知識がなくても、哲学書を読まなくても、哲学はできる
けれどもこの本で取り上げようとする「哲学」は、そうした一般にイメージされる意味不明な話や日常からかけ離れた難解な思想のことではない。そういうのは、引き続きいわゆる哲学好きの輩に任せておけばいい。
むしろ最近、「哲学」のイメージが変わってきているように思える。「哲学」という名を冠したイベントに興味をもってやってくる人が増えている気がする。
その一部は年配の男性で、かつて大学時代に哲学を学ぶか本を読むかして、退職後にもう一度学んでみようという人だ。そういう人は、分かっても分からなくても、哲学はいいものだと思っている。分かったらうれしいし、分からなかったら「やっぱり難しい!」と喜ぶ。気持ちだけでも青春に戻っているのだろう。
他にも、年齢にかかわらず、いわゆる思想好きな人たちは一定数いる。そういう人たちは、世の中にいろいろと出回っている読みやすい哲学書、入門書を読んでいたりすることが多い。そこから哲学者の著作に手を伸ばしている人もいる。こうしたもともと哲学好きな人がイベントに参加するのは、べつに不思議なことではない。根強いファンがいるのは、哲学を専門とする者にとってもありがたい。
しかし、かつてなら来ていなかったような類の人たちがたくさん参加する。とくに女性が多いのが目立つ。年齢は20代から50代くらいまでだろうか。
彼女たちと話すと、たいてい「哲学って全然分からないんですけど」とか「哲学書なんてまったく読んだことがなくって」と前置きをする。そして口をそろえて「何となく興味があって」とか「何かいいなぁと思って」と続ける。
哲学は元来、こんな無防備に近づいていいものではなかった。もっと敷居が高いものだったはずだ。それを彼女たちは、あっさり乗り越える。
実際、哲学対話のイベントをすると、参加者の大半は、そういった「何となく」の人たちで、いわゆる哲学好きの人や哲学専攻の学生や研究者はむしろ少数派である。
また、学校で子どもたちを相手に哲学対話をすると、「哲学ってムズカシそうだと思ったけど、面白かった!」という感想を言ってくれる。
このように「哲学」そのもののイメージも実際に変わりつつあるようだが、哲学対話は、それだけで哲学のイメージを大きく刷新する可能性を秘めているようだ。
いったい何が変わったのだろうか。おそらくもっとも大きな違いは、かつての哲学はいわゆる「知識」として学ぶもの、つまり「哲学(philosophy)」という一つの専門分野だったのが、昨今では対話において自ら「体験」すること、いわば「哲学する (philosophize)」になっていることだ。
(次回に続く)
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