※「知られざる北斎」連載、本日は番外編として「北斎サミットジャパン委員会」発足記者会見の様子をお届けします。
2020年に向け、次期パスポートデザインが葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に決まったり、世界各地では「北斎展」があいついで開催されていたり、今ふたたびの「北斎ブーム」が起きています。海外ではダ・ヴィンチの「モナリザ」に匹敵する評価を受けている北斎。そして実は、2019年4月18日は北斎170回忌にあたります。
そこで「北斎を日本の誇りとして、日本国内でも、もっともっと盛り上げていこう!」という想いのもと、先日、『知られざる北斎』(2018年7月26日弊社刊)の著者・神山典士さんが委員長となり「北斎サミットジャパン委員会」が発足されました。
なぜいま、北斎なのか?
神山委員長の挨拶ののち、設立メンバーのお一人である墨田区久米繊維会長の久米信行氏が仰ったお言葉が印象的でした。
「日本とスウェーデンの外交関係樹立150周年のイベントがあったのですが、その際に、外国人から北斎のことをたくさん聞かれました。そのときに思ったのが、『北斎の旅をしたい』と言われてもワンストップで見れるホームページなどがないということなんです。北斎だけではなく、アニメやゲーム、食べ物。あらゆるものが日本文化です。それらぜんぶを味わいたいというニーズに応えられるよう、みんなで知恵や意見を出し合って……この北斎サミットジャパンというプロジェクトが、日本の文化を味わい尽くすためのきっかけになればと考えています」
北斎を味わう。海外の方が多く来日する今だからこそ、しっかりと日本人自身がそれを発信していなければならないのだという思いが心に残りました。そしてその後は驚きの企画の発表が!
墨田小布施北斎巡礼250キロ世界大会開催!
昔の人は健脚だった……とはいえ、80過ぎのおじいちゃんが250kmの旅を4往復もしていたなんて驚愕です。しかし、それは事実。
北斎は晩年、80歳代になってから、現・東京都墨田区から長野県小布施町まで、約250キロを4往復して創作活動を展開していたのだそう。今でこそ「人生100年時代」と言われていますが、江戸時代にあってこの創作意欲と行動力はすごい! の一言に尽きます。
そんな北斎が小布施で残した肉筆画は、今でも鮮やかに残っており、「北斎館」などで見ることができるとのことです。
そんな北斎がたどった道を、実際に歩いてみよう! ということで開催されるのが「北斎巡礼」。期間は9月4日~9月16日。国内定員は100名、申込み開始は7月1日を予定しているとのことで、旅好きな人は要チェックですね。もちろん部分参加もOKだそうですよ。
すみだ北斎美術館へ
記者会見後は、神山さんによる北斎講座、そして実際にすみだ北斎美術館へ行って北斎を見よう!という会が催されました。
そこではすみだ北斎美術館設立に尽力されたという東京東信用金庫の渋谷さんが北斎ハッピを来て登場。美術館の成り立ちや、隅田に住んだ北斎に関する逸話をお話しされました。
ところで今回訪れた「すみだ北斎美術館」は有料ですが、東京東信用金庫両国支店にある「ひがしん北斎ギャラリー」はいつでも無料で北斎が見られるとのこと! 北斎好きな方はぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。場所はこちら
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来週の「知られざる北斎」連載はいよいよ舞台をパリへ移し、北斎ひいては浮世絵を明治時代に西洋へ売り込んだ天才画商・林忠正のお話が登場します。一時期は日本の財産を国外へ持ち出した「国賊」などと言われていた忠正も、今はその功績が高く評価されています。彼が浮世絵へ込めた思いとは、何だったのか。来週6月23日公開です。ご期待下さい!
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知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
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