従来のビジネスモデルが崩壊し、モノが売れなくなっているいま、ビジネスにおける成功は「コミュニティ」を持っているかどうかで決まる……。『君たちはどう生きるか』『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』を仕掛けたメガヒット編集者、佐渡島庸平氏は、コミュニティの可能性をいち早く感じ、実践してきた第一人者だ。著書『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.』は、そんな氏の「コミュニティ論」がたっぷり詰まった1冊。今回は特別に本書の一部をご紹介します。
ネットが人を不幸にしている?
今、自分が幸せだと胸をはって言える人はどれくらいいるだろう?
昔よりも減ってしまったかもしれない。
それはインターネットが原因で、アナログ社会のほうがよかったというのは、結論を焦りすぎている。今までの社会は不自由で、僕らはそこに無理やり合わせていた。インターネットは、人々に自由をもたらし、社会をなめらかにする。その流れは、信じていいと僕は思っている。
しかし、過渡期であるが故に混乱も起きていて、多くの人が幸せを感じられていない。これも同時に事実だと思っている。
“奴隷の幸福”という言葉があるように、僕たちは型にハマり、役割を半ば強制的に与えられるほうが楽で、居心地がいい。型にハマることを教えられてきた僕たちは、その型から解き放たれ、心のよりどころがなくなり、不安を感じている。
しかし、パンドラの匣はもう開けられてしまった。インターネットによる変化は不可逆だ。“奴隷の幸福”を自分の幸せにしてはいけない。
では、インターネットの何が、人を不幸せにしているのだろう?
キーワードは、情報の爆発と可視化だ。
情報量が圧倒的に増えているのは、誰もが認識していると思うが、ではどれくらい増えているのか?
総務省が発表しているデータによると、2002年のインターネット全体の情報量を10とすると、2020年は6000倍の6万。社会の中から1冊の本を見つけてもらうのに、2002年と2020年では、難易度が全く違う。情報が多すぎて、ほぼ伝わらない。
だから、ある人には当たり前の情報も、ある人には初見の情報ということが多々ある。情報の伝達が、「なめらか」になるのではなく、多すぎて逆に不自由になっている。そこに大きな問題が潜んでいる。
先ほど、小説は、描写で登場人物のアイデンティティを表現すると書いたが、今はその手法が使いづらくなっている。固有名詞が持つ意味が、読者によって違いすぎるため、作者の意図が伝わらなくなっているからだ。
2000年代になって、ライトノベルが、若者にとっての小説の主流になった。ライトノベルの正式な定義はないが、登場人物が何をしたか、どんな感情になったかが主に描かれているものを指すことが多い。旧来の小説で多くを占めた人物描写、風景描写はほとんどない。
情報量が圧倒的に増えると、それぞれの人が違う情報に触れる。他人が触れている情報に触れず、自分だけの情報を取り続けて、多様な価値観がどんどん強化されていく。
だからコミュニティが重要になる
情報が爆発すると、どの情報を信頼すればいいかわからなくなる。その結果、マスコミ以前の社会と同じ感じで口コミを頼ることになる。どんな情報かよりも、誰が言っているかのほうが、重要になってくる。
かつて「2ちゃんねる」は、さまざまな情報が集まったが、それを信頼するのは至難だ。そこにはたくさんの悪意が渦巻いていて、見ていると精神的に疲れるし、安心できる場所ではなかった。
そのような情報の爆発を整理するために、専門的なサイトが生まれた。
レストランは「食べログ」「Retty」、化粧品は「@コスメ」、美容院は「ホットペッパービューティー」、料理は「クックパッド」「クラシル」、家電は「価格.com」が、圧倒的な影響力を持っている。
情報の種類が限定されると、そこに健全なコミュニティができて、その中の口コミを信頼するようになる。今、あげたサイトを一つも使ったことがない人は、もはやほとんどいないのではないだろうか?
自分の行動を振り返ると、情報の爆発にどう対応しているかに気がつける。
僕の場合、新しく読む本を見つけるときには、書店へ行き、書店の棚のあり方で、世の中の流行、書店員さんのお薦めを知り、そこでの偶然の出会いを楽しんでいた。待ち合わせ場所として使うことも多くて、書店で時間を過ごすのが大好きだった。
けれど最近は、TwitterやFacebookで自分が信頼している人が推薦しているものを買うことが多い。
書店をのんびりと歩いたときのように、「ブクログ」「読書メーター」「マンバ」という本のコミュニティの口コミを見ながら次に読む本を探す。
整理されていない情報に触れると、人は自分で情報を選択するという責任を背負う。その自由すぎる故の責任の重さは、多くの人を不安にし、不幸にする。今は、多くの人が情報の爆発に対応できていない。どのように情報を減らすのか、それが仕組みでできていくといい。情報の一つ一つに意思決定をするのではなく、どのコミュニティに入るかだけを意思決定する。そうすると、人は情報爆発に対応できるのではないか。
健全なコミュニティが発展することに、僕は希望を見つけているのだ。