新聞記者時代、著者の人間関係は深く、狭く、強かった。しかしフリーになり、リーマンショックと東日本大震災を経験して人とのつながり方を「浅く、広く、弱く」に変えた。その結果、組織特有の面倒臭さから解放され、世代を超えた面白い人たちと出会って世界が広がり、妻との関係も良好、小さいけど沢山の仕事が舞い込んできた。困難があっても「きっと誰かが少しだけでも助けてくれる」という安心感も手に入った。働き方や暮らし方が多様化した今、人間関係の悩みで消耗するのは勿体無い! 誰でも簡単に実践できる、人づきあいと単調な日々を好転させる方法。
作家・ジャーナリストの佐々木俊尚さんとブロガーの阿部珠恵さんが、『新しい「人間関係」入門 ~結婚も仕事も、もっとゆるくていい?~』と題したトークイベントで、これからの新しい「人間関係」を切り口とした結婚や仕事、共同体の在り方について語りました。
構成:新井大貴(箕輪編集室)
子育ての共有は可能性がある
佐々木 今日はまず阿部珠恵さん、たまちゃんと僕は呼んでいるんですけど、たまちゃんの本の内容を少し伺ってみようかなと。『結婚してもシェアハウス!〜普通の婚活は、もうやめた〜』ですね。まず、今はどういう場所に住んでいるんですか?
阿部 私はシェアハウスにずっと住んでいます。今、そこに小さい赤ちゃんがいる夫妻も含めて、11人で暮らしていますね。
佐々木 もともとは高田馬場で4、5人ぐらいで住んでいたんですよね。そのときに新宿にシェアハウスの物件を建てたいという奇特な人が現れて、大きな建物を建てて、11人で入居したと。それは何年前ですか?
阿部 ちょうど2年前ぐらいですね。
佐々木 シェアハウスに住んでから、何が起きましたか?
阿部 シェアハウスにはもともと、ご夫妻の妻のほうと住んでいたんです。当時から、「子供が生まれてもこのままシェアハウスに住んで、みんなで子育てとかもシェアしたら面白いかもしれないね」って話をしていたんですよね。それで、実際に結婚したら旦那さんも入居してきて、子供も生まれそうだという。
佐々木 住んでいる人はみんな20代〜30代ぐらいの人でしょ?
阿部 そうですね。学生もいますけど、おおむねそれぐらいですね。
佐々木 準ミスター東大の男の子とかもいたりするんですよね。そうすると、普通に若者がぶらぶらしているリビングに赤ちゃんがいると。
阿部 そうなんですよ。
佐々木 じゃあ、まさに育児もシェアしている状況だと。
阿部 そうですね。ただ、結構勘違いされるんですけど、シェアと言っても私が一日何時間も見るとかではなくて。基本的に夫妻が見ているんですが、トイレに行く合間にちょっと見ているという感じですよね。
佐々木 たまちゃんは結婚してなくて、子供ももちろんいないわけですよね。
阿部 そうです。
佐々木 赤ん坊が一緒にいる暮らしというのは、やってみてどうですか。
阿部 そうですね、なんか面白いなと思っていて。うちって、先ほど出てきたミスター東大も含めて、20歳ぐらいから上は35歳ぐらいまでいるんですけど、0歳児に触れる機会って意外とないんですよね。
佐々木 そうだよね。結婚している家に遊びに行くことがなければ、子供に触れる機会はないよね。
阿部 ちょっとおむつを替えてみるみたいな機会ってそんなになかったんだなと実感しています。
佐々木 そもそもね、最近は子供をつくらない。下手すると結婚しない。生涯未婚率が30%とか、そういう数字が出ているぐらいだから、友だちの子供というのもあんまりいなくなってきているんじゃないかという。
阿部 ありますよね。それに、友だちに子供が生まれたよと言われても、その子供に会えるのって半年ぐらい過ぎてからじゃないですか。さすがに生まれてすぐの子供をこんな間近に見るということ自体がないというのはありますよね。
佐々木 個人的には、子育ても一緒に共有する生活ってすごい未来可能性があるなと思っていて。
阿部 そうですよね。
共同体への回帰こそ現代的な流れ
佐々木 幻冬舎から出した本の中でも書いたんですけど、今は「共同体がなくなっていく時代」とよく言われている。ちょっと前までは、会社に所属していれば社内結婚し、社宅に住み、会社の人と野球して…みたいな、一生会社に面倒みてもらうってことがあった。でも、非正規雇用が40%、終身雇用がなんとなく終わりつつある状況の中で、もはや会社に期待できないよねと。そうするとみんなバラバラに生きていくわけですね。でもバラバラっていうのはやっぱり寂しい。
なんか繋がりが欲しいよね。僕みたいな昭和生まれの人間からみると…
阿部 私も昭和(笑)。
佐々木 あ、そうそう。失礼しました(笑)。個人的には、昭和の頃の会社の共同体とか、田舎の親戚とか、そういうのがすごい息苦しかった。うっとうしい共同体というのはやっぱり心の中にずっと記憶としてあるから、そこに戻ってほしくはないですね。だから、共同体は欲しいんだけど、息苦しくなりすぎないものがいいかなとずっと思っているんですよ。
一昨年出した『そして、暮らしは共同体になる。』という本の中で書いたのは、出入り自由で、気楽な共同体みたいなのが送れたらいいんじゃないかと。下手すると、もうそれこそシェアハウスみたいにまったく無関係な人たちが集まってきて、その人同士で擬似的な家族みたいなのをつくる。そこで育児も、下手すると介護とかも共有するようなのが、たぶん今後一般的になってくるだろうし、100年後にはそういう無縁のファミリーみたいなのが普通になるんじゃないかと。
なんか、たまちゃんたちのシェアハウスを見ていて思うのは、僕がイメージしている未来のファミリーみたいなものをちょっと先取りしていて、新しいことをやっているなという印象がすごくある。
阿部 ありがとうございます。30代前半ぐらいだと「結婚後もシェアハウスに住む」という選択肢も受け入れられやすくなってきているんじゃないかなという感覚もあって。シェアハウス自体をしている人というのが増えてきてますから。
佐々木 そうだよね。僕は「80年代生まれとそれ以前の間に壁がある説」というのを前から唱えていて。前後で何が違うかというと、70年生まれの人ってシェアハウス嫌な人多いんですよ。
阿部 本当ですか?
佐々木 うん。プライバシーが欲しいからっていうのが理由みたいで。80年代生まれ以降になると、だいたい全員が、あ、シェアハウス全然大丈夫ですと言う。プライバシーに対する感覚とか、共有するということに対する感覚が急速に変わっている感じがある。
阿部 確かに抵抗はないですね。私、なんでないのかなというのを考えたことあるんです。さっきの80年代の話とちょっとかぶるかもしれないんですけど、小さい時に団地に住んでいたんですよね。団地に住んでいると、いろいろな子供たちがまぜこぜで遊ばされるんですよ。他の人の家に預けられるというのも当たり前に起きていたりとかして。だからそういう意味で自分の家、他人の家みたいなのは、境目がなくなっていたのかもしれないなという気がしますね。
佐々木 団地って、すごい共同体チックだったんだよね。昔の団地は今のマンションと全然違っていて、大体3階建てからせいぜい4階建てで、階段が複数ある。
阿部 はい、ありますね。
佐々木 1つの棟に、例えば横に1列に6部屋あるとしたら、3部屋ずつごとに階段があるというね。だから1個の階段を上ると振り分けで両側に世帯があって、3階建てだったら計6世帯が1つの階段を共有する。横に行くとまた別の階段があって、その別の階段はまた別の6世帯が共有する。この縦の階段の中で人間関係ができるんですよ、団地って。
阿部 ああ、絶対すれ違いますからね。
佐々木 そう、そう。これは当時、縦長屋とも呼ばれていたんです。
阿部 へえー!
佐々木 縦に長屋があるからと言ってね。最初から共同体がつくられることを意識して、それを目的につくった構造だった。
阿部 ああ、なるほど。
佐々木 今のマンションって、結局同じフロアの人とはまあまあ仲良くなるかもしれないけど、他のフロアの人は全然わからないじゃないですか。そうするとね、共同体がすごく生まれにくい。さらに、だいたい団地は敷地が広くて、緑もたくさんあって、共有のコミュニティ・スペースみたいなのがあったりとか、遊園地がついていたりとかね。もはや1個の村みたいになっていた。
阿部 そうですよね。
佐々木 だからたまちゃんの子供の頃に住んでいた団地になんか回帰していく感覚というのは、実はすごく現代的な新しい一つの方向性なんじゃないかなという気はしますね。
(つづく)
書籍紹介
現在、男女10人(夫婦2組含む)シェアハウスで暮らしている、アラサー独女のアベタマエ。シェアハウス生活を満喫しすぎて「もう結婚しなくてもいいのでは?」という持論をブログで展開したところ、Yahoo!ニュースのコメント欄で炎上。なので、ネットで結婚相手を募集してみました。条件は「結婚した後も、シェアハウスに一緒に住んでくれる人。そして子どもが産まれても、シェアハウスで一緒に育ててくれる人」。炎上した記事のおかげで(個性的な)ムコ殿候補がざっくざく。書類審査→グループディスカッション→1dayインターンシップを経て、ついに候補者から一人に絞る。そこからシェアハウス6畳一間の同棲生活がスタート。果たして、ネットで募集して数回しか会ったことのない男性と、結婚できるのか?!?! 幸せになりたいアラサー独女の、七転八倒の婚活記録。