コレクショニズムの総本山
西洋社会のコレクショニズムの総本山、ロンドン市内の中心部に威圧的に鎮座する大英博物館に来ている。2017年初夏、国内では小池百合子知事率いる都議会の政党が大躍進していた頃、ロンドンでも時ならぬ大行列ができていた。
パルテノン神殿風の巨大な柱がにょきにょきと聳えるこの館は、1753年の創立、開館は59年、産業革命の勃発とほぼ同時期に生れた。古今東西の美術品、書籍等約800万点が収蔵され、その中にはロゼッタ・ストーン、死海文書、パルテノン神殿の彫刻群のように、略奪か植民地時代の合意のもとでの採集か、議論が分かれるものも少なくない。まさにコレクショニズムの殿堂、今日でも個人からの寄贈や蒐集等により収蔵品は増え続けている。
年間の入館者は約650万人。その半数以上が外国人観光客や研究者で、70年代の3カ月を除き開館から今日まで入場料は無料。募金箱には「世界どの国の通貨でもかまわない」と記されていて、施設維持費は寄付とグッズ販売で賄われている。
かつては、1億5000万点もの資料を誇り、名物の壮大な円形閲覧室を備えた大英図書館が建物中央に鎮座していた。けれど1997年に書庫と図書館機能は分離され、いまはグレート・コートと呼ばれる建物中央部には特設展示場とミュージアムショップ、レストランが入っている。
そのエントランスの巨大な柱に、北斎の「The Great Wave、神奈川沖波裏(以下GW)」が描かれた巨大なポスターがかかったのは、2017年5月25日から8月13日のこと。「Beyond the Great Wave」というタイトルで大北斎展が開かれた。
チケットには入場できる時間が書かれている。朝一番に並んでも、取れたチケットには午後1時からの指定があった。最終的には約25万人が訪れたというから、北斎人気おそるべし! 欧米ではレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」に匹敵する認知度を持つと言われる北斎の「The Great Wave」は、噂にたがわず多くのファンを引きつけている。
この時私が大英博物館を訪ねたのには、いくつかの理由があった。
今回の展覧会のテーマは「The Last Hokusai」。還暦以降の最晩年約30年間に光を当て、肉筆画を交えながら展示しようという試みだ。日本からは多くの浮世絵とともに、長野県小布施町が保存する祭り屋台に描かれた肉筆の天井絵「男波・女波」も出展されている。展示室の入り口付近に掲げられた日本地図には、江戸(Yedo)、大坂(Oosaka)、京都(Kyoto)に並び「小布施(Obuse)」も記されていた。江戸や京都はわかるが、小布施とはどこだ?なぜここにポイントされているのか? そう首をひねる欧米人の姿が何とも微笑ましい。
北斎の「The Great Wave」と言えば、「冨嶽三十六景」に描かれた「神奈川沖波裏」がその白眉と思っている人がほとんどだが、実はその絵の発展形が小布施の肉筆画「男波・女波」だ。抽象絵画でもあるその絵を見て欧米人がどんな反応を示すか。浮世絵しか知らない欧米人が、肉筆画にどんな反応を示すか? 私はそれを自分の目で確かめたかったのだ。
そしてもう一つ――。
この展覧会は大英博物館と大阪にあるあべのハルカス美術館の共同企画で、ハルカスでは9月からの開催が決まっていた。
不思議に思ったのはそのタイトルだ。
大英博物館では「Beyond The Great Wave~大波を越えて」というタイトルだが、全く同じ展示内容であるにもかかわらず、大阪では「Beyond The Mt.Fuji~富士山を越えて」となっている。
大波と富士山。どちらも「神奈川沖波裏」に描かれたコンテンツには違いないが、焦点の当て方が異なる。
日本とヨーロッパでは北斎の見方が違うのか?
あるいは北斎は、日本とヨーロッパで別の解釈をされているのか?
その点を確かめたいと思い、この展示会を企画した日本美術研究家、キュレーターのティム・クラークにインタビューを申し込んでいた。彼に会うことがこの日の最大の目的だった。大英博物館の奥深く、最上階にある大きなキュレータールームで向かい合ったティムは、「なぜ今回の展示会のタイトルがBeyond The Great Wave なのか?」という私の問いに、こう語った。
圧倒的なグラフィックパワー
「あの絵をタイトルに選んだ理由は、日本や浮世絵のことはよく知らなくても、世界中の人があの波のことは知っているからです。欧米ではThe Great Waveと呼ばれてモナリザと並ぶくらい有名な絵です。そのグラフィックパワーは素晴らしい。ヨーロッパの画家たちの間でもあの波は圧倒的に有名です。たとえば”あの画家”がGWについては最初に言葉を残していますね」
ティムはまずそう言って、ウインクして見せた。
確かにイギリスにきてみて、北斎の「神奈川沖波裏」に描かれた「大波」の人気を改めて思い知らされた。美術関係の書店に行けば、ヨーロッパ中に描かれたGWを取材して写真付きで描いた『Hokusaisai’s Great Wave Biography of a Global Icon(北斎の大波・世界的イメージの伝記)』という本が並んでいる。
著者のクリスティン・グースはこう述べる。
「世界で大波が愛されている理由は、見る人次第で解釈ができること。物事の動き、創造と破壊。恐れを抱くこともあるし、決意の表現になったりもする。」
BBC放送のサイトによれば、テムズ川南のキャンパウエルの個人宅の壁には、20年前からGWが描かれている。持ち主が人生の仕切り直しを考えて自己啓発講座に通ったとき、「地域プロジェクトの指揮をとる」という課題が出た。その時、自宅に画を描くのにちょうどいい壁があることから、「慈善団体に寄付金を集めるより、みんなを元気にする壁画を描こう」と思いついたという。
「でも何を描こうか?」友人に相談すると、
「日本のあれはどう?」二人同時に口にして、大波に決まった。
描き始めると、近所のとても気の荒いギリシャ人の工場主が、「ああ北斎ね、あの大波を描くのか」と言って、思いがけず手伝ってくれた。製作していた約1カ月半の間、母子連れを含めた地元住民や通行人が代わる代わる作業を手伝った。完成してみると、それまでクスリの密売やひったくりの絶えない地域だったのに、人々に笑顔が見られるようになった。と、報告されている。
ブリストルには赤い大波を描いた壁がある。フランスでは、革命や大戦で亡くなった身元不明の遺体を安置する地下深くの「カタコンブ」の壁に、巨大な大波が描かれている。人が寄りつかない不気味な空間なのに、いったい誰が描いたのだろう。
2007年には、ファッションのトップブランド「クリスチャン・ディオール」のデザイナー、ジョン・ガリアーノが春夏オートクチュール・コレクションでGWを描いたドレスを発表した。16年には、ストップモーションアニメで世界最高峰の技術をもつアメリカの「スタジオ・ライカ」が「クボ 二本の弦の秘密」で北斎のGWにインスパイアされたシーンを描いた。日本では、2019年からパスポートのページにGWと赤富士が使われる。17年大晦日の紅白歌合戦では、石川さゆりの歌のバックにGWが登場した。18年には、デザイナー桂由美がブライダルドレスのテーマを北斎とした。映画会社はゴジラが大波に立ち向かうTシャツを販売しているし、ビールのコマーシャルにも使われた。最近では、外国人観光客のお土産用に、袋にGWが描かれたラーメンも発売されている。
「あの大波の人気の秘密は、西洋人にとっては浮世絵のエッセンスがわかりやすく表現されているからだと思います」
そう語ったのは、この展覧会を大英博物館と共同企画した大阪あべのハルカス美術館々長の浅野秀剛だった。こう続ける。
「それまで西洋の美術には、波だけがテーマになるような作品はありませんでした。それなのに、北斎はあんなに大げさな造形で、自然界ではあり得ない構図で描いている。初期の印象派の画家たちは写実的でしたから、北斎はどこに立って描いたのか? 不思議だったんじゃないでしょうか」
すでに述べたように、それまでの西洋の絵画のテーマでは神を頂点にして人間がその次、自然界の生き物は底辺に位置していて描く価値もないとされていた。自然を描くなら、神がつくった大自然を俯瞰することが大前提だった。
ところが北斎は波だけをテーマとし、ありえないような低い視点から大胆な構図で描いた。浅野が続ける。
「海の真ん中であんなに大波が立つことはありえないし、しかもあの爪形の波先は、通常の肉眼では見えない波形です。この画家はどんな眼をしているのか? どこに位置して描いたのか? 初めて見たヨーロッパの画家は、混乱したのではないでしょうか」
浅野は愉快そうにそう言った。
知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
- バックナンバー
-
- 時は明治。東大のエリートはパリへ渡った
- シーボルトは北斎に会ったのか?
- 「国賊」と蔑まれ…天才画商の寂しい晩年
- オルセー美術館の奥に佇む日本人のマスク
- 80すぎたお爺ちゃんが250kmを歩いて...
- 江戸時代に「芸術」はなかった!? 欧米輸...
- ゴッホを魅了した北斎の「不自然な色使い」
- 世界中があの波のことは知っている
- 新しい感性はいつの時代も叩かれる
- ロダンが熱狂した日本初の女優
- 美を通して日本を飲み込もうとした西洋資本...
- モネと北斎、その愛の裏側
- モネの家は「日本愛」の塊だった
- 2017年最大の謎、「北斎展」
- 作品数は約3万4000点!画狂人・北斎の...
- 唐辛子を売り歩きながら画力を磨いた
- 北斎のギャラは3000~6000円だった
- 天才・葛飾北斎が歩んだ数奇な人生 その(...
- 「考える人」のロダンは春画の大ファンだっ...
- ジャポニズムが起きていなければ「世界の北...
- もっと見る