新聞記者時代、著者の人間関係は深く、狭く、強かった。しかしフリーになり、リーマンショックと東日本大震災を経験して人とのつながり方を「浅く、広く、弱く」に変えた。その結果、組織特有の面倒臭さから解放され、世代を超えた面白い人たちと出会って世界が広がり、妻との関係も良好、小さいけど沢山の仕事が舞い込んできた。困難があっても「きっと誰かが少しだけでも助けてくれる」という安心感も手に入った。働き方や暮らし方が多様化した今、人間関係の悩みで消耗するのは勿体無い! 誰でも簡単に実践できる、人づきあいと単調な日々を好転させる方法。
新書『広く弱くつながって生きる』の著者・佐々木俊尚さんと、小説『メゾン刻の湯』の著者・小野美由紀さん。おふたりが「これからのつながり方」について対談しました。
『君の名は。』がヒットした理由
佐々木 なんかね、すごく自由な社会になってきているので、「出会えること自体が奇跡的」と僕、最近思うんですよ。一昨年、『君の名は。』という映画がヒットしたじゃないですか。絶対に出会わない高校生の男の子と女の子が出会ってしまうという話で、あれってまさに今の時代の感覚。出会えないのが出会ってしまう。その出会いという偶然性みたいなものをいとおしむというね。そういう感覚にすごく満ち溢れた映画だなと思っていて。あの感覚こそが二一世紀の日本の感覚なんじゃないかなと思うんですよ。いつ切れてしまうかわからない。だからとても切ない。そこでちりぢりバラバラになってしまうのも寂しいけど、これ以上絆を強くすると苦しいよねというのがお互いにわかっている感じ。そういう意味で言うと、『君の名は。』と小野さんの小説とか、どこかでつながっている感じを僕は受けたんだよね。
小野 そうですね。すごく刹那的な人間関係を一瞬、一瞬、いろいろなところでそれを作っていくというのが今の人間関係っぽいんですかね。
佐々木 そうなんだよね。だからそのプロセスというか、「いまこの瞬間を大事にしましょう」というね。そういう話なんじゃないかなという。どっちにしろ明日はないんですよ。明日はないと言うと言い過ぎだけど、「明日の保証は何もないので、だったらいまこの瞬間の感性みたいのをいとおしんで生きていく」ということのほうが、たぶんわれわれにとっては健全なんじゃないかなという感じはするんだよね。
小野 なんか、それを聞くと、ほんとにますます強いつながりを逆に作りにくい世の中だなと思いますね。結婚とかね。
佐々木 だから結婚しないことを選択する人が増えているんじゃないの。
小野 そうですよね。そりゃ少子化もするわ(笑)。
「私たち」という範囲をどうやって広げていくか
佐々木 「結婚相手より仲間のほうが大事」という時代だと思う。前に、社会学者の阿部真大さんが、J-POPの歌詞を分析して、その時代性を切り出す「地方にこもる若者たち」(朝日新書)というおもしろい本を出していて。八〇年代、九〇年代ぐらいまでは「世の中が荒れていても俺とおまえがいれば幸せ」みたいな。二人の世界の閉じこもるみたいな歌詞が多かったと。これが二〇〇〇年代に入ると、二〇〇〇年って何の時代かと言うと、非正規雇用が増える時代。女性も働くようになった時代なんですね。そうすると、その時期に増えた歌詞というのが、「家に帰ってもおまえはいない」という歌詞が増えた。
小野 へえー。
佐々木 で、二〇一〇年代になると、今度はもう「おまえはいなくていい」と。「その代わり俺には仲間がいるぜ」という、湘南之風的な歌詞がどんどん増えてきた。だからだんだん恋愛から仲間という感覚に変わってきているというのが二一世紀の特徴なんじゃないかということが書いてあったんですけど。なんか、その感覚はわかるよね。
小野 そうですね。確かに。「信頼し続けられる一人」みたいなのって難しいですね。
佐々木 かつては恋愛ってセーフティーネットであると同時にエンタテインメントだったわけじゃないですか。そのエンタテインメントを楽しむ余裕がなくなっている部分というのも確かにあって。だから「セーフティーネットとしての結婚」というのは未だに残っている。だからけっこう三〇代ぐらいの女性と話していると、みんな言うのが、わりに多いのが、「恋愛はどうでもいいから、すぐ結婚相手がほしい」みたいな。わかります?
小野 うんうん。だからこそマッチングアプリがすごく流行るんだと思います。恋愛をそんなに求めていないと思うんですよ。そこに登録している人も。ほんとにすぐ結婚したいみたいな人ばっかりなんですよね。だから機能的に結婚を手っ取り早く手に入れて。恋愛、どこ行っちゃったんだろう……。
佐々木 友人に『ゼクシィ』というリクルートの結婚情報誌の編集長をずっとやっていた伊藤綾さんがいて、前に彼女に聞いて、なるほどなと思ったんだけど、昔の結婚式はゴールだった。上司とか、仲人の挨拶をして「君はこれで楽しい独身時代は終わりだから、これからは奥さんを大事にするんだよ」という、着地点としての結婚というのが多かったけど、今の結婚式ってそういう感じでは全然なくて「奇跡的に出会えた二人がとうとう結婚して、これからすごく大変な荒波の中で生きていかなければいけないので、それをみんなで支えていこう」みたいなね。そういう仲間と共に結婚を祝うみたいな感じの結婚式が増えているよねという話を伊藤さんが話していた。これに僕はとても感動したのです。
小野 あっ、そうなんですね。
佐々木 結婚のような、「共に生きる」感覚もすごい勢いで変わってきているというか、時代に適合してきているんじゃないかなと思う。
小野 「私たちの中の二人」みたいになっているということですよね。
佐々木 そうそう。そういうこと。だからシェアハウスの中で夫婦というのも出てきているし、子育てする人も出てきているんだよね。
小野 そうですね。
佐々木 そういう、縁もゆかりもないんだけど、結婚したり、みんなで暮らしたり、子育てしたりして、みんなが集って、ゆるい関係性を保ちながら生きていくというような住まいのあり方とか、暮らしのあり方って、一〇〇年後とかは標準的になっているんじゃないかなと思う。
小野 確かに。「私たち」という範囲をどうやって広げていくかというか、そこが基盤になっていくという感じなんでしょうね。
(つづく)
書籍紹介
どうしても就職活動をする気になれず、内定のないまま卒業式を迎えたマヒコ。 住むところも危うくなりかけたところを、東京の下町にある築100年の銭湯「刻(とき)の湯」に住もうと幼馴染の蝶子に誘われる。 そこにはマヒコに負けず劣らず“正しい社会”からはみ出した、くせものばかりがいて――。 「生きていてもいいのだろうか」 「この社会に自分の居場所があるのか」 そんな寄る辺なさを抱きながらも、真摯に生きる人々を描く確かな希望に満ちた傑作青春小説!