「日本人はもともととてもすばらしい民族だった」「日本人は、もっと日本人であることに自信をもってよい」……そう語るのは、歴史学者の山本博文東京大学教授。江戸時代にくわしい教授は、著書『武士はなぜ腹を切るのか』で、義理固さ、我慢強さ、勤勉さといった、日本人ならではの美徳をとり上げながら、当時の武士や庶民の姿を活き活きと描いています。昔の人はカッコよかったんだな、と素直に思えるこの本。一部を抜粋してご紹介します。
息子を亡くした母の心の内
芥川龍之介の短編小説に「手巾」という作品があります。
ある大学の先生のところに、病気で休学していた学生の母親が、息子の死を知らせにやってきます。
その母親は平素と変わらず、ときには笑みさえ浮かべて話をしていますが、先生がふと、目線を移したとき、母親が膝の上でハンカチを堅く、堅く握り締めているのが目に入りました。
気づいてみれば、膝は細かく震えて、ハンカチはもみくちゃになり……顔にはうっすらと微笑すら浮かべていましたが、そうやって全身で悲しみをこらえていたのです。
──婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである(『現代日本文学大系 43 芥川龍之介集』)。
日本人はこのように、自分が辛いときや悲しいときでも、他人に感情をぶつけることをしません。身内や親族が亡くなったときですら、大仰に泣き叫んだりせず、涙さえ隠そうとします。
お隣の韓国では、人が亡くなったときは大きな声で泣くことが、礼儀に適っているとされています。葬儀の場で大げさに泣いてみせ、遺族の代わりに悲しみを表現する「泣き女」という職業があるほどです。
韓国ほどではなくとも、諸外国もどちらかというと、日本人に比べれば感情表現が激しい民族のほうが多いようです。ヨーロッパ人やアメリカ人も、どちらかといえば韓国人寄りで、悲しいときや辛いときには声を上げて泣き、自分の感情を顕わにして訴えます。そのため、日本人の慎ましやかな精神は、なかなか理解されませんでした。
実際、十六~十七世紀に来日した外国人は、日本人はたとえ財産をすべて失っても、火事で家が焼けたとしても、何でもないことのようにふるまうと、驚いています。
この国民性は「武士道」にあった
新渡戸稲造の著書『武士道』のなかに、こんな話があります。
明治二十七年(一八九四)、日清戦争のときのことです。ある連隊が出兵することになり、別れを告げるためにたくさんの人々が駅に集まりました。このとき、ひとりのアメリカ人が駅に見物に行っています。彼は、群集はさぞかし阿鼻叫喚になっているだろう、おもしろいものが見られるかもしれないと、期待して行ったのです。
悪趣味ではありますが、見送られる兵士たちには家族も恋人もいるのですから、愁嘆場が展開されるだろうというのは想像に難くない。これが今生の別れになるのかもしれないのです。
ところが実際は、泣き声や叫び声は、ほとんど聞かれませんでした。全員が淡々と、戦地へ赴く兵士たちを見送ったのです。
もちろん、日本人だって、悲しいことには変わりありません。死地に赴く恋人を見て、平気である人など、いるわけがないのです。
ただ、そこで感情を噴出させてしまっては、周囲に迷惑がかかると思って我慢してしまう。みんなが我慢しているのです。だからこそ、悲しみのどん底にあっても、先述の「手巾」のお母さんのように、冷静にふるまおうとするのです。
悲しみを押し隠してときには笑みすら浮かべたりする日本人を、外国人はずいぶん薄気味悪く感じたようです。ときに「日本人は本心を隠していて、何を考えているかわからない」「日本人は嘘つきである」といった、厳しい評価につながることもありました。
実は感情を抑えることは、もともと武士社会の倫理観です。
武士は幼い頃から、どんなに感情が高ぶっても、大声を上げたり涙を流したりしてはならないと教えられて育ちます。その場の雰囲気を壊すことを嫌い、ひとりのときに思う存分悲しもうと我慢する。取り乱すのがみっともない、という思いもあるようですし、取り乱していては事に対して、冷静に対処することができない、ということもあるでしょう。
そこから発展したのが「時候のあいさつ」や天気の話題で、これも日本人独特です。よく、居酒屋では「政治や宗教、そしてプロ野球(スポーツ)の話をしてはいけない」といわれますが、これも同じ理由から来ています。
これらは、争いの火種となるような話題はできるだけ避けて、穏やかにときをすごすための工夫に、日本人が生来もっている我慢強さが加味された独特の習慣なのです。
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