平成最後の「終戦の日」を迎えるこの夏。改めて「戦争」について考えてみませんか?
そのための格好の一冊が、作家・半藤一利さんの『歴史と戦争』です。80冊を超える著作の中からエッセンスのみを厳選、再構成した本書は、まさに「半藤日本史」の入門編にして集大成。幕末・明治維新から、軍国主義への突入、太平洋戦争と敗戦、そして戦後の復興までを一気につかむことができます。
今回は特別に、その中から一部を抜粋してお届けします。
私が体験した「東京大空襲」
中川の河岸に辿りつくと、平井橋畔のちいさな広場はすでに避難の老若男女で埋まっている。とにかく人が大勢いることは力強いことで、助かったとホッと息をつく思いをしたが、それはとんでもない間違いであった。追ってくる猛火の凄絶さは、火と風とが重なり合ってちょっとした広場なんかないにひとしいのである。
ついに迫ってきた火の柱から噴き出される火の粉が喊声を上げるようにして人びとにとりつく。逃げ場を失って地に身を伏せる人間は、瞬時にして、乾燥しきったイモ俵に火がつくように燃え上がる。髪の毛は火のついたかんな屑のようでもあった。背後を焼かれ押されて人びとがぼろぼろと川に落ちていく。広場も川も生き死にをわける修羅場と化して、人間そのものが凶器になっている。
(『日本国憲法の二〇〇日』)
もう「絶対」という言葉は使わない
家に、いや、家のあったところに戻ったのは、もう太陽も高くなった朝の九時ごろではなかったかと思う。びしょ濡れの洋服を乾かさないことには寒くて寒くてたまらなかったし、それに靴下だけでは焼け跡を歩くことはできない。洋服を乾かす火は周囲に山ほどあった。靴は川に飛び込もうと人が脱いだのが何足もあった。すべてそれを利用した。
いま回想すれば、まわりには炭化して真っ黒になった焼死体がいくつも転がっていたのである。その人たちは船に乗る前にたしかに目にした、あのかんな屑のように燃え上がった人たちであったのであろう。しかし、過去に多くの死体を見てきたためか、感覚は鈍磨していた。
家は綺麗に焼けている。あまり帰りが遅いので焼け死んだかと思っていたらしい父が、どこからともなく姿を現わして、何もいわずにニコニコとしたのが嬉しかったことも覚えている。
そしてその焼け跡で、俺はこれからは「絶対」という言葉を使うまい、とただひとつのことを思った。絶対に正義は勝つ。絶対に日本は正しい。絶対に日本は負けない。絶対にわが家は焼けない。絶対に焼夷弾は消せる。絶対に俺は人を殺さない。絶対に……と、どのくらいまわりに絶対があり、その絶対を信じていたことか。それが虚しい、自分勝手な信念であることかを、このあっけらかんとした焼け跡が思いしらせてくれた。俺が死なないですんだのも偶然なら、生きていることだって偶然にすぎないではないか。
中学生の浅知恵であろうかもしれない。でも、いらい、わたくしは「絶対」という言葉を口にも筆にもしたことはない。
(『日本国憲法の二〇〇日』)
坂口安吾が見た戦争の恐ろしさ
この無差別爆撃の惨状について、わたくしがウムと唸らせられた描写がある。戦後の二十一年春にかかれたものであるが、作家坂口安吾の『白痴』という小説である。この夜の絨毯爆撃後の下町の情景を、大森に住んでいた安吾はわざわざ“見物”にきたのである。わたくしが同じ話をくり返すよりも、これを引用したほうがずっといいことかと思われる。
「人間が焼鳥と同じようにあっちこっちに死んでいる。ひとかたまりに死んでいる。まったく焼鳥と同じことだ。怖くもなければ、汚くもない。犬と並んで同じように焼かれている死体もあるが、それは全く犬死で、然しそこにはその犬死の悲痛さも感慨すらも有りはしない。人間が犬の如くに死んでいるのではなく、犬と、そして、それと同じような何物かがちょうど一皿の焼鳥のように盛られ並べられているだけだった。犬でもなく、もとより人間ですらもない」
このリアリズム! そう思う。辛うじて生きのびたわたくしが、この朝に、ほんとうに数限りなく眼にしたのはその「人間ですらない」ものであった。たしかにゴロゴロ転がっているのは炭化して真っ黒になった物。人間の尊厳とかいう綺麗事はどこにもなかった。しかし、いま思うと、わたくしはそれまでにもあまりにも多くの爆弾で吹きちぎられた死体の断片を見てきていたために、感覚がすっかり鈍磨しきっていて、転がっている人間の形をしたそれらがもう気にもならなかったのである。
戦争というものの恐ろしさの本質はそこにある。非人間的になっていることにぜんぜん気付かない。当然のことをいうが、戦争とは人が無残に虐殺されることである。
(『B面昭和史』)