ベストヒットUSAという番組に関わってたことがある。この番組の第1期は1989年に終了してるので、ちょうど僕が高校から大学にかけてやっていた番組で、もちろんその当時には一視聴者として毎週エアチェック (*1) してた側だ。大学を中退してしばらく様々な番組のアシスタントをしたり、実家の土建屋を手伝ったりしてた時に、TVK(テレビ神奈川)の音楽番組全盛期を支えてたプロデューサーと出会い、その人の会社で働くことになった。その会社で1995年から地方局への番組販売という形で復活したのが第2期になる。その時のディレクターに選ばれたのだ。
番組は復活版も第1期の構成を踏襲した。小林克也という人は細かいことに口出しはしないが、全体のトーンに関してはとてもこだわる人で、2つだけぶつかったことがある。1つは、第1期の時からお馴染みだったオープニング。レコードジャケットがバタバタと倒れてくるあの映像を僕らもコピーした。もちろん実際のレコードジャケットを倒して、それを撮影してた第1期とは違い、僕らの時にはCGでの合成なのだが、それを作って番組が始まった2年目くらいに、「どうしても最初の1枚を取り替えたい」という要望が克也さんから上がって来た。
その1枚目のジャケットはTLC (*2) の「Crazy Sexy Cool」で克也さんに言わせれば、彼女たちは「まだアーティストとは言えない」という評価だった。ベストヒットUSAは単なるチャート番組ではなくて、いわゆるアメリカのカルチャーを伝える「ジャーナリズム」なんだ、という意識があるとその時にハッキリと話していて、僕はジャーナリズムなら余計に「TLCは90年代を象徴するアーティストだ」という思いがあった。そこから1年くらいその件での話し合いが続いて、話し合いが煮詰まった1年後に僕が番組を辞めた後にオープニングが全取っ替えになった。
「Crazy Sexy Cool 」の1stシングル「Creep」。MVの見応えとしてはHollywoodのユニバーサルスタジオの中に大きな池と書き割りを作り、CG合成もふんだんに使われた「Waterfalls」が有名だが、ここでは敢えて「Creep」を紹介させてもらう。なぜかというと、この作品の中で使われてるクレーンによるアクションは、本来の「移動感を見せる」というよりも、「画面にリズム感を感じさせる」「映像に色気を加える」という意識での使い方になっている。この感覚と手法は、この後に数多生まれるR&B女性アーティストのMVの最低限の基本型として成立してるとも言えるからだ。
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MTVが教えてくれたこと
1981年8月1日午前0時に「観る音楽」の文化を作り出し、熱狂を巻き起こした音楽番組MTVは始まった。CM→MV(ミュージック・ビデオ)→映画監督という流れができ、あらゆる映像技術がMVで試されて行ったあの時代を振り返る。
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