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ビット・トレーダー

2018.08.11 公開 ポスト

素人は手出し無用?「ほぼギャンブル」の新興株トレード樹林伸

 鉄道事故で、最愛の息子を失った男。慰謝料を株に突っ込み、大当たりした日から人生は激変した。増え続ける金、愛人との生活、妻や娘との不和。ある日、会社の倒産情報と空売りの裏取引を持ちかけられた男は、その誘いに乗るのだが……。

 スリル満点の経済・犯罪小説、『ビット・トレーダー』。息もつかせぬ展開にハラハラしながら、株式投資のノウハウも学べる、まさにエンタメと実用が融合した作品だ。その中から、マネーゲームのリアルが描かれているシーンを抜粋してお届けしよう。

iStock.com/monsitj

「買いどき」よりも大事な「売りどき」

 高く寄り付いてからいったん下げ、しかるのちに本来の上昇トレンドに突入していったT社の株とほぼ同じ経緯を、同業のH社やN社も1、2分遅れで辿ることになった。

 すべて売り抜けたのは、わずか3分後。予定の株価に3社ともほぼ同時に達した瞬間を狙って、『成行売り』をかけた。そして、まだ上昇トレンドにある自動車株を高値追いで『買い』続けるネットの向こうの投資家たちを尻目に、退屈な舞台からさっさと降りてしまう。

 自動車3社の株価は、おそらくまだ上がるだろう。だが、あとわずかに上げたところで下降しはじめ、あれよあれよというまに買値を割り込んでしまう可能性もないとはいえないのだ。ならば、ここで降りて90万円ちょっとの利益を確定させたほうがいい。午後にはもう一度くらい、似たような買い時と売り時がくるはずだ。そこでまた別の輸出関連銘柄を売買して90万抜ければ、今日のノルマは達成である。

 90万の利益をものの5、6分であげてしまったことで、気持ちが大きくなる。

 ひりつくようなスリルが、恭一を手招きしていた。

 自動車株がいくらで売れたかも確認せずに、松井証券の株価ボードに登録してある数社の新興株の中から、ヘラクレス市場で話題になった超値がさ株を選んで、その銘柄コードをVAIOの取引画面に打ち込んだ。

 ネットゲームの開発と運営の大手ベンチャー、G社の社名と現在値が表示された。

 15,200,000。

 ケタ数を間違えているのかと思うようなゼロの数だ。

 しかし、紛れもなくこれは、1株の値段なのである。

 新規上場したのが今年の春。一般投資家に抽選などで事前に割り当てられたこの株の公募価格は120万円だった。ところが400万円台で初値をつけたのちに、公開株数の少なさから買いが殺到。異常ともいえる上昇をみせて、一時は2000万円を上回る株価をつけていた。

 1400万円から1600万円台程度に落ち着いた今も、日によっては100万円を超える上下動をみせる、デイ・トレーダーにとっては面白い株である。

 気配値をチェックすると、1550万円で『売り』が2株。『買い』は1520万円で1株入っている。

 最近、売買高が一時と比べて大きく減っていることもあって、『売り』も『買い』も多くはない。しかも、少しでも高く手放したい売り主と、安く手に入れたい側との間にやや温度差があるようだ。

 つい先日まで、大証の新興市場ヘラクレスは、『複数気配』つまり上下5段階までの気配情報を証券会社のトレーディング・ツールを通して提供していた。しかし、大量の注文をさばききれずにシステムがたびたび遅延し、売買に不都合が出はじめたために、この『複数気配情報』の提供を一時中止し、それぞれ最高値最安値の売買注文のみを、気配情報として表示することにしたのである。

 架空の売買注文で株価操作を狙う『見せ板』ができなくなったのは良いとしても、売買のタイミングを計るのが難しくなったのは間違いない。上値にどのくらいの売りがあるのか、下値を買いにくる動きはどうなのかがわからなくなったのだから当然だ。

 まして1株1500万円の値がさ株ともなれば、時には買い手と売り手が1対1になり熾烈な心理戦を演じることになる。ここのところG社の株の売買高が減っていた理由には、そういう厳しい戦いを避けたい投資家心理もあったのだろう。

 G社の始値は、9時1分についている。そこから9時7分の今に至るまで、売買された株数はわずかに3株だ。最後についた値段は1520万円で、前日の終値も同じ。膠着状態である。

 さあ、上げるか下げるか。参戦するタイミングとしては悪くない。

 面白いゲームになりそうだった。

新興株はハイリスク・ハイリターン

 売り注文を出している人数は一人なので、同じトレーダーが2株所有しているのだろう。合わせて3000万円を超える金額だ。自己資金の3倍以上の売買が可能になる『信用売買』を使っているのかもしれないが、それにしても相当な資金を動かしている強者であることは間違いない。

 恭一も2株の『買い』を入れることにした。インターネットの向こうで『売り』を出している人物も、どうせ買うなら2株いっぺんに買ってくれと言っている気がした。

 注文を入れる金額は……。

 直感的に15300000と『指値』を打ち込みマウスを握るが、注文ボタンをクリックする寸前に手を止める。

 その前にノートパソコンで前日の値動きを『日中足』グラフでチェックすることにした。

 G社株は、ここ数日は上下動が激しい。もうじき1株を5株に分割する『株式分割』を控えていて、投資家たちが神経質になっているのだろう。株式分割は諸刃の剣だ。大儲けのチャンスであると同時に、大損しかねないリスクをもはらんでいる。

 分割価格での売買が始まる『権利落ち日』以降、親株である1株を除く子株の売買は当分の間、普通の市場ではできなくなる。子株が正式に割り当てられるまでの1、2カ月の間は、『新株市場』という特殊な市場での売り買いしかできず、だいたいにおいて正規の市場価格よりはずっと安く売ることになる。

 ただ、株式が分割されて1株の値段が大きく下がり買いやすくなれば、それだけ投資家が手を出しやすくなることもたしかだ。しかも、市場で流通する株の数は1、2カ月後の子株の割り当て日までは増えないから、株の需給バランスが崩れて分割直後には大きく値を上げることがある。分割されて株価が5分の1になるのに、安くなった親株一つを除く4株が塩漬けのまま市場に出てこないのだから、値段が跳ね上がるのは当然だろう。

 このシステム上のねじれは株価を上げたい一部の経営者に利用されることもままあり、年末から来る2006年初頭をめどに改善されて、株式分割の数日後には子株を含めたすべての株の売買が普通の株式市場で可能になるはずであったが、2005年8月現在はまだ旧態依然で、株不足による一時的株価暴騰も確実に起こると予想された。だがもし上がると踏んで分割の権利落ち日までホールドを続けて、そのあと子株が割り当てられる2カ月後までの間に大きく株価が下落すれば大損だ。

 G社株にさまざまな思惑が交錯するこのタイミングで手を出すことは、まさにのるかそるかのギャンブルといっていい。しかし、だからこそ参加する価値がある。暴騰も暴落もない自動車株への手堅い投資も今の生活を維持するためにある程度は必要だが、恭一が渇望しているひりつくようなスリルが味わえるのは、やはりハイリスク・ハイリターンの新興株トレードだった。

 

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樹林伸

1962年、東京都生まれ。漫画原作者、小説家、脚本家。全世界で累計800万部のベストセラーワイン漫画『神の雫』原作者でもある(亜樹直 名義)。2011年にフランス農事功労賞、シュヴァリエを受勲。

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