バーのカウンターや古い音楽、カタカナのお酒。慣れないとちょっとハードル高いですよね? でも思い切って覗いてみると、知らない世界に魅了されるかもしれません。『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』の作者で、渋谷のバーBAR BOSSA店主の林伸次さんが案内する大人の世界。
大人にしか味わえないロマンチックな時間がある
今、危惧していることがありまして。缶チューハイの度数がどんどん上がっていますよね。要するに「早く酔っぱらいたい」ってことなんだと思うんです。
お酒って実は農産物なので、フランスのワインならフランスの農家の人がブドウの木と一年間じっくりと付き合って、収穫して醸造した物を瓶詰めして、飲み頃になるまで少し熟成させて、そして全世界へと運んで、華やかなレストランやお祝いのテーブルで楽しまれる飲み物なんです。
ウイスキーもイギリスのスコットランドで麦に芽が出た物「麦芽」を醸造して、それをさらに蒸留して、あるウイスキーはブレンドして、シングルモルトと呼ばれるウイスキーはブレンドしないで、それぞれの味わいを大切にして、全世界の「大人の飲み方をする人たち」へと出荷されます。
お酒って、そういう農家の人が作った作物を、酒造りの職人が大切に香りや味わいが楽しめるように醸造、蒸留して、一流のデザイナーが作ったラベルを貼って、世界に流通しているものなんです。
僕はそんな「世界中のお酒」を、「恋人同士」や、あるいは「これから恋人同士になるかもしれないカップル」に、「これ、美味しいですよ」ってサービスする仕事を、毎晩毎晩、21年間も渋谷でやってきたのですが、「そうかあ、酔っぱらえれば良いってことになってきたんだなあ」って残念な気持ちになっている、というわけです。
まあ実はこれ、「世界のカジュアル化」が関係しているんだと思います。
みんな、スーツを着なくなったし、ネクタイも革靴も身につけなくなりましたよね。
みんな、スニーカーにジーンズにキャップです。
僕がバーテンダー修行を始めた頃は、「店に入ったら帽子を脱ぎなさい」って怒るマスターもいました。たぶん今はもうそんなお店ないかもしれないですよね。最近はコースが1万円くらいのフレンチでも、スタッフがキャップをかぶっていることありますからね。
みんな、いろんなカタカナを覚えて、ワインやウイスキーやリキュール、カクテルを背伸びして飲むの、面倒くさいんでしょう。
このいろんなカタカナを覚えるのが面倒くさいっていうのに、昔のスタンダード曲を全く聞こうとしないというのもあるって感じます。
昔のスタンダード曲って、ミュージカルや映画で話題になった「恋の曲」を、「あの曲、演奏してみてよ」って感じで、酒場のお客さんが酒場のバンドにリクエストしたりした曲なんですね。
それで、バンドの方も、「今、あの映画が流行ってるから、あの恋の曲を覚えなきゃ」って感じで、曲目を増やしたわけです。
そんな曲があるときは「ジャズ」で演奏されたり、あるときは「ボサノヴァ」で演奏されたりしました。
そして、その酒場に来て、そのバンドの「恋の歌」の演奏を聞いて、カップルの男性が彼女に「愛してるよ」なんて囁くための「道具」だったわけです。
今でもそういう「スタンダード曲」っていうのは残っていて、『ムーン・リヴァー』や『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』なんかは「どういう歌詞なんだろう。月の歌なのかな」って調べて、そしてバーなんかでそれをレコードで聞くっていう楽しみもあります。
例えば『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』っていうスタンダード曲があるのですが、その曲は「ヴァレンタイン」という男性に惚れてしまった女性の歌なんですね。そして、「ねえ、私のヴァレンタイン、ずっと私のそばにいてね」って彼の寝顔なんかを見ながら、こっそり歌っている曲なんです。はい、たぶん彼女はいつか「ヴァレンタイン」が去っていくのを知ってるんです。そして、「あなたがいれば、毎日がヴァレンタイン・デイだから」と歌います。そういう恋ってありますよね。
もちろん酎ハイを飲みながらカラオケでJ-POPを歌う楽しさもありますが、僕はこんな風な「大人しかできないロマンティックな時間」という習慣がなくなっていきそうなのは残念だなって思います。
そんな「大人の時間の過ごし方、大人の恋の楽しみ方」をもっと若い人に知ってほしくて『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』という小説を書いてみました。
『ムーン・リヴァー』を聞きながら、オードリー・ヘップバーンに片思いだった男の話を読みながら、ちょっと大人の飲み方をしてみませんか?
***
明日(26日)から、『ムーン・リヴァ―』、『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』が登場する『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』の試し読みをお届けします。お楽しみに。
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