孤独な女子大生・千歳は、20歳の誕生日に神社の鳥居を越え、「千国」という異界に迷いこむ。そこで毒舌イケメン仙人の薬師・零に拾われ、弟子として働くが、「この安本丹!」と叱られる毎日。ところが、お客を癒す薬膳料理をつくるうちに、ここが自分の居場所に……。
友麻碧さんの人気シリーズ、『鳥居の向こうは、知らない世界でした。』は、そんなほっこり師弟コンビの異世界ファンタジー。読むほどに引き込まれる、夏休みにぴったりの一冊です。ここではストーリーの序盤を、ほんの少し公開します。
白の仙人
「いっ」
急に起き上がろうとしたからか、体に痛みが走った。
そう言えば私、もの凄い雨に体を打たれたんだった。
両手を布団から出して見てみると、所々かすり傷の様なものがあったが、既に薬を塗られ、手当をされている。目覚めた時に香ったのは、この薬の匂いか。
……あれ。いつの間にやら白い着物に着替えさせられている。
この人が着替えさせてくれたのかな。特に乙女の恥じらいも無く、面倒だっただろうなという申し訳なさだけを抱いて、今度はゆっくり起き上がる。
「……あの。私、寝てしまったんですか? これはまだ夢ですか?」
「ほう。自分がどういう状況に居るのか、全く分かっていないみたいだな」
古風な物言いの青年は、やれやれと言いながら、手慣れた手つきでお茶を淹れ始めた。
机に置いていたいくつもの平皿から、ガラス製の急須に数種の乾燥花や木の実、茶葉を入れ、やかんからまだ熱いお湯を注ぐ。最後に透き通った氷砂糖の欠片を加え、蓋をして蒸らしている。何だか本格的だな。
「わ……」
ちょうど今、ガラスの急須の中で黄色と薄桃色の花が咲いた。その他の素材も熱湯でもどされ、赤、紫と鮮やかな色を取り戻す。なんて綺麗なんだろう……
「お前、あの鳥居を越えて来たんだろう。夕暴雨に全身を打たれ、俺の薬園で倒れていた。雨に打たれると睡眠胞子を撒き散らす花が咲いているから、お前はそれに当てられ気を失い、鋭い雨に傷つけられ泥を啜りながら寝ていたのだ」
「……はあ」
「あのままにしておく訳にもいかないから、ここまで引きずって来た。おかげで腰が痛い。俺は疲れた」
「…………」
何を言っているんだろうこの人。
寝起きでいまいち意識がはっきりしないせいか、少々理解が追いつかない。
「ぼやっとしおって。……まあでも安心しろ。体の傷は手当をしているし、この茶を飲めばすぐに痛みも無くなる。気分もすっきりして、嫌でも現状を理解するだろう」
それにしても古風な口調のお兄さんだな。
彼は嫌みなもの言いではあるものの、銀の持ち手のグラスにこのお茶を注ぎ、わざわざ私の元まで持って来てくれた。
「これを飲め。八方霊茶だ」
「八方霊茶?」
「菊花、陳皮、なつめ、クコの実、白きくらげ、ジャスミン、乾燥薔薇、氷砂糖を加え、まじないをかけて作った“仙茶”だ。雨で冷えた体を温めて、鎮痛の効果もある」
湯気が甘く、苦い。よく飲む緑茶や麦茶とは違う、かなり強い香りだ。
一口飲んでみると、やはり癖のある味に顔を歪めてしまったが、苦甘い味をちびちび飲んでいるうちに舌が慣れてきた。
むしろほっと心が落ち着く。こんな状況でも、お茶を飲むだけで冷静になれた。
「あの、今更なのですが……あなたはいったい」
「それはこっちが聞きたい。お前は誰だ」
青年は再び椅子に座り、側の木の机をコンコンと指で叩たたきながら目を細めた。
「私は、夏見……千歳と言います」
「……千歳?」
「ええ。えっと、大学二年生です。あの、ここは黒曜神社の敷地内で──」
「全く違う」
「…………」
青年は私が問いかけ終わる前に即否定。
ぽかんとしている私に、自らの名を名乗った。
「俺の名は零。零師とか先生とか呼ぶ者も居るが、まあ零で良いだろう。お前が倒れていた薬園の主だ」
「……薬園の主?」
零さんは立ち上がり、足早に部屋を出ようとする。
「ついてこい、千歳」
名を呼ばれ、それに反応するようにベッドを降りた。白い石畳の床がひやっと冷たい。
側に置かれていた草履を履いて、零さんについて行って部屋を出た。
白く長い上掛けを揺らし、先を歩く零さんの背中は、何だか物語に出て来る魔法使いを彷彿させる……
廊下もさっきの部屋と同じ様に、青灰色の煉瓦の壁。天井からは暖色の明かりを抱く、様々な形のランタンが下がっていた。また廊下の壁際には乾燥させた植物が吊り干されていたり、大きな壺や植物の鉢が並んでいる。
異国情緒や古臭い生活の雰囲気に圧倒されていたら、零さんに開けた扉から外に出る様促された。
そこは、先ほど私が鳥居を越えて辿り着いた庭園。
咲いている花や、樹木に実った果実や木の実も……薬園と言う事は、薬で使われるものなのかな。
古い赤鳥居もひっそりと佇み、大きな大きな水たまりにその色と形を映しだしている。
それにしても、夕暮れ時が長い。
私がここへ迷い込み、また気絶して起きて、それでもまだ夕暮れなのだから。
「夕暴雨のせいで地面が濡れているが、気にせず歩け。妙なものを見るだろうが、あまり驚いてくれるな。若い女の声はキンキンと耳に響くからな」
「……はい」
ん。頷いた側から、一番近い畑で奇妙なものを見る。
水滴……? いや、水ではあるのだが、大きな雫の形をした、謎の生命体だ。
手のひらサイズの雫形の頭部から、ちまっとした胴と手足が生えていて、頭をぷるんぷるん震わせて動き回っている。
何だろうあれ。なんか……エアコンのマスコットキャラでああいうのを見たな……
しかも奴らは畑の一角でちょろちょろ動き、芽キャベツをもぎ取って猛烈に投げ合うドッジボールじみた遊びをしている。
「なんか……変なの、居ますね」
「……俺は、お前の反応が想像より薄い事に驚いている」
「これでも、かなり驚いてはいるのですが……」
色々と混乱してるのだけど、元々私は、あまり感情が表情や反応に出ない……
零さんはチラッと私の方を見てから、またすぐに視線を前に戻した。
「あれは水霊という仙霊の一種だ。夕暴雨が降ると現れ、畑で遊ぶ。野菜や薬草がいくつか使い物にならなくなるが、土が肥え潤う。質の良い素材を作る為には、奴らに好き勝手させておくのが良いのだ。時々悪戯いたずらが過ぎて、叱る時はあるがな」
「あの……零さんっていったい」
さっきも尋ねたが、まだ答えてもらっていなかった。
「俺は仙人だ」
「仙人?」
(つづきは本書で!)