皆が民族のうたを歌いはじめる。涙を流しながら歌う。わたしは君が代を泣きながら歌ったことなど一度もない。コミュニティに疑問を持ち続けてきたが、集まることでしか乗り越えられないそんな悲しみもある。
先ほどまでの和やかさなど微塵もない。言葉などほとんどわからないが、その色や表情から傷の深さをえぐるように感じていた。
わたしの口からはノーボーダーだなんて彼らに向かって言えない。民族の本質を知らないわたしに平和を諭す権利などない。その正義の裏側で傷つく可能性がある人がいることを想像せよなどとは言えない。あの悲しみを前にして、わたしは偏りつくした一言が内側から湧き上がってくる。それは今まで、言葉にする人のことを軽蔑してきた一言。
「ぶち殺せ」
そいつらにも家族や恋人がいて? 知らねえよ。そう言ってあげることがやさしさになりうる現場にいた。過剰で異質な空間だが、まさしく現実の世界にあるそんな場所での話だ。世界は一つなんかじゃない。平等でも平和なわけでもない。悲しみに蓋をして、ないものにして、のうのうとインターネットの前で綺麗ごとを並べるだけのそんな自分に吐き気がする。
わたしはただ悲しい塊になって歩いた。車の後部座席でぼんやりと景色を見ながら、次の街へとバンで体を運ばれる。
混乱している。心が泣いている。
新しい仲間ができた。ポートランドの友人たちもLAで再会する。ツアー初日で遊びに来た奴、対バンしたやつらもまた会いに来てくれた。
白人だ。
PROTECT THE SACREDでネイティブインディアンが今こそ戦おうと拳をあげていた、その対象。
混乱している。
正義がたくさんあって困る。やさしさに種類があって困る。好きな人がいっぱいで悲しくなる。
Flagstaffの壁に、とある言葉がタギングされていた。カメラを嫌がったネイティブアメリカンのおばちゃんと会って30秒後の壁だ。
今はその言葉をここには記さない。反抗か抵抗か、胸にひっかかって抜けないその言葉がわたしたちの録音したアルバムのタイトルになる。