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人類滅亡小説

2018.10.31 公開 ポスト

#4 違いすぎる姉妹――衝撃の平成版『日本沈没』誕生!山田宗樹

 自然環境が激変、人間は死に絶えるのか? 滅びる運命の中、人はいかに生きるのか? 普段どおりの生活を続ける者、新興宗教に救いを求める者、微かな生存に望みを託す者、いっそ鮮やかな死を望む者、そして――。

 平成版『日本沈没』として話題沸騰中の、『人類滅亡小説』。『嫌われ松子の一生』『百年法』などで知られる小説家、山田宗樹さんの渾身作です。今回は特別に、物語の序盤を少しだけお届けします。

iStock.com/Tatomm

家族

 デイルームに先客はいなかった。飲料水の自動販売機と、古い雑誌やコミックの詰まった本棚、そして四人掛けの丸テーブルが三脚。南側に大きく開いた窓の向こうでは、木の枝が風に揺れ、黄緑色の葉を煌めかせている。泥っぽく濁った目に、この世界はどう映っているのだろう。

 吉井沙梨奈は、車いすを窓に近いテーブルに着け、タイヤをロックしてから、自動販売機でいつものやつを買った。焦げ茶色のガラス瓶に入った、昔ながらの栄養ドリンクだ。栓をあけて差し出すと、祖父が無言で受け取り、一口一口、時間をかけて飲む。最後の一滴を啜ってから、空になった瓶をテーブルに置いた。

「あたしね」

 沙梨奈はいった。

「死ぬの、延期することにした」

 深く皺の刻まれた浅黒い顔は、表情を作る筋肉が干からびてしまったかのように、ぴくりともしない。ときどき瞬きをするだけの目も、どこを見ているのかわからない。

「コロニー雲……って知るわけないか」

 スマホに画像を呼び出し、祖父に見せる。

「この赤い雲のせいで人類が滅亡するんだって」

 祖父がようやく画面に目を向ける。が、それ以上の反応を期待しても無駄だった。

「どっちにしろ、じいちゃんには関係ないね」

 スマホをもどす。

「まあ、あたしにも関係ないといえばないんだけど」

 笑いかけたが、祖父は無表情のまま。

「でも、なんか、気が楽になったんだよね」

 沙梨奈はしゃべり続ける。これほど気兼ねなくしゃべれる相手は祖父だけだ。

「二百年後には、お金持ちも、貧乏な人も、強い人も、弱い人も、健康な人も、病気の人も、友だちの多い人も、ひとりぼっちの人も、戦争ばっかりやってる国も、平和な国も、みんな無くなる。ぜーんぶ、なかったことになる。これって、すっごく素敵なことだと思わない?」

「真智子が来た。きのう」

 いきなり祖父がいった。

「弁当を持ってきた」

「いっしょに食べたの?」

 沙梨奈は穏やかに問いかける。

「あいつは食べんかった。わしだけ食べた」

「おいしかった?」

「うまかった、うまかった」

「……よかったね」

 真智子というのは、沙梨奈の母だ。祖父にとっては一人娘になる。だが、実際に母が弁当を持って祖父の元を訪れたのは、三十年前だ。まだ母が中学生だったころ、祖父が交通事故で怪我を負って入院した。命に別状はなかったが、病院の食事が不味いとこぼしたので、母はわざわざ弁当をつくって見舞いに行った。祖父はたいそう喜んで食べたという。ふだんは突き放すように祖父のことを話す母も、そのエピソードを教えてくれたときだけは、いつもと違う感情に揺さぶられているように見えた。

「部屋に、もどろか」

 沙梨奈は腰を上げ、栄養ドリンクの瓶をゴミ箱に捨ててから、車いすの後ろに回ってタイヤのロックを外した。

 祖父の入所している有料老人ホーム〈あけぼのハウス〉から、見和希市の自宅マンションまで、自転車で一時間以上かかる。路線バスもあるが、バス代がもったいないので使わない。それに高校へも自転車通学しているせいか、自転車で遠出するのは苦にならない。

「じいちゃん、どうだった」

 キッチンをのぞくと、香織が立ったまま牛乳を飲んでいた。

「いつもと同じ」

 沙梨奈も冷蔵庫から清涼飲料水のペットボトルを取り、自分のコップに注いで飲む。コップは軽く水洗いして食卓に置いておく。どうせまた後で使う。

 香織はまだ牛乳を飲み終えていない。マグカップを両手で持ち、なにかいいたそうな目で沙梨奈を見ている。

「なに」

「べつに」

 沙梨奈は自分の部屋に入った。正確には、香織と二人で使っている部屋だ。沙梨奈が妹と母と暮らすこの2LDKのマンションは、母がまだ二十代のころに買ったものだった。ローンは払い終えている。母の職業はセールスレディで、各種保険から浄水器に至るまで、売れるものならなんでも売ってきた。土日祝日に仕事するのは当たり前。休むときは一カ月くらいまとめて休む。そういう生き方をしながら沙梨奈と香織を育て上げた人だ。

 香織のデスクライトが点けっぱなしになっていた。机の上には、分厚い数学の問題集と、文字や数式が整然と書き込まれたノートが広げてある。図形の証明問題に取り組んでいるところらしいが、高校二年の沙梨奈にも解けそうにない問題ばかりだった。

 香織は来春、県内トップクラスの進学校を受験することになっている。香織なら合格するだろう。成績が良いだけでなく、見た目も抜群に可愛くて、アイドルグループのセンターだって務められそうだ。実際、噂を聞きつけた芸能事務所のスカウトに、塾の帰りを待ち伏せされ、警察に通報する騒ぎになったこともある。姉妹でどうしてこんなに違うのだろう、とは思わない。違って当たり前なのだ。父親が違うのだから。

「前から聞こうと思ってたんだけど」

 香織が部屋にもどってくるなり、いった。

「なんで毎週あんな遠いところまで行くの? せっかくの日曜日なのに」

「だって、お母さんもぜんぜん会いに行ってあげないし」

「じいちゃん、頭が呆けて、沙梨奈のこともわからないんでしょ。意味ないじゃん」

「意味はあるよ」

「どんな」

「……暇つぶし」

 香織が白けた顔をした。

「沙梨奈はいいね。気楽で」

 そっけなくいって机に着き、シャープペンシルを握った。ほんの数秒、問題文と向き合ってから、解答をすらすらとノートに書き込んでいく。

「ねえ、香織」

「なに」

 シャーペンを持つ手は動き続けている。

「コロニー雲って知ってる?」

「細菌が繁殖して赤く発色してる雲ね。それがどうかした」

「コロニー雲のせいで人類が滅亡するって信じる?」

「噓に決まってる」

「……なんでそう言い切れるの?」

「あれって二百年後の話でしょ。そんな先のことが簡単に予測できるはずがない」

 沙梨奈は、自分でも気づかぬうちに、香織の横顔を睨みつけていた。

「でも清々しない?」

 香織が手を止めた。

 振り向く。

「なにが」

「だから、人類が滅亡すること」

「なんでそれが清々するわけ」

「……なんとなく」

「ほんとになったら、どうするの」

「え……」

「そんなこといってて、ほんとに人類が滅亡しちゃったら、どうするつもり」

 香織に正面から見据えられると、いつも身のすくむ思いがする。おまえは生きる価値のないクズだ、と宣告されている気分になる。

「コロニー雲のせいで人がたくさん死んで、泣き叫ぶ声が世界中に満ちあふれても、清々する、なんて言い方できる?」

「…………」

 香織が、視線を外して、ふたたび問題集に向かう。

「そういうことは軽々しく口にしちゃだめなんだよ」

 

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山田宗樹

1965年、愛知県生まれ。98年「直線の死角」で第18回横溝正史ミステリ大賞を受賞。2003年に発表した『嫌われ松子の一生』が大ベストセラーになり映画化され大きな話題を呼ぶ。13年『百年法』で、第66回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。著作に『天使の代理人』『ジバク』『死者の鼓動』『乱心タウン』『いよう』など。

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