「美しい暮らし」の連載をスタートした時、アドバイザー的な立場でさまざまな助言をくれた、レコード会社のプロデューサーとして手腕を奮う友人が、矢吹さんは今後、顔出しはNGです、と私に告げました。
今回の連載の文章のトーンと矢吹さんのヴィジュアルはうまく馴染まないから、と彼は続けました。
なるほど、と私は思いました。
身長175センチ・体重85キロで、髪型はモヒカン刈り、ラウンド髭を生やした52歳の私は、レスラーのような風貌だと、よく評されます。
元暴力団の人、バーのマスター、デザイン関係の仕事をしている人、などと誤解されることもございます。
私は一年中、半袖のTシャツに短パン、裸足にサンダル履きでどこへでも出かけます。
冬場はさすがに、ダウン・ジャケットやウィンド・ブレーカーなどを羽織ったりはするのですが、その柄やデザインのチョイスが「大阪のおばちゃんっぽい」そうで、確かに私には、原色や獣柄などを好む傾向があります。
厳つい外見や派手な服装と、それに不釣り合いな柔らかい文章を、私の中に共存させているキーは、もしかすると、私のセクシュアリティにあるのかもしれません。
20年ほど前から、私はゲイであることを公然として、生きております。
小学生の頃、私は茶色いランドセルを背負って、学校に通っていました。
半世紀近い昔、子供のランドセルの色や柄には、今のように豊富なバリエーションはありませんでした。
男の子は黒、女の子は赤、とほぼ決まっておりました。
私が使っていた茶色いランドセルは、2歳上の姉からのお下がりでした。
我が家は決して豊かではなく、父は極めて合理的な人でした。
子供がランドセルを背負う期間はそれほど長くはない、と父は踏んだのでしょう。
確かに、私の記憶を辿ってみても、小学校の高学年になり、身長が伸びて来るのと同じようなタイミングで、多くの同級生はランドセルを卒業し、スポーツバッグや手提げ袋を持って通学するようになりました。
ランドセルが小学校低学年の数年間使うだけのものなのであれば、姉には赤、私には黒、と別々のランドセルを大枚を叩いて用意することは無駄である、と父は考えました。
姉弟で使い回すことを前提に、赤でも黒でもない、茶色のランドセルを父は用意しました。
父の予想通り、姉はあっという間にランドセルを卒業し、大人びた手提げ鞄を持って、通学するようになり、私は姉から譲られた茶色いランドセルを背負って、小学校に通い始めました。
私はこの茶色いランドセルが嫌で堪りませんでした。
小学校の全生徒の中で、赤と黒以外のランドセルを持って通うのは、私一人でした。
集団の中で、周囲と異なっている、ということは、その異なっている人間にとっても、周囲にとっても、脅威となり得る要素です。
黒い羊は、孤立するものです。
人と違っているのは嫌だ、と私は父に言いました。目立つことは苦痛である、と訴えました。
父は私に言いました。
人は皆、それぞれに違うものである。違っていることを怖れてはいけない。目立つことの、何が悪い。目立つというのは、むしろ素敵なことなのだ。
私は、茶色いランドセルを与えられたために、ゲイになったわけではありません。
また、父が幼い私のセクシュアリティを察知して、その曖昧な色のランドセルを選んだわけでもなかったでしょう。
今、私は父に感謝します。
幼いあの日、人と違う、ということを背負って生きた経験は、今の私の在り方や生き方を助けています。
後年、ゲイであることをカムアウトした私に、父は言いました。
私はあなたのセクシュアリティを尊重し、受け入れます。なぜなら、私はリベラルですから。
なかなか面白い人に、私は育てられた、と言っていいかもしれません。
毎年、桜の季節になると、父から連絡が入ります。
新宿御苑の近くにある、私と父のお気に入りの中華料理店のテラス席で、道沿いに咲き競う満開の桜を見上げながら、家族でランチを頂くというのが、我が家の恒例の行事になっています。
父と母と姉と私、それから私の連れ合いである同性のパートナーを加えた、家族5人でランチのコースを頂きます。
父は必ず、コースの他に、四川風の麻婆豆腐を追加してオーダーします。
そして、毎回必ず、お店の方に、この麻婆豆腐は旨い、重慶で食べたものよりも美味しい、としたり顔で言うのです。
長く中国の研究を生業として来た父は、中国各地に度々、足を運んでおります。
麻婆豆腐がどうして生まれたか知っているか、と続けて父は私たちに問います。
重慶というのは暑い街なんだ、夏場の重慶の暑さったらない、だから、肉なんかはすぐ傷む、傷みかけの肉を誤魔化してどう美味く食うか、というのが麻婆豆腐の発明なんだよ。麻と辣を効かせて誤魔化そうと、昔の人は考えたわけだ。
最近、私は、友人のブログで、白い麻婆豆腐というものの存在を知りました。
どんな味わいになるのか、興味を覚え、早速、作ってみることにいたしました。
油を敷いたフライパンに、微塵切りの生姜と大蒜、たっぷりの実山椒を入れ、香りが立つまで炒めます。
挽き肉を入れ、塩胡椒をして、更に炒め、そこに葱を加えます。
紹興酒少々、鶏がらスープの素、水を加え、煮立ったところに豆腐を入れて、ざっくりと混ぜます。
仕上げに水溶き片栗粉を加えてとろみをつけ、花椒をお好みでかければ、出来上がりです。
炊きたてのご飯と一緒に食べてみると、醤や辣油を使った普通の麻婆豆腐に比べ、山椒の風味が爽やかな、すっきりとした風味の麻婆豆腐でした。
茶色いランドセルを子供たちに持たせた父に、この白い麻婆豆腐をご馳走したら、きっと気に入ってくれるのではないか、となんとなく私は思い、ついつい微笑んでしまったのです。
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美しい暮らし
日々を丁寧に慈しみながら暮らすこと。食事がおいしくいただけること、友人と楽しく語らうこと、その貴重さ、ありがたさを見つめ直すために。