「日本人はもともととてもすばらしい民族だった」「日本人は、もっと日本人であることに自信をもってよい」……そう語るのは、歴史学者の山本博文東京大学教授。江戸時代にくわしい教授は、著書『武士はなぜ腹を切るのか』で、義理固さ、我慢強さ、勤勉さといった、日本人ならではの美徳をとり上げながら、当時の武士や庶民の姿を活き活きと描いています。昔の人はカッコよかったんだな、と素直に思えるこの本。一部を抜粋してご紹介します。
識字率No.1だった江戸時代の日本
日本人の大人の「学力」が世界一だという報道がありました。受験対策としての、詰め込み学習の成果だという揶揄もありましたが、一位は一位です。実際、これはご存じの人も多いでしょうが、江戸時代、日本人の識字率は、世界でも群を抜いて高かった。これは、日本人が優秀だというよりも、もともと、学ぶことが好きだったということでしょう。実際、江戸っ子たちもみな、学ぶことが好きでしたし、親たちも教育熱心でした。
江戸時代、武士の子どもは、幼い頃から家庭で父親や母親から文字や基礎的な漢籍の素読を学び、七歳くらいからは儒学の塾に通って四書(論語・孟子・大学・中庸)の素読を学びます。一方、庶民の子どもたちも、七~八歳くらいから寺子屋に通って読み・書き・そろばんを身につける。親が教育熱心ならさらに上の塾へ通わせることもあり、論語の素読くらいまではこなす子どももいました。
いまもそうですが、学問を身につけるということは、社会的な地位の上昇につながります。商家であれば家業を発展させることもできます。幕府にとっても、読み書きは庶民もできたほうが何かと都合がいいので、勉学を奨励しました。
こういった傾向は江戸だけではなく、全国的なものでした。有名な私塾もたくさんあって、緒方洪庵が開いた大坂の適々斎塾(適塾)には、全国から塾生が集まり、福澤諭吉、橋本左内、大村益次郎など、有名な人材を輩出しています。
適塾の塾生たちは、二階にあった三十畳ほどの部屋で、文字通り寝食を忘れて勉学に励みました。諭吉も、昼夜の区別なく勉強し続けて、あるとき寝ようとしたら、枕が見当たらない。それではじめてしばらく寝ていないことに気づいた、という逸話が残っています。
勉強熱心だったのは武士だけではない
一方で、学びが出世につながらなくても、非常に熱心だったのが江戸っ子たちのいいところ。女性もしかりで、たとえば裕福な商家や農家の場合だと、寺子屋のほかに芸事も習わせます。これは、江戸城の大奥や、大名、旗本の屋敷に奉公させるため。武家奉公すれば上流階級の教養や礼儀作法を身につけられるうえ、経歴に箔がつき、良縁に恵まれると考えられていたのです。
親のほうが熱心になって三味線や琴、舞踊などを幼いうちから習わせるため、女の子のほうがイヤになってしまうケースも少なくありませんでした。実際、式亭三馬の『浮世風呂』には、朝から晩まで塾に通わされ、ちっとも遊ぶ暇がないからイヤでイヤでたまらない、と不平をいう女の子が出てきます。
吉原の遊女も教養を身につけることに関してはなかなか貪欲で、読み書きはもちろん、茶、華、香、書、さらには三味線、唄など、ひと通りのたしなみを身につけていました。
とくに、太夫と呼ばれる最上級の遊女は、大名や旗本、豪商などの相手を務めますから、それなりの機転や知識などが要求されたわけです。実際、三浦屋の二代高尾太夫が、なじみであった仙台藩主・伊達綱宗へ宛てたとされる手紙などを見ると、高尾が高い教養の持ち主だったことよくわかります。
このように、江戸時代、学びの大切さを知っていたのは、江戸の武士だけではありませんでした。全国津々浦々、どんな身分であっても、その気になれば学ぶ機会はあったのです。
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