従来のビジネスモデルが崩壊し、モノが売れなくなっているいま、ビジネスにおける成功は「コミュニティ」を持っているかどうかで決まる……。『君たちはどう生きるか』『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』を仕掛けたメガヒット編集者、佐渡島庸平氏は、コミュニティの可能性をいち早く感じ、実践してきた第一人者だ。著書『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.』は、そんな氏の「コミュニティ論」がたっぷり詰まった1冊。今回は特別に本書の一部をご紹介します。
「安心」を感じられないSNS
ネットを使いこなしている人は、ネットによって新しいコミュニティでつながりを得ればいいじゃないか、と主張するかもしれない。しかし、マジョリティがSNSを使うことを躊躇するのには、明確な理由が存在する。
オープンなSNSは、安心、心理的安全をも脅かす。時には、社会的な安全も脅かす。
ネットはすべての関係をフラット化する。今までは、違うコミュニティに属する人の詳細を知ることがなかった。社会には、さまざまな意見が存在するのではなく、全く逆な意見が共存している。現実では自分の周りには、似た意見が揃っているから、逆の意見を意識することはほとんどない。意識するときは敵として、認識してしまっている。
『インベスターZ』の編集をしていたときに、このことを強く理解した。株の売買は、この株を「売ったほうが儲かる」「買ったほうが儲かる」という逆の思考の二者がマッチングしたときに起こる行為なのだ。同じものを見て、真逆のことを考える。
『宇宙兄弟』に登場する「せりか基金」というALSの薬を作るための研究に寄付をする社団法人をコルクでは運営している。難病の患者たちは、一刻も早く、自分たちの病気を治したい。だから、薬の治験をどんどん進めたほうがいいと考えている。治験が終わらずに死んでいくくらいなら薬を試してみたい、と考えている。一方、薬害で苦しんでいる人たちもいる。その人たちは、その薬が完全に治験をされた後であれば、自分たちはこのような目に遭わなかった、同じ被害者を出さないために、もっと薬のルールを規制したほうがいいと主張する。
どちらの意見が正しいのか?
両方の意見が存在して、社会はその両極端の中でバランスをとっている。
ネットの中では、その両方の意見が可視化されている。自分の主張を絶対的な善だと思ってする主張は、炎上する。
今のSNSは、あまりにもオープンで、ポリティカルコレクトネスが求められすぎる。すべての人が、常に聖人君子でいられるわけではない。偏見や差別から自由になろうとしている人であっても、そのような発言をしてしまうことはありえる。
また、多様性を許容するのは、テーマによっては難しい場合もある。全く知らない人が、あまりにも馴れ馴れしく話しかけてくるのも、対応に困る。
同じ価値観を共有していれば阿吽の呼吸で伝わる話も、SNSでは全くコンテキストを共有していない人にも届いてしまい、意図が伝わらず無用な炎上になることもある。
クローズドなコミュニティをつくれ
SNSがオープンであればオープンであるほど、安全・安心は確保されない。
Snapchatのストーリー、Instagramのストーリーズが流行ったのは、24時間で消えるという軽さが、若者に安心感を生んだからだ。
アナログでは、資料の保存が難しい。その反動で、半永久的にデータを残すことを、ネット初期には多くの人が喜んだ。しかし、一度気軽にした行動を、永遠に残され、数十年後にその責任を問われるとしたら悪夢だ。10代の頃の発言なんて、誰も覚えていない。消えるというネット的でない体験が、ネットに安心をもたらしたのだ。
オープンすぎるSNSは見なくていいものも見てしまう。
誰かが旅行に出かけたり、美味しいものを食べたりしている様子をSNSで見ると、その人の生活がとてつもなくうらやましくなってしまう。
昨日の自分と今日の自分を比較するのではなく、他人と自分を比較して「オレはなんてつまらない人生を送っているのだ」と感じることは、無意味だ。しかし、SNSではそこから抜けられない。
TwitterやFacebookの投稿を眺めながら、毎日誰かに嫉妬する。SNSは他人の人生の記録ではなく、絶好調のときだけを切り取った記録でしかない。実際に会って話したら、なんていうことのないことでも、SNSを通して見ると、自分以外のすべての人が異様なほど幸福な時間を送っているかのような錯覚に陥ってしまう。
SNSによる負の心理的側面への対応の仕方を、まだほとんどの人が学べていない。
リアルな空間で、安全・安心を確保するためにやっている工夫を、ネットにも取り入れることが重要だ。ネット空間にリアルと同じような身体性を持たせないと、安心な空間が生まれない。
日常生活で考えてみても、他の部署の人がいるデスクでは話しにくいから会議室に移動したり、レストランでオープンな席ではなく個室をあえて予約するということがある。テーマによって、オープンとクローズを使い分けている。
ネット上でも、LINEのグループなど、極プライベートなクローズドコミュニティは作れる。
しかし、趣味で集まるクローズドなコミュニティは、ほとんど存在しない。
ネットの自由さを享受しながら安心を得るためには、クローズドなコミュニティをネット上に作る必要がある。
今あるコミュニティ関連の本は、従来型の地域社会の話ばかりだ。
コミュニティはずっと存在していながらも、僕を含めまだ誰も完璧に理解し言語化していない。Facebookでさえ、すべてを理解しているのではなく、試行錯誤を繰り返している。今が、コミュニティを再構成する社会の流れの爆発前夜だ。