平成最後の「終戦の日」を迎えるにあたって、いまこそ読んでおきたい本がある。それが『君死に給ふことなかれ――神風特攻龍虎隊』だ。
舞台は太平洋戦争末期。二〇歳に満たない少年兵を練習機に乗せ、敵艦に体当たりさせる「特攻作戦」が計画されていた。整備士の深田隆平は、練習機が特攻に使われるとは思いもせず、いたずら心で操縦席に武運長久の祈りを刻んだ。あと数日で終戦と噂される中、そんな隆平のもとへ特攻隊員と思しき若者から匿名で感謝の手紙が届く……。
実体験をもとに綴られた、奇跡の邂逅譚。その一部を抜粋してお届けします。
死を覚悟した沖縄出征
八月十日、中田兵長と古兵の三浦上等兵ほか二名の訃報が入る。やはり輸送船を米潜水艦に沈められたためという。
ついさっきまでそこにいた人間が死んだというのは、嘘のような話だ。軍隊では死というものが、まったく軽率にというしかない日常茶飯事のような顔をして、不意に訪れてくる。隆平が生死に鈍感になっているのか、身を震わせるほどの悲しみがない。
「そうか、あいつもやられたか」と、暗い表情をして思うくらいのものだ。
出かけるとき、あの三浦が満面の笑みをたたえて、
「深田、世話になったなあ」
と、最敬礼に近く低頭した。人は別れるときだけ、どうしてこうも好ましく、親しく懐かしい思いにひたることができるのだろう。なんだか老いを感じさせるような三浦の後ろ姿を描きだして、泣いてやろうとしたが、ただ茫然としているだけで、涙が出ないのだ。
そんなとき、美沙子の手紙を受け取った。いやにはしゃいだ調子で、
「十二日に母と面会にまゐります。待つてて!」とある。
隆平が外地に出ることがあれば、今のうちに、今生の別れをと意を決したらしい空気を感じた。
──今、こられたら困る。
自分でも意外だったが、そんなことを思ったのだ。おそらく数日のうちに転属命令を受けるという予感が、脳髄の中を走りまわっていた。おのれの死期をさとる動物の本能だったにちがいない。
ここで美沙子に会ったら、泣き崩れるか、一緒に逃げようとでも言いだしかねない。とんだ醜態をさらすことになりそうだ。
ある特攻隊員は基地に面会にきた妻を愛機に乗せて出撃したという。通信隊ではそんな洒落たまねはできない。
思案に余って木林少尉に打ち明けると、彼はからからと笑って言った。
「まあ会ってからの勝負だな。要すれば、逃げろ。今は手薄だよ。一人くらい兵隊がいなくなっても、捜索隊を編制したり、憲兵が出動したりすることはない。みんな浮足立っている。だれが脱走兵を血眼で追いかけるかね。一年か二年、いやそれほどもかかるまい、隠れていれば、世の中ひっくり返っているよ。軍隊など解体されているだろう」
おどろきはしたが、その手もあるかと一瞬うなずきながら、その日をやりすごす。翌日、またつづけて美沙子からの手紙が届く。面会にくる日の変更を知らせる速達便だった。
隆平さま
十二日日曜日の面会日にと、あれほど心をおどらせてゐたのに、どうしても汽車の切符がとれないとわかつたのです。
日曜日でなくとも特別の用事なら、面会ができたといふ話を母が聞いてきましたので、とにかく十四日にそちらにゆきます。
会社の休みもとれましたし、どうしてもお会いしたいのです。もしもだめなら、あなたが暮らしておいでの兵舎だけでも目におさめて帰ります……。
その美沙子の手紙によると、川崎高女の同級生の家が大阪の京橋に移り、近くの京橋の女学校に転校して、卒業後は同地の工場に就職している。その彼女の家に泊めてもらい、十二日朝早く福知山線に乗る予定だったが、篠山訪問は十四日になるというのだ。
「面会日は日曜日と決まっとる。残念だが、むりだな」
検閲した徳丸准尉が気の毒そうに言う。
途方にくれているうちに、転属命令を受け取った。それも十二日の日曜日のことである。進発は十三日という。山根親子が篠山入りする前日のことだ。こうなればもうどうにでもなれと、ようやく肝が据わってきた。
「転属の者、舎前に集合!」
「たまの日曜日、ゆっくりさせてくれよ」
ぶつくさ文句を言いながら営内靴を引きずって、ぞろぞろ集まったのは約五〇人、これが最後の沖縄転属組だろう。憂い顔の第三一航空通信連隊の兵隊たちだ。いわば決死隊である。ひょっとしたら、特攻隊の出撃前の集合もこんなものかと思う。
中隊長大橋大尉の簡単な訓示がある。隆平は二週間前に着任したばかりのこの人と会話を交わしたことが、まだ一度もない。
顔が赤いのは、朝酒でも飲んでいたのだろう。まあ日曜日だ、まさか転属命令が出るなど予想もしない日だから、中隊長殿の飲酒を非難するいわれはないが、戦時下である、朝っぱらからとは不謹慎ではないか──。
いろいろあって隆平がやや過敏になっている朝である。