アドラーは「自分の価値があると思えるときにだけ、勇気が持てる」といいます。それは、自分が誰かのために役立っているときということです。
一方で、岸見一郎さんは貢献について語るときに、人の価値を「何ができるのか」という行為ではかるイメージで伝わってしまうのではないかということを常に危惧しています。著書『成功ではなく、幸福について語ろう』では、「人の価値は生産性で決まるものではない」ということについて、言葉を尽くしてこのように書かれています。 今こそ多くの人に読んでもらいたいその思いを、著書より一部を抜粋し公開します。
貢献するということは、決してその才能や力だけで測られるものではない
他の人のために貢献しようというと、どうしても何ができるのか、と行為で測るようなイメージで伝わってしまうのではないか。そうではないということを、特に若い読者へどう伝えればいいのか、迷いながら今日はここへきました。
これまで自分に価値があるということをまず話しました。自分に価値があると思えるためには、他者に貢献しなければいけないという話をしました。貢献するということの例として、勉強ができ、才能があるなら、その力を人のために使ってほしいという話をしました。
しかし、人間の価値、貢献するということは、決してそのような才能や力だけで測られるものではないということを是非知っておいてほしいのです。今皆さんはそれぞれの環境の中で世の中のためにできることがあり、貢献できる立場にあるのかもしれません。
でもこの世の中にはいろんな人がいるということも、今から知っておいてほしい。自分さえよければいいとか、自分が得をしたらいいということではない。自分は与えられた力を活かせるのだけれど、この世の中には、何かをするということで貢献できない人がいるということを知っておいてほしいと思います。
今の世の中は「働かざるもの食うべからず」と言う滅茶苦茶な社会
私は、ある精神科の診療所で働いていたことがあります。一年間、週に一度だけ働いていました。診療所には毎日、六十人くらいの患者さんがやってくる。私が行っていた日は、皆で料理を作ることになっていました。朝、診療所へ行くと、スタッフが患者さんたちに、例えば、今日はカレーライスを作るという宣言をします。その後、一緒に買い物に行く人を募ります。すると、五人くらいが一緒に行きます。五人で六十人分の食材を買う。皆で手分けして買い物に行きます。
診療所に戻ったら「料理を作るので、手伝ってください」といいます。すると、十五人くらいが手伝う。他の人は手伝わない。昼時までかけて、六十人分のカレーライスを作ります。昼時にカレーができる。宣言するのです。「カレーライスができたので皆で一緒に食事をしましょう」。そうすると、診療所のどこからともなく、患者さんが現れてくる。皆で一緒に食事をします。
この話を聞いて、皆さんはどう受け止められるでしょうか。その診療所では「働かざる者食うべからず」とは絶対にいいませんでした。今の世の中ではそういうでしょう。親がまだ学生の子どもに「あなたは何をしてもいいけれど、自分で給料を稼いでから」というのも同じことです。今は勉強しているから働けないのに、滅茶苦茶な話です。働けないのはわかっているのに、親は子どもの足元を見るのです。そういうことをいうのが今の社会です。
人間の価値を生産性で見ている。何ができるかできないかということで測る社会です。私が働いていた診療所は、いわば健全な社会の縮図でした。なぜ彼らがその日手伝わなかった人を責めないかというと、今日は元気だから手伝えたけれど、もしも、明日元気がなくて手伝えなくても許してねというのが暗黙の了解なのです。
行動の面では何もできなくなることは、誰にだってありうる
皆さんにとって、今は勉強が働くことですが、できる間はそれに専心すればいい。やがて、皆さんのご両親も、皆さん自身も歳を重ねれば、身体の自由がきかなくなるということは当然あります。若い人でも病気でまったく身動きが取れなくなることは、当然起こります。
障害があり、生まれてから行動の面では何もできない、他の人に貢献できないという人がいても、そういう人たちに価値がないかというともちろんそんなことはありません。
医師や看護師、医療従事者を目指す人は、小さい時に病気になった人が多いですね。私は五十歳、今から十一年前に心筋梗塞で倒れました。病院のベッドでまったく身動きが取れなくなりました。身体を片側に向いて寝かせられると、二時間くらいはそちらを向いたままです。反対のほうを向きたいと思っても、勝手に自分で身体の向きを変えてはいけない。一日中そういう状態で絶対安静でした。
音楽を聴くことも、本を読むことも許されない。皆さんも嫌でしょう。本を読むなといわれると、生きていくこともできないくらい絶望します。私など電車の中で本が読めないと、吊り広告を見て何度も活字を追うような人間ですから、本が読めない生活は苦痛の極みでした。
仕方なく、そんな状態で何日も過ごした後、思い当たりました。もしも親しい友人や家族が病気で入院したことを知れば、取るものも取りあえず見舞いに行くだろう。その時、友人や家族がどんなに重体であっても、生きていてよかったと思う。自分のこともそんなふうに考えていいと思ったのです。生還できただけで幸いです。それだけで喜んでくれる人がいるに違いない。あるいは、自分が生還できたことで他者に貢献できると思えるようになってから、精神的には安定しました。
それまでは、身動きの取れない自分は、人に貢献できない、生きていく価値がないのではないかと絶望していたのですが、ただ生きているというだけでもきっと自分は貢献できると私は思えるようになりました。
子どものことで悩んでいる親は多いです。例えば、朝の九時に子どもがのこのこ起きてくる。腹が立ちます。何時だと思っているんだ、今から学校に行っても間に合わないじゃないかといいたくなるでしょう。でも、そうはいわずにこういってください。「生きててよかった」と。そういうことを本気で思えるようになると、子どもとの関係のあり方はがらっと変わっていきます。本当は「生きててよかった」ではなく「生きていてくれてありがとう」なのです。すぐにはなかなかいえないかもしれない。でもそういうふうに思える日がくればいいなと思います。
当時の私の話に戻ります。精神的には安定してきたこともあり、入院しながらも、だんだんと何か他の人に貢献できることはないだろうかと考えられるくらいには元気になってきました。そこで病室にくる看護師や主治医と話をするようになりました。すると、私の話をおもしろいと思ってくださり、私のケアをしてくださる合間に話をすることもあれば、勤務時間が終わってから病室にくる人が出てきました。非番の日に私服で私の病室を訪ねてくださる人もいました。
主治医も激務なのに回診にきて、どっしりと腰を下ろして話をするようになりました。患者の私がカウンセリングしていると思いました。そんなふうに思えると、自分も貢献しているなといよいよ思えるようになりました。
ある日、私が病床で本の校正をしているのを見て、医師がこういいました。普通は、心臓の病気で倒れた患者がそんなことをしていれば、止めるでしょう。読書すら最初は許されなかったのに、本の校正には強いストレスがかかるからです。それなのに、主治医は私が校正をしているのを見ても、やめなさいといわずにこんなことをいいました。「本は書きなさい。本は残るから」
その言葉は希望の言葉でした。なぜかというと、病気になった経験がある人にはわかると思いますが、「すぐ治るから」といわれれば反発します。すぐよくなるといわれてもよくならないのは、自分でわかるからです。「すぐ元気になって学校にこられるよ」といわれると「何もわかっていない」と反発したくなります。先生は「本は残るから」と、私の状態が予断を許さないということは一方では認めた上で、「本は書きなさい」といわれたということは、本を書けるくらいにまで元気になれるということを約束してくれたのです。ですから、退院したら本を書こうと心に決め、もう十一年になりますが、先生にいわれた通り、毎年、何冊も本を書いているのです。
入院していた時は、身体の状態がよくなかったので、こんなふうに元気になれるとは、夢にも思っていませんでした。でもこうやって今、人の前で話ができ、本が書けるようになりました。幸い、世界各国で翻訳されて四百万部を超えています。そんなことが起きるとは、思いもよらなかった。
本が売れたから私腹を肥やそうとか、そんなことに喜びを感じているのではまったくありません。一冊一冊の本が、本当に届くべき人のところに届き、本を読んで人生が変わったというメールが届くことがある。自分のためにではなく、少しでも社会に貢献、献身できることが生きる喜びになり、幸福につながると考えてほしいです。