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熔ける

2018.10.26 公開 ポスト

カジノで「106億8000万円」溶かした男の告白井川意高

 カジノに入れ込み、注ぎ込んだカネの総額106億8000万円。一部上場企業・大王製紙創業家に生まれ、会長の職にありながら、なぜ男は子会社から莫大な資金を借り入れ、カネの沼にはまり込んだのか……。

 大王製紙前会長、井川意高氏の『熔ける』は、ギャンブルで身を滅ぼし、塀の中に堕ちた男の壮絶な告白本だ。「カジノ法案」が成立し、遠くない未来、日本にもカジノが誕生するであろう今だからこそ読みたい本書。一部を抜粋してお送りします。

iStock.com/AhLamb

テーブルには20億円のチップ

「井川さん、そろそろおやめになったらどうですか。もうすでに、テーブル上のチップは20億円もあります。ここでいったん勝ち逃げし、ワンクッション置いてからもう1ラウンド勝負しては……」

 シンガポールの「マリーナ・ベイ・サンズ」で私をアテンドしてくれていたカジノのスタッフは、テーブルの上に20億円ものチップを積んだまま、一向に勝負をやめる気配のない私を見かねて、たまらずといった感じで声をかけてきた。

「うん、ありがとう。まだ大丈夫だから、もう少し続けてみるよ」

 いくら大勝ちした状態だからといって、これまでのカジノ遍歴をトータルで勘定すれば、とうてい赤字分を補填するには足りない。この20億円を原資として、今日中にさらに盛り返すのだ。スタッフの気遣いに耳を貸すこともなく、そのまま勝負を続行した。

 私は無根拠に「まだ大丈夫だ」と答えたわけではない。私の脳裏には、あのときの焼けつくような高揚感がリアルに刻みこまれていた。

 忘れもしない。あれはマカオの「ウィン・マカオ」でバカラをやっていたときのことだ。数百万円の種銭からスタートし、あるときは5億円、別のときには7億円の勝ち逃げに成功したことがある。それどころか、12億円、15億円という巨額の大勝ちも経験済みだ。

 通算で100回以上カジノへ通い詰める中、億単位の勝利を収めた成功体験は忘れがたい快哉をもたらした。

「今までの勝ちはいったん白紙に戻すのだ。目の前にある20億円を種銭とし、あのときのようにさらに10億円、20億円と勝ちを膨らませてやる。そうすれば今までの借金がすべてチャラになるだけでなく、赤字を黒字に転換して悠々と日本へ帰れる」

 大王製紙社長に就任するまでの私は、決して毎週のようにカジノへ通っていたわけではない。ゴールデンウィークや夏休み、正月休みや週末の連休を利用して、親しい人間数人と出かけていた程度だ。年間2~3回、多くてもせいぜい年に5~6回程度の頻度だったと思う。

 07年6月に大王製紙の社長に就任して、2年が経ったあたりからだ。カジノへの熱の入れ方は急激にエスカレートしていった。勝ち続けて目の前のチップが増えると、次第に感覚が麻痺してくる。1回のゲームで100万円単位を賭けるのが当たり前になり、さらにはマックスベット(1ゲームあたりの掛け金の上限)を張って、1ゲームに1000万円以上ものチップをつぎこむようになった。

 08年になるとカジノに通う頻度が上がり、多少負けが込んできたものの、実は09年秋の段階で赤字分を一度すべて取り返している。そこでバカラをやめておけば良かったものの、さらにカジノ通いはエスカレートしていった。

 10年になると資金繰りに行き詰まり、グループ企業の子会社からカネを借り入れることを思いついた。大王製紙グループやそのグループ会社は過去の倒産を教訓にして、常に手元に余裕資金を置いている。だから、運転資金ではなく余裕資金から借り入れをすることにした。

 借りる。負ける。さらに借りる。さらに大きく負ける。

 11年が明けたころから完全に歯止めがきかなくなり、借り入れ金は40億円、50億円……とどんどん拡大していった。同年4月以降は負けを取り戻すためにほぼ毎週マカオに通っていたものの、巨額の負け分はちっとも取り返すことができていない。

「シンガポールのカジノでは、マカオよりも大きなマックスベットで勝負できますよ。マカオに行くためには香港からフェリーに乗り継ぎをしなければいけませんが、シンガポールへは羽田空港からの直行便があります。約7時間で到着しますから、金曜日の夜のフライトで明け方にはシンガポールに着けます。日曜日の夜に帰ってこられない場合は、夜中のフライトに乗れば月曜日の朝5時には羽田に着きます。飛行機の中で7時間休み、空港でシャワーを浴びてから仕事に行けるじゃないですか」

 ある人から、こんな悪魔のささやきを受けたことが間違いのもとだった。その人が言うとおり、シンガポールの「マリーナ・ベイ・サンズ」では1ゲームに最大で50万シンガポールドル(約3900万円)を賭けることができた。

 マカオのカジノでは1ゲーム2000万円程度が上限だったわけだから、これなら限られた時間の中で大きな利幅を得ることができる。当然のことながら、負けたときの振り幅も大きくなる。事実上、丁半バクチに等しいルールのバカラでは、億単位で勝つこともあれば、億単位で負けることもあるのだ。

 こうして私は、シンガポールの「マリーナ・ベイ・サンズ」でさらなるエスカレーションに突入していった。最終的に私がカジノで負けた総額は106億8000万円にまで膨らんでしまうことになる。

関連書籍

井川意高『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 増補完全版』

大王製紙社長の長男として、幼少時代は1200坪の屋敷で過ごし、東大法学部に現役合格。27歳で赤字子会社を立て直し、42歳で本社社長就任。順調な経営、華麗なる交遊……すべてを手にしていたはずの男はなぜ“カネの沼”にハマり込んだのか? 創業家三代目転落の記。そして、刑期を終えたいま、何を思うのか――。出所後の独白を加え文庫化!

井川意高『熔ける 再び そして会社も失った』

カジノで106億8000万円を失い、会長辞任、獄中へ。 そして懲役4年の刑期満了後に、再びカジノへ。リベンジの舞台は韓国ソウルの「WALKERHILL」 3000万円が9億円にまで増えるマジックモーメント(奇跡の時間)を迎える。 果たして、負けを取り戻す夢物語か、破滅への一里塚か。 ギャンブラー井川意高によるバカラ放蕩記。 しかしその裏ではギャンブルよりも血がたぎる、現会長佐光一派による井川家排除のクーデターが実行されていた。

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井川意高

1964年、京都府生まれ。東京大学法学部卒業後、87年に大王製紙に入社。2007年、大王製紙取締役社長になる。同会長を務めていた10年から11年にかけ、カジノでの使用目的で子会社から総額106億8000万円もの資金を借り入れた事実が発覚。会長職を辞任した後の11年11月、会社法違反(特別背任)の容疑で東京地検特捜部に逮捕される。13年6月、懲役4年の実刑判決が確定し、16年12月14日に仮出所した。

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