人類の悲劇を巡る「ダークツーリズム」が世界的に人気です。その日本の第一人者といえる井出明氏の『ダークツーリズム~悲しみの記憶を巡る旅~』では、代表的な日本の悲しみの土地と旅のテクニックを紹介。今回は、長野・上田への旅を抜粋してお届けします。
ダークツーリズムが扱う時代
上田は、さほど有名な観光地があるわけではないが、真田幸村(信繁)の故地として知られ、歴史ファンが多く訪れる街である。最近は、ゲームやそれをベースに作られたアニメの『戦国BASARA』の影響で、いわゆる歴女と呼ばれる若い女性の来訪者も多い。ダークツーリズム研究においてよく聞かれる問いに、「ダークツーリズムが扱う時代はどこまでか?」という論点がある。沖縄を始めとして、第二次世界大戦の戦跡は、見る者に悲しみの影を投げかける。
他方で、関ヶ原を今見たとしても、そこに寂寞感(せきばくかん)を覚える者はあまりいないであろう。戦国時代は、もはや歴史の彼方となった過去であり、そこにはダークツーリズムが本質的に扱うべき悲しみは存在していないと考えられるかもしれない。
ただ、真田幸村に関しては、そこはかとない寂しさを湛えた旅のモチーフとして語られることが非常に多い。真田幸村は、個人としては有為の才能を持ち、様々な評伝においてその非凡さが窺えるが、その人生は非常に不遇であった。彼自身が有能であっても、仕える主君やグループのリーダーがあまりにも情けなかったために、彼は才能を発揮できずに、負け続ける人生を送ることになってしまった。彼が最後に働いた大坂城が、当時淀君に支配されていたことからも、この構造は推して知るべしであろう。
真田幸村の人生は、サラリーマンから共感を受けやすいと聞く。サラリーマン諸氏が、自分の能力を信じていながらも、不遇な我が身を嘆くことは多いようである。その際、上司に恵まれないことを、理由としてまず第一に挙げる傾向が強い。つまり、真田幸村は、サラリーマンにとっては、我が身を重ねやすい不遇のヒーローであり、彼が人生に成功しなかったからこそ、そこに共感が生まれていると考えることもできる。
地域に根ざした悲しみがあり、その悲しみが次世代に承継されていく以上、真田幸村を巡る旅は、ダークツーリズム的な要素があると感じられてならない。なお、真田幸村は仕官や配はい流るのために全国を渡り歩いており、旅とつながりやすいコンテンツであるといえる。
また、以前、配流先であった和歌山の九度山町や終焉の地である大阪市、そして出身の上田市などをメンバーとした真田サミットなる催しが開かれ、活況を呈していたことを付記しておく。
さて、腹ごしらえもしないといけないので、ここでは池波正太郎の愛した店である「刀屋」に行って、名物の真田そばを頼みたい。
戦没画学生の美術館
ここからがダークツーリズムの旅となるが、初めに訪れる場所は、「無言館」と呼ばれる美術館である。ただ、美術館といっても、ここには有名な画家の作品は一枚もない。この美術館に収蔵されている作品は、いわゆる戦没画学生の手によるもので、美術を学んでいた学生たちが出征前に描いたものが大部分を占める。
絵を心から愛していた若者たちが、自分の力ではどうしようもできない時代のうねりの中で、描くことを諦めて戦地に赴かざるを得なかったその時の気持ちを慮(おもんぱか)ると心が痛む。
そして何より、その作品そのものから感じられる生命力の強さには、絵画の門外漢である私ですら、圧倒された。私が実際に訪れたのは、大学で言えば春休みに当たる時期であったのだが、私が静かに絵と向き合っていると、男女5人ぐらいの騒がしいグループがずかずかと館内に入ってきた。彼らは個性的なおしゃれを楽しんでいたので、美大生かなと思ったのであるが、訪問の瞬間における態度は決して褒められたものではなかった。ただ、絵を見始めて数分経つと、彼らは何も話さなくなってしまった。完全に黙り込んだのである。
私自身は創作をしないのであるが、実際に描いている彼らにとっては、死を間近に意識しながら最後に創られた作品の気迫に、ただならぬものを感じたのではないだろうか。私は、戦没画学生たちの細かい資料も読んだので、長時間館内に留まっており、彼らの後から展示施設を出たのであるが、小一時間ほど作品を見た学生たちの表情が、憔悴(しょうすい)しきっていたことが非常に印象的であった。
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<井出明氏トークイベントのお知らせ>
9月29日19時~20時30分
「ダークツーリズムで観る世界と地域」
大阪・梅田 蔦屋書店4thラウンジ
詳細・お申込みはHPをご覧ください。