「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、ジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 気鋭のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。前回はこちらから。
コレクショニズムという名の征服欲
経済学者・水野和夫はその著書『資本主義の終焉と歴史の危機』の中で、ゼロ金利、マイナス金利をつけた日本を筆頭に、「世界の資本主義が終末を迎えている」と主張し、多くの読者を獲得してきた。その後フランスからトマ・ピケティの理論が登場。資本主義下の経済的不平等を論じ、資本主義にかわる経済システムを説いた『21世紀の資本』が世界的に大ヒットをしたのも記憶に新しい。
水野はその状況下にあって、ポール・ゴーギャンの「ナフェア・ファア・イポイポ」がオークションで3億ドルの史上最高値をつけたことに着目。「有用性の低い絵画がなぜこれほどまでの価格になるのか?」と疑問を持ち、「有用性がないからこそ価値があがる」と主張する美術評論家にして画商・山本豊津と出会い、「直感的にアートや芸術の世界に(次の世界を予測する)大きなヒントが隠されているのではないか」と考えて、異色の対談集「コレクションと資本主義」を企画したという。
二人が着目したのは、資本主義を生んだ西洋社会が、「ノアの方舟」以来ずっと持ち続けている「蒐集=コレクショニズム」の本質だった。水野はこう続ける。
「(富や財を蒐集して自分の富を肥やすこと)それ以上に重要なのは、世界中の価値を集め、自分たちの価値観によってそれらを体系化し、『世界を所有すること』です。そしてそれらを一般に公開することで、所有している『自分の立場と力を誇示すること』なのです」
所有する側は所有される側よりも上位に立つ。コレクションを公開することで自分たちの力を示し、ヒエラルキーの上位にいることを世界に知らしめる。
資本主義とは常にニューフロンティア(経済的社会的文化的に未開拓の地、空間、概念)を見つけ出し、その富をいち早く「占有」し、根こそぎ「収奪」することで拡大再生産を繰り返すシステムだ。16世紀の大航海時代しかり。17世紀の産業革命しかり。身近なところでは2000年頃に起きたネットバブルも、2008年リーマンショック時に露呈した「金融資本主義」も、全てこの概念に当てはまる。
だがその裏には、異界の美術品を根こそぎ蒐集する「コレクショニズム」が張り付いている。経済的拮抗や対立は時に武力を伴う紛争を引き起こすが、美術的なヒエラルキーは力による制圧を伴わない。むしろ尊敬や友愛の感情を呼び起こす。
たとえばピカソはスペイン人、ゴッホはオランダ人だが、ルーブル美術館に収蔵されるとフランスの文化遺産のように見えてくる。それはフランスという国がルイ14世の時代から「文化による世界制覇」を国家戦略とし、無限の努力と多くのコストを払って芸術家たちを庇護。文化国家のイメージを獲得してきたからだ。
西洋文明は「資本主義とコレクション」、この表裏を上手に使い分けながら、この2000年間世界をリードしてきた。「ノアの方舟」がコレクション第一号だったと言われれば、その説にも納得できる。
とすればまさに19世紀末に起こったジャポニスムも、ジヴェルニーで目撃したモネの「日本愛」も、表面的には「西洋が日本の美を愛した」と受け取れるが、実はその裏で西洋人は「美を通して日本を飲み込む」ことを狙っていたのだ、本能的に、打算ありありで。
帰国後山本を訪ねると、19世紀ジャポニスムに対してこう語った。
「当時は日本の開国期で、それまで東洋の「日の出る国」と呼ばれた神秘の国が自分たちの経済圏に登場してきた。西洋列強はこぞって通商条約を結びますが、隙あらば飲み込もうと狙っていた。その先陣として美術コレクションがあったといっていい。その本能があってこそのジャポニスムだと思います」
―――やっぱりそうなのか。
西洋人の愛の裏側を認めざるを得ない。そう思えばブランデー一本ではしゃいで見せたモネの狡猾さと、浮世絵とモネの作品を見比べて「同質さ」に浮かれた矢代のウブさは、西洋と日本の格の違いの象徴だ。結局松方は、この時大枚を叩いてモネの18作品を買った。その後の歴史を見れば、戦時中フランスに残された松方コレクションの一部は、戦後もフランスから返還を拒まれて戻ってこなかった。現在国立西洋美術館に収蔵されているモネの作品は13点。その全てがあの日の18点だとしても、5点も足りない。
日本のウブさ、これに極まれり!
オープンにしない日本
ちなみに山本によれば、歴史的に見ると日本にも早い時代にコレクションがあった。
奈良天平時代の美術工芸品(中国、ペルシャ等からの輸入品を含む)を集めた正倉院。室町幕府8代将軍足利義政によって中国の美術品などがコレクションされた「東山御物」。そしてもう一つは安土桃山時代、織田信長によって行われた「名物狩」。信長は全国から優れた茶道具を集め、功績のあった武将に領地の代わりに「天下様の茶道具」を与えた。信長にかしづくために各地の武将たちも茶器のコレクションを始め、信長没後は秀吉と千利休の「茶の湯」に継承されていく。
特徴的なのは、正倉院も東山御物も非公開だったことだ。現在も行われる正倉院展では、わずか2週間の期間で約1万点の所蔵物のうち数十点が公開されるだけだ。単一民族国家(と思われてきた)日本では、美術によって他国や他民族を威圧する必要がなかったのだ。
言ってみれば日本人の愛(コレクション)は「無垢」で、その裏側に貼りついたニューフロンティアの征服欲がなかった。
その中にあって唯一秀吉だけが一般人も対象に「大茶会」を開き、自分の茶道具のコレクションや金色の茶室を公開している。西洋では大英博物館の無料公開に象徴されるように、「コレクションを通してその力を披瀝する(相手の上に立つ)」ことが一般的だが、それを狙ったのは秀吉だけだ。水野が書くように、「蒐集の本質が自らの価値を広げていこうとする暴力性なのだとすれば、晩年に秀吉が朝鮮出兵を行ったのは象徴的」だ。
日本の歴史を振り返れば、明治を迎えるまでに自ら海を渡って異国に攻め入ったのは662年、天智天皇が百済と組み、唐・新羅連合軍と闘った白村江の戦いと、秀吉の朝鮮出兵だけだ。コレクションを披瀝する必要のない民族性は、長い年月をかけて培われている。
対してヨーロッパ大陸は、有史以来異民族、異宗教、異国との戦いの連続だった。相手を凌駕しなければ自らが潰される。相手より優位に立たなければ他民族との連携連合もできない。ひいてはニューフロンティアの獲得競争にも負けてしまう。
そういう環境の中で西洋人は「美術コレクション」という、人間の本能を刺激するもう一つの「愛の戦争」を編み出した。これに勝利して、その成果を大英博物館やルーブル博物館等で披瀝してこそ過激な戦場で生き残ることができる。
19世紀末のヨーロッパに渦巻いたジャポニズムは、西洋人にとっては美術的ニューフロンティアだった。日本の浮世絵が持っていた美術的要素がジャポニズム勃興の理由ではなく、その愛の裏側には「周到な打算」が働いていたのだ。
そのうねりの誕生の理由は、実はまだある。
時は19世紀末。人々の意識が「世紀末」に揺らいでいたところに、イギリスに起こった産業革命の波がフランスにも及び、科学や産業の発展、帝政と革命による政治体制の変化、そして美術史に記される「革命」等が次々と起こった。それらが醸しだす独特な時代の雰囲気が、極東の島国からたまたまこのタイミングで到来した浮世絵を待ち構えていたのだ。
* * *
次回からはヨーロッパの世紀末状況と印象派について繙きます。5月12日公開です。
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