平成最後の「終戦の日」を迎えるこの夏。改めて「戦争」について考えてみませんか?
そのための格好の一冊が、作家・半藤一利さんの『歴史と戦争』です。80冊を超える著作の中からエッセンスのみを厳選、再構成した本書は、まさに「半藤日本史」の入門編にして集大成。幕末・明治維新から、軍国主義への突入、太平洋戦争と敗戦、そして戦後の復興までを一気につかむことができます。
今回は特別に、その中から一部を抜粋してお届けします。
気づいたときにはもう遅い
つまり時代の風とはそういうものかもしれない。平々凡々に生きる民草の春は、桜が咲けばおのずから浮かれでる。国家の歩みがどっちに向かって踏みだそうと、同時代に生きる国民の日々というものは、ほとんど関係なしに和やかに穏やかにつづいていく。
じつはそこに歴史というものの恐ろしさがあるのであるが、いつの時代であっても気づいたときは遅すぎる。こんなはずではなかった、とほとんどの人びとは後悔するのであるが、それはいつであっても結果がでてしまってからである。
(『B面昭和史』)
「国連脱退」に人々はどう反応したか?
人間には生まれながらにして楽観的な気分が備えられているのではないか、と思えてくる。何か前途に暗い不吉なものを感じ警告されていても、「当分は大丈夫」と思いこむ。楽しくていいニュースは積極的にとりこむが、悪いニュースにはあまり関心を払わない、注意を向けない、というよりも消極的にうけとめやがてこれを拒否する。
民草は国策がどんどんおかしくなっているのには気づこうとはしない、いや、気づきたくなかったのか。それがどうしてなのかを理解することはむつかしい。いや、表面的にはともかく、不気味に大きくなる暗雲に、人びとは恐れ戦きつつも、「いや、まだ十分に時間がある」と思いたがっていたゆえの平穏であったのであろう。
(『B面昭和史』)
「群集心理」はいつの時代も変わらない?
フランスの社会心理学者ル・ボンは『群衆心理』(創元文庫)という名著を、十九世紀末に書いているが、かれはいう。
「群衆の最も大きな特色はつぎの点にある。それを構成する個々の人の種類を問わず、また、かれらの生活様式や職業や性格や知能の異同を問わず、その個人個人が集まって群衆になったというだけで集団精神をもつようになり、そのおかげで、個人でいるのとはまったく別の感じ方や考え方や行動をする」
そして群衆の特色を、かれは鋭く定義している──衝動的で、動揺しやすく、昂奮しやすく、暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる、と。そして群衆の感情は誇張的で、単純であり、偏狭さと保守的傾向をもっている、と。
昭和十五年から開戦への道程における日本人の、新しい戦争を期待する国民感情の流れとは、ル・ボンのいうそのままといっていいような気がする。それもそのときの政府や軍部が冷静な計算で操作していったというようなものではない。日本にはヒトラーのような独裁者もいなかったし、強力で狡猾なファシストもいなかった。
(『昭和・戦争・失敗の本質』)
「ずっと非常時」だった少年時代
昭和五年生まれのわたくしなんか、物ごころついたときから、すでに「非常時」のなかにいたような気がしている。いまは非常時なんだからといい聞かされて、ずっと我慢を強いられていた。
非常時とはそも何なるか。国家の危機、重大な時機にちがいないが、いまから観ずれば因果はめぐっていわば自業自得にひとし。いや、自己責任というべきか。六年の満洲事変にはじまって、七年の上海事変、血盟団事件、満洲国の強引な建設、五・一五事件、国連脱退で孤立化へと、日本帝国は軍事大国化への坂道をひたすら走りぬけた。民草はそれについていった。
(『B面昭和史』)
日本人は「すぐに忘れる」
日本人は天災に見舞われると大騒ぎして、これをくり返してはならないと固く誓う。しかし、すぐに忘れる。過去の教訓を軽視し、知識や技術に甘えて、自然の偉大さを無視する。
「天災は忘れたころにやってくる」
物理学者寺田寅彦の言葉とされているが、活字としてはどこにもない。かれが話したことが一般に広まったらしい。災害があるとこの日本人的な名言が登場する。そのくり返しの歴史なのである。
(『21世紀への伝言』)