介護の仕事と、富士山と、ショッピングモールしかない小さな町で恋をした――。
窪美澄さん『じっと手を見る』が4月8日文庫で発売となりました。解説は朝井リョウさんです。
2018年の単行本発売時に公開したトークイベントの記事をあらためてご紹介いたします。
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第159回直木賞候補に選ばれた窪美澄さんの『じっと手を見る』は、富士山の見える小さな町を舞台にした恋愛小説です。地元で介護の仕事に就く日奈と海斗、東京からやって来たデザイナーの宮澤、海斗の同僚である畑中。4人の視点から語られる恋愛模様には、息が詰まるような閉塞感と、孤独がぶつかり合って生じる生命のきらめきが描かれています。
そんな『じっと手を見る』の刊行を記念して、去る5月8日、青山ブックセンターにてトークイベントが開催されました。ゲストは4月にニューアルバム『サクラ』をリリースしたばかりのミュージシャン・前野健太さん。共に作品のファンだという二人のトークを前後編にわたってお届けします。
(構成:清田隆之/桃山商事)
閉塞感の象徴になっている富士山と、新アルバム『サクラ』
窪美澄(以下、窪) 前野さんとのトークイベントは今回で二回目ですね。
前野健太(以下、前野) 出会いは何年前でしたっけ。ちょうど窪さんが『AERA』の「現代の肖像」に登場されていたとき、その記事を読んでいたら写真の片隅に僕のアルバムが写っていて。それでびっくりしたんです。
窪 なぜかうちの汚いリビングで、作家同士が鍋を囲んでる写真を撮りたいと言われたんですよ。それは朝井リョウさんと柚木麻子さんと一緒に気の抜けた顔でおでんを食べてるいい感じの写真だったんですが、後ろのCD棚に前野さんの『今の時代がいちばんいいよ』というCDブックが入っていて。でもあれ、棚に普通に入らないんですよね。
前野 そうそう、縦長なんですよね、サイズが。
窪 それで正面にジャケットが見える感じで立てかけておいたところ、『AERA』に載って前野さんが見つけてくれたという。
前野 『じっと手を見る』の担当編集である幻冬舎の竹村さんとは旧知の仲で、この小説のことは連載時からうかがっていました。竹村さんから「富士山というのが希望の象徴ではなく、閉塞した町の閉ざされた象徴として出てくる小説だ」と聞き、その「富士山が閉塞感の象徴」というところに衝撃を受けたんですよ。それで今回、僕が『サクラ』というアルバムを出したばかりというタイミングもあって、竹村さんから声をかけていただいた。「富士山と桜だ!」っていう、だいぶ短絡的な発想だったようですが(笑)。
窪 『サクラ』は確か、久しぶりのアルバムなんですよね。
前野 2013年の年末に出した『ハッピーランチ』以来なので、4年半ぶりですね。
窪 その4年半の間に前野さんから生み出された楽曲が「アソートパック」みたいに詰まっていて、いろんな前野さんが楽しめる、いろんなチョコレートが入ってる箱みたいな感じのアルバムだなって感じました。アレンジもバリエーション豊富で、「こんな風に前野さんの歌が膨らむんだ!」とその奥行の広さにも感動して。
前野 ありがとうございます。アソートパックって嬉しいですね。俺、好きなんですよ、マドレーヌとかフィナンシェとか。アソートって聞くと本当にそれを思い浮かべちゃう。
窪 そういえば、毎月連載されている『すばる』の「グラサン便り」にフィナンシェのことを書かれてましたよね。なんか、風俗の(笑)。
前野 えー、何でしたっけ、それ。風俗の方に「フィナンシェ好き?」って僕が聞くんでしたっけ。
窪 そうそう。で、「おいしいよね、あれ」みたいな。
前野 ……(笑)。よく覚えていらっしゃいますね。
窪 はい。切り取ってますから、毎月。
一歩踏み出せないときに、ふっと押される感じがする小説
富士山を望む町で介護士として働く、かつて恋人同士だった日奈と海斗。
老人の世話をし、ショッピングモールに出掛けることだけが息抜きの日奈の家に、東京に住む宮澤が庭の草刈りに通ってくるようになる。生まれ育った町以外に思いを馳せるようになる日奈。
一方、海斗は、日奈への思いを断ち切れないまま、同僚の畑中との仲を深め、家族を支えるために町に縛りつけられていくが……。
窪 本のカバーにはこのようなあらすじが載っています。「富士山を望む町」とは、作中で明示はしていませんが山梨県の甲府がモデルになってるんですね。ライター時代、看護師や介護福祉士になるための専門学校のパンフレットを作る仕事をしたことがあって、甲府まで取材に行ったんです。
そこで18歳くらいの男の子と女の子に話を聞いたんですが、私は東京から来たライターで、「お休みの日は何してるの?」とか「東京の109とかに洋服買いに行ったりするの?」とか、軽い感じで質問していた。ところが彼らは、「自分は甲府という場所で、どうやって食いっぱぐれないように生きていけるかをまず考えてます」ってピシャリと言われて、それが結構ショックだったんですよね。
そこからこの小説は始まっていて、実際に富士山が見える介護施設にも行ったんです。本当に富士山が、もう本当に迫ってくるような場所に老人介護施設があって、そこで年齢を重ねた人をめちゃめちゃ若い人たちが面倒見てるというのが衝撃で、そこを舞台に小説を書いてみようと思ったのがそもそものきっかけでした。
前野 窪さんの小説って、僕がボブ・ディランやショーケンといった“シンガーソングライターロッカー”というかね、ロックのある歌を歌う人たちから受ける感じに似てるんですよ。一歩踏み出せないときに、なんかふっと押される感じというか、そういうものを小説で感じられるのが窪さんの作品なんですけど、さらにその音楽とか歌って、やっぱり一気に持っていかれて、こう、速いじゃないですか。音と歌と歌詞があって、すごく盛り上がりも速いし、感動するのも速いし、突き動かされるのも確かに速い。
一方の小説は文字だけで物語が進行していくから、スピード感はやっぱりゆっくりなんだけど、「持続性のある歌」みたいな感じがある。歌だとやはりメロディと歌詞が合わさって覚えたり、口ずさんだりするんですけど、小説だとフレーズだけが妙に、後から効いてくることがある。
窪 その感じ方はおもしろいですね。
前野 窪さんの小説は本当にフレーズの味わいがすごいので、いくつか紹介してもいいですか?
でかい胸の上で俺の頭がバウンドするように揺れる。やわらかく、ふるふるしたものが詰まったその上で。
けれど、思うのだ。
やわらかく、ふるふるしたものが詰まっているのは女じゃなくて男のほうなんじゃないかと。
──「森のゼラチン」より引用
前野 クラッと来ますよね。もうこれだけでお買い求めいただいていいと思います、本当に。僕にはそれくらいの価値がありました。
窪 めっちゃ付箋ついてる(笑)。
日奈と宮澤の濡れ場を書き終えたところであの地震が起きた
前野 もうひとつ、僕がグッと来た冒頭の場面を紹介しますね。
きれいに磨かれた革靴を取り出して、薄汚れたすのこに座り込み、靴紐を結ぶ宮澤さんの背中を見て、抱きつきたい、という気持ちが突然わき上がってきた。もしかしたら私はこの人のことが好きなんじゃないかと、そのとき初めて思った。
──「そのなかにある、みずうみ」より引用
窪 恥ずかしい(笑)。本当ごめんなさいって感じです……。
前野 いやいやいや! 僕は本当に窪さんの小説で、やっぱり女の人の性のざわめきというんですか、そこが出てきたときにめちゃくちゃワクワクするんですよ。えり足の癖毛とか、耳の後ろにあるほくろとか、日奈は宮澤の細部を見つめてますよね。このシーンが最高なんですよ。
窪 その場面で言うなら、やっぱり正直に小説を書こうと思ってるんですよね、常に。恋ってこんなふうに始まったりするじゃないですか。……すると思うんですよ(笑)。
前野 すごくいいです。「来た来た来た!」って興奮しました。
窪 『じっと手を見る』は7話からなる連作なんですが、実は最初の作品は「短編の官能小説で」という依頼をいただいて書いたものだったんです。書き始めたのが2011年3月の10日で、翌日、先ほど紹介していただいた冒頭のシーン──日奈と宮澤の濡れ場を書き終えたところであの地震が起きたんです。
前野 あの時期に書き始めた作品だったんですね。
窪 で、本棚から本がバーンと飛び出して、地震が続いて、「これはヤバい、日本もう終わる!」ってなって。でも、特に締め切りが延びたりはしなかったから、揺れながら、椅子にしがみつきながら、「これを書かないことには私の生活はないのだ!」みたいな感じで書いていたのをよく覚えています。
前野 でも、あの地震のときに、この命のみずみずしさを描いてらしたっていうのは、本当にグッと来ますね。
窪 それから1冊の本にすることが決まり、1年に1、2本ずつ、2011年から2017年にかけて書いて。だから意外と年月が経ってるんですよ。振り返ると、書いてる間にいろんなことがあったなって。
前野 この本には「言葉にできたのだから、私にとってはもう十分なのだ」という日奈の言葉が出てきますよね。あそこで思わず泣きました。相手に聞こえてる/聞こえてないに関係なく、言葉にできたことが十分だったというのは、自分もまったく同感で。僕、普段は歌を書いたり歌ったりしてるんですが。
窪 知ってますよ(笑)。もちろん知ってます。
前野 ですけど、歌うことよりも、歌を作ることのほうが好きなんですよ。好きっていうのともちょっと違うか。すごく生理的なものというか、言い切れないものとか、溜まっていっちゃう感情とかを言葉にできたときに、これが目的で音楽をやってるんじゃないかって感じるんです。日奈の言葉でそのことを改めて実感したというか。
窪 歌は町の中にあって、自分はそれを拾い集めてる、ということを前野さんはときどきおっしゃってますよね。前野さんはラブソングもそうやって書いているんですか。恋のことを歌っている作品も多いですよね。
前野 そうですね。何というか、男女のシーンにサラッと入ってくる時代性みたいなものが好きなんですよ。それが意外に出やすいのがラブソングじゃないかなって。例えばこの本の冒頭にも、日奈と宮澤がセックスをした後、古いブラウン管にテレビショッピングが映し出されていたりするじゃないですか。
社会や時代をそのまま描こうと思うとつまらないけど、そのシーンみたいに、恋愛のちょっとした場面を描いたとき、その中に意外と時代性がにじみ出たりして、だからラブソングが好きなんですよね。
(後編に続く)
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