捨てることは、生きること、捨てなければ、生きられない――。「断捨離」の考案者であるやましたひでこさんはそう言います。「捨てる」という一見、単純な行為がどうしてこれほどまでに難しいのか? なかなか実践できないのか? やましたさんの新刊『捨てる。~引き算する勇気~』から抜粋して考えます。
自分にとっての「不要・不適・不快」を知る
断捨離は、今の自分にとって不要・不適・不快なモノを取り除く行為を繰り返しながら、選択・決断能力を高めます。
不要・不適・不快なモノを取り除くと、人生の「流れ」が変わり、自分にとって必要・適切・快適(要・適・快)なモノ・コト・ヒトが流れ込んでくるようになります。
断捨離とは「戦略」。と同時に、戦略を具体的に実行する「戦術」でもあります。
さて、「不要・不適・不快なモノを取り除く」ということは、手当たり次第にモノを捨てるということではありません。個々のモノと自分の関係性を問い直した上で、今の自分にとっては不要・不適・不快と判断したモノと潔くお別れをしていくということです。
あなたは、会社の机や引き出し、あるいは自宅のテーブルや収納ケースなどに不要なモノを溜め込んでいないでしょうか。
たとえば、何カ月も置きっぱなしの書類の山や使いかけのボールペン、ほぼ使う可能性のない輪ゴムやコンビニのわりばし。家では、ゲームセンターで取ったさして好きでもないキャラクターのぬいぐるみ、あるいは衝動買いしてしまったもののまったく着ていない洋服など。
こうしたモノたちは、明らかに不要であるだけでなく空間の残骸、そしてあなた自身の心の残骸でもあるのです。
このような明らかに不要とわかるモノの判断は簡単なのですが、難しいのは自分の「思い」がこもったモノたちです。
たとえば、手に入れるときはどうしても必要だったモノとか、ずっと欲しくて手に入ったときには飛び上がるくらいうれしかったモノ、あるいは、家族や友人、恋人からもらったプレゼントなどです。もちろんこうしたモノが「大切」なのは確かなのですが、「永遠に」大切なのかどうか。もしかしたら、時間の経過とともに「今の自分」にとって「不要・不適・不快」なモノになってしまっている可能性もあります。そして、そのことに自分自身が無意識・無自覚になっているのかもしれません。
このような思いがこもったモノ、大切だと思い込んでいたモノたちと、真摯に向き合い、今の自分にとって要・適・快であるかをじっくりと問い直すことによって、自分の本当の気持ちに気づくことができます。
これが「関係性の問い直し」です。
もし、モノにこめられた自分の執着に気づき、それを捨てることができたら、人生の詰まりが1つ取り除かれたことになります。
……続きは、『捨てる。~引き算する勇気~』をご覧ください。……