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カラス屋、カラスを食べる

2018.10.27 公開 ポスト

第6話 「味覚生物学のススメ」篇

「生き物」と「食品」のあいだ松原始(動物行動学者。東京大学総合研究博物館勤務。)

京都大学在学時からカラスに魅せられ25年。カラスを愛しカラスに愛されたマツバラ先生が、その知られざる研究風景を綴った新書『カラス屋、カラスを食べる』を一部無料公開! 愛らしい動物たちとのクレイジーなお付き合いをご賞味あれ。毎週水曜・土曜更新!前回までのお話はこちらから。

 

 それはそうと、肉がすぐ食べられる状態で手に入るというのは、素晴らしいことだ。

 屋久島でのサル調査中のこと。その日は前期調査の最終日で、打ち上げだった。シェフと呼ばれる料理上手な友人が料理担当で、私はそれを手伝って棒棒鶏を作っていたら、表で車が止まる音がした。

 肉部隊が戻って来たようだ。当時、屋久島では毎週決まった曜日に豚が屠畜(とちく)されて食料品店や精肉店に配送されていた。だからこの「肉の日」に肉がドンと並び、翌週に向かって品薄になって行く。今日は屠畜前日、予約しておかなければ25人前の肉なんて手に入らない。我々が調査のため、山中でキャンプしている間に、島に住む知り合いのAさんが豚肉を手配しておいてくれたので、何人かがそれを受け取りに行ったのだった。

 バタン、バタンとドアが開閉される音が聞こえる。私たちは「お、肉来たな、肉」と笑いながら顔を見合わせた。

 続いて、「メエエエ~~」という声が聞こえた。

「え……?」

「聞き違いやと思うねんけど……今、メエエ~って言うたよな?」

 いやまさか。顔を見合わせてから玄関に行くと、ちょうど引き戸を開けて、肉を取りに行った連中が入って来た。そして、1頭のヤギも、に引かれて入って来た。

「……肉?」

「……肉」

「メエエエ~~」

 なんでこうなった?

 聞いてみると、何か手違いがあり、注文した肉がなかったらしい。Aさんに確認したら「それは申し訳ない」ということになり、「代わりに何かすぐ手配するから!」となって、手配されたのがコレだったわけだ。えーと……まあ、肉なんですけどね。三和土(たたき)の端っこで草もらってモグモグしてるけど。

 

 *

 

 さて、あらかた料理もできたあたりで、とうとう、肉問題は先延ばしできなくなった。かくしてYさんが指揮を取り、パワフルそうなのが総出で暴れるヤギを押さえ、脚を持ち上げて横倒しにした。一人1本ずつ脚をつかんで押さえ込み、Yさんがを握って頭を押さえ、Tさんがナタを振りかぶると、南無三! と首筋を狙って振り下ろした。だが、やはり力加減がわからない、というか無意識に遠慮したのだろう。この一撃は致命傷にならなかった。首筋から血を流しながら、ヤギは悲鳴を上げた。

 Tさんはナタを握ったままんだ。それはそうだ。暴れるのを押さえ込まれて血を流して悲鳴を上げる相手に追い討ちをかけるのは、誰だって躊躇する。それに力いっぱいナタを振るうのは、それなりに危険でもある。手元が狂ったら仲間の指をすっ飛ばしかねない。しかし、屠畜を長引かせるのもまた、無益で無慈悲なことだ。

 見かねたYさんが「貸せ!」と叫ぶと、角から手を離してナタを奪い取った。暴れて首を振ろうとするヤギの角を、私はYさんに代わって押さえてから横を向け、首筋をさらすようにする。

 Yさんが振り下ろしたナタが、再び首筋を捉えた。音を立ててナタが食い込んだが、やはり、一撃で首を落とす威力はなかった。Yさんは怯まず、二撃、三撃を叩き込んだ。ドカッという音が、次第に濡れた音に変わってゆく。ヤギの声が弱々しくなり、何度目かで頸椎が断ち切られ、首がクイとねじれた。ヤギは絶命した。

 何人かがブルーシートに載せたヤギを引きずって土の上まで行き、後ろ脚をつかんで持ち上げ、放血する。あらかた血が抜けたところで解体だが、ここで大活躍したのがナオちゃん。獣医学部の学生で、大型獣の解剖はお手の物であった。出刃包丁一本でスーッと腹を開き、「これが肝臓ね。こっちが腸で、胃はこっちの方」と解説しながら手早く腹腔から内臓を抜いた。それから「こことここにがあるから、これで外れるはずなんだけどなー」と脚の付け根に出刃包丁を入れて探ると、コキッと脚を外して「はい、剝いて」と手渡された。Yさんが「うまいな……」と呟いたほどである。

 妙なものだが、首を落としてしまうと急に「生き物」という感覚が薄れ、「肉の塊」に見えて来る。この時の我々の感覚はかなりケダモノ寄りになっていたとは思うが、生きたヤギ、首を刎ねたヤギ、さばいたヤギ、ヤギの脚一本、皮を剝いた骨付き肉、骨から外した塊の肉、料理できる大きさにカット済みの肉、出来上がった肉料理……と変化してゆくどの段階までを「生き物」と感じ、どこから「食品」と感じるか、その線引きの問題である。

 脚一本になってしまうと、これはもう、毛皮のついた生ハムみたいなもの。思ったより平気だ。まあ、刃を入れた瞬間の生温かい臭いはどうしようもないが、生物と食品の差とは、こういうものなのだ。

 さて、受け取った脚だ。地面に置いて皮を剝ぐと抜けた毛が肉について始末が悪いから、一人がを持ってぶら下げ、吊るしたまま処理するのがよいとのこと。言われた通り、ナイフを入れて皮を剝ぐ。弧を描くように刃物を動かして筋肉と皮の境目、皮下脂肪のところを切り開き、時には拳を突っ込んでグイと隙間を広げると、まだ体温の残った獲物の皮はきれいに剝げる。読んでてよかった、大藪春彦。

 剝いた脚は適当に叩き切ったり削いだりして調理班が片っ端から茹でる。肋骨(というかバラ肉、あるいはリブか)もナタで叩き切って外され、台所に直行だ。本当はじかで焼けば最高にうまいのだろうが、バーベキューのできる設備もないし、この際、全て茹でてしまう。まるでチャンサン・マハ、羊を茹でて岩塩だけで味付けした、モンゴルのソウルフードだ。

 かくして、ヤギの塩茹ではきれいに我々の腹に収まったのだが、臭みを感じなかったのは大変不思議だ。その後も他のところでヤギを食べる機会はあったが、ヤギ肉はだいたい、ちょっとクセのある臭いのするものである。

 あの時はよほどナオちゃんの処理が良かったのか、それとも、我々がケダモノ化しすぎていただけなのだろうか?

 

     *

「味覚生物学のススメ」篇、おわり。本連載は毎週水曜・土曜更新です。次回からは「カラスは女子供をバカにするか」篇をお送りします。ご期待ください。

関連書籍

松原始『カラス屋、カラスを食べる 動物行動学者の愛と大ぼうけん』

カラス屋の朝は早い。日が昇る前に動き出し、カラスの朝飯(=新宿歌舞伎町の生ゴミ)を観察する。気づけば半径10mに19羽ものカラス。餌を投げれば一斉に頭をこちらに向ける。俺はまるでカラス使いだ。学会でハンガリーに行っても頭の中はカラス一色。地方のカフェに「ワタリガラス(世界一大きく稀少)がいる」と聞けば道も店の名も聞かずに飛び出していく。餓死したカラスの冷凍肉を研究室で食らい、もっと旨く食うにはと調理法を考える。生物学者のクレイジーな日常から、動物の愛らしい生き方が見えてくる!

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カラス屋、カラスを食べる

カラスを愛しカラスに愛された松原始先生が、フィールドワークという名の「大ぼうけん」を綴ります。「カラスの肉は生ゴミ味!?」「カラスは女子供をバカにする!?」クレイジーな日常を覗けば、カラスの、そして動物たちの愛らしい生き様が見えてきます。

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松原始 動物行動学者。東京大学総合研究博物館勤務。

1969年、奈良県生まれ。京都大学理学部卒業。同大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学博士。専門は動物行動学。東京大学総合研究博物館勤務。研究テーマはカラスの生態、および行動と進化。著書に『カラスの教科書』(講談社文庫)、『カラスの補習授業』(雷鳥社)、『カラス屋の双眼鏡』(ハルキ文庫)、『カラスと京都』(旅するミシン店)、監修書に『カラスのひみつ(楽しい調べ学習シリーズ)』(PHP研究所)、『にっぽんのカラス』(カンゼン)等がある。

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